3話

 ロレッタが本格的に原石の村ジェムストーンの仲間となってから、二週間くらいが経過した。村には時計やカレンダーのような物が無い為、正確には違うのかもしれないが、ロレッタの体感ではそのくらいである。


 水の国アクアマリンから帰還した当初、ロレッタは祖国での軍事訓練による傷を負っていたが、静養の甲斐もあってすっかり具合が良くなった。数日前から、農作業の手伝いにも復帰できている。子供たちの相手をするにも支障はない。


 兵士たちやミランダとの戦闘によって全身を負傷していたはずのリューズナードに至っては、村に帰った翌日からケロリとした顔で日常生活へと戻っていたようだ。体が丈夫なのは知っていたが、それで済ませて良いレベルの話なのだろうか。やせ我慢をしているようにも見えなくて、さすがに他の住人たちも引いていた。


 ともあれ、再び原石の村ジェムストーンで長閑な日々を過ごせることになった喜びを、ロレッタは全身で堪能している。


 木の床板の上に薄い布団を敷いて眠るという習慣に、全く違和感を覚えなくなった。体内時計に任せて起床すれば、差し込む朝日が心地よく意識を覚醒させてくれる。蛇口や排水溝が見当たらない流し台にも、もう戸惑うことはない。簡素ながら優しい味わいの朝食に、一人で舌鼓を打つ。


 外出の支度を整え、家の外へ出てみると、途端に豊かな大地の香りが鼻腔をくすぐった。耳を澄ませば、鳥たちの楽し気な囀りや、住人たちの明るい話し声が微かに聴こえてくる。柔らかな風に背中を押され、ロレッタは村の中央へ向かって歩き出した。足取りは軽い。




 原石の村ジェムストーンの住人たちは、生活に必要な物資や食料の調達を各家庭で分担し、その成果を分け合いながら暮らしている。ロレッタ個人には作業が割り振られていない為、村へ来てから最初に深く関わることになった家庭で、家事や農作業を手伝わせてもらっていた。


「あ! ロレッタお姉ちゃん、おはよう!」


「れーたん、おはよ!」


「おはようございます。ネイキス君、ユリィちゃん」


 元気よく駆け寄って来たのは、ミランダの策略に巻き込まれて誘拐被害に遭った少年・ネイキスと、その妹のユリィだ。余所者のロレッタに臆することなく接してくれた二人の無邪気な明るさに、当時はひたすら救われたものである。礼を言ったところで、本人たちは「そうなの?」と首を傾げるのだろうけれど。


「あら、ロレッタちゃん。おはよう。今日もよろしくね」


「サラさん、おはようございます。こちらこそ、本日もよろしくお願い致します」


 子供たちの母親であるサラにも、頭を下げて挨拶を返す。彼女は迫害から子供たちを守る為に夫と祖国を捨てており、現在は女手一つで仕事、家事、育児をこなしている。原石の村ジェムストーンの生活様式を学ぶ意味も込めて、ロレッタは彼女の手伝いを願い出たのだった。


 畑の雑草を刈り取り、作物に集る虫を除け、地面に水を撒き、合間に家事や子供たちの相手をしていたら、あっという間に日が暮れる。周囲の見晴らしがだいぶ悪くなってきた頃を見計らい、本日の作業の終了が言い渡された。感謝の言葉と、駄賃代わりとして食料のお裾分けを受け取り、ロレッタは帰路についた。




 家の引き戸を開いても、いつものことながら家主の姿はない。リューズナードは村の外と中を行き来しながら一日中動き回っており、家を出るのは夜明けの刻、帰宅するのは夜中、という生活を送っている。日中に村の中で見かけることはあるが、家では顔を合わせない日も珍しくない。


 ロレッタはまず、原始的な照明器具を使って明かりを点け、慣れた手付きで火を起こし、手早く入浴と食事を済ませた。それから、室内の簡単な吹き掃除に取り掛かる。住人たちの厚意によって改築された家は広く、以前と比べれば物も多い。手入れのし甲斐があるというものだ。


 そうして、あちらこちらを入念に磨いていると、夜も深い時間になってくる。そろそろかしら、とぼんやり考えていたところで、予想通りに引き戸が開く音が聴こえた。清掃を中断し、玄関のほうへ体と意識を向ける。


 帰宅したリューズナードと、しっかり視線がぶつかった。


「おかえりなさい、リューズナードさん。本日もお疲れ様でした」


 最近こうして、ロレッタはリューズナードの帰宅を待つようになった。少しでも親睦を深める時間を取れればと思ってのことである。掃除は、ほんのだ。日中の労働により、疲労に負けて眠ってしまうこともあるのだが。


「ああ……。……た、ただい、ま……」


 帰宅時の挨拶を交わすのも何度目かになるが、リューズナードは何度でも新鮮に驚き、戸惑うような反応を示す。生まれつき魔法が使えなかった為に、実の両親にすら見放されて育った彼は、家で誰かに迎えられることに慣れていないらしい。


 いつかこれが、彼の中の「当たり前」になってくれたら嬉しく思う。これもまた、ロレッタが帰宅を待っている理由の一つだった。


 リューズナードが腰元の刀を外し、居間に腰を下ろしたのを見て、ロレッタは入れ違うように台所へ向かう。軽く手を洗い、残しておいた一人分の食事を食器へ盛り付けて彼の元へと運んだ。


 盆に乗った魚の煮物と野菜のスープを見て、リューズナードが申し訳なさそうな顔をする。


「ありがとう。いつも言っているが、俺の分の飯なんて、わざわざ用意しなくても構わない。外で適当に済ませられる」


「私の分も一緒に作っていますから、お気になさらないでください。お口に合えば良いのですが」


「合わなかったことなんて、ない。いただきます」


「召し上がってください」


 野菜のスープが入った器とスプーンを手に取り、静かに口へ運ぶ。やがて喉仏を上下させたかと思うと、彼は薄っすら優しく目を細めた。


「うん、美味い」


「良かったです。柔らかく煮込めば、野菜の食感が苦手なネイキス君でもしっかり食べてくれるのだと、サラさんが仰っていました」


「そうか。……俺は食感が残っていても食えるぞ?」


「ふふふ、そうですね。それでは、次回は歯ごたえのあるものもご用意しましょう」


「ああ」


 出会った当初、ロレッタはリューズナードを気性の荒い人間だと思い込み、恐れていた。しかし実際に接してみれば、少し言葉遣いが悪いだけで、根は穏やかな人間であることが分かる。他の住人たちのほうが、よほど気風が良くて賑やかだ。周囲に口で言い負かされ、不服そうに押し黙る姿を見かけることも多い。


 和やかに言葉を交わせるようになったことが嬉しくて、ロレッタは食事の邪魔にならない程度に話を続けた。時折、静かに返ってくる相槌が、ロレッタの心をほわほわと温めた。


 食事の片付けが済めば、後は互いに就寝するだけだ。ロレッタは自力で彼より先に起床できた試しがなく、翌朝には居なくなっているのが常である。けれど、眠る際に誰かが傍に居てくれる安心感は計り知れない。心地好い微睡みに身を任せ、今日もゆっくり目蓋を閉じた。


 穏やかに始まった一日が、なんの変哲もないまま穏やかに終わっていく。王宮に閉じ籠ったままでは味わえなかったこの日常が好きだ。意識が落ちる直前、ロレッタはいつもそう思うのだった。


 そんな日常に小さな亀裂が入ったのは、それから僅か数日後のことである。

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