2話

「魔法で誰かを傷付けることなんて、どうせできないだろう。お前は自分の身を守ることだけ考えていれば良い」


「ですが……」


「しつこい。お前に怪我をされると……」


「?」


 不自然に途切れた言葉に、ロレッタは首を傾げる。それからすぐに、以前彼から「お前に怪我をされると迷惑だ」と言われたことがあったなと思い出した。


 魔法を使えるロレッタが、魔法を使えない人々の集落で暮らすようになったのは、水の国アクアマリンの第一王女ミランダ・ウィレムスの差し金だった。ロレッタの実姉であり、病床に伏せている父に代わって国の政治を取り仕切っているミランダが、リューズナードを懐柔する為に仕向けた、いわば政略結婚の一種だ。村の子供を誘拐され、人質に取られ、他の選択肢など与えられないままリューズナードが膝を折ったのである。


 婚姻にはいくつかの一方的な契約も付随しており、そのうちの一つに「ロレッタの安全を保障し、最低限の生活をさせる」という項目が含まれていた。破れば村や仲間たちが危険に晒されてしまう。かつての彼が言った「迷惑」にそれらの背景があることは、ロレッタも重々承知している。


 けれど、様々な紆余曲折を経て、その契約のほとんどはすでに破棄されている。かろうじて残っているのは、「水の国アクアマリンの敵にならないこと」くらいだったか。しかも、万が一、破ったとしても、村や仲間たちに危害は及ばない。それに代わる条件として、ロレッタの水の国アクアマリンへの強制送還が実行されるのみである。


 つまり今、ロレッタが怪我をしたところで、リューズナードが困る理由など無いはずなのだ。そのはずの彼が、どことなくバツの悪そうな顔で、ボソリと言葉の続きを零した。


「……俺が、嫌だ」


「!」


 初めて会った頃、ロレッタはリューズナードに怯えてばかりいて、リューズナードはロレッタを魔法が使える人間として警戒していた。まともなコミュニケーションさえ取れていなかったが、これまた様々な、本当に様々な紆余曲折を経て、二人は互いに惹かれ合うようになり、気持ちも伝えあっている。


 彼に言われた「好きだ」という言葉を思い出す度、ロレッタは心臓をキュウと締め付けられたような心地になる。腕は立つけれどどこか危うい面も持ち合わせる彼を支えたくて、なんの取柄も無い自分を温かく受け入れてくれた村の住人たちの力になりたくて、祖国の王宮ではなく村での生活を続けることを選んだのだ。


 ロレッタの怪我を感情的な理由で嫌がってくれているらしいリューズナードに、また心臓がキュウと鳴る。するとその時、ロレッタたちから少し離れた地点より、ガァン! という金属質な轟音が聴こえた。


「……おいこら。人に仕事させておいて、横でイチャついてんじゃねえよ、腹立つな」


 金槌を手に苦言を呈したのは、リューズナードと同じ炎の国ルベライトの出身で、共に村を作り上げた創設者の一人であるウェルナーだ。


 ほんの十日ほど前のこと。祖国へと送還されたロレッタを連れ戻すべく、リューズナードは単身、水の国アクアマリンの王宮へと乗り込んだ。そこでミランダや、ロレッタの父親である水の国アクアマリンの現国王グレイグ・ウィレムスと揉めに揉めた結果、ロレッタを村で生活させる条件として、水の国アクアマリンへの侵略行為をしないこと、他の国へ加担しないこと、そして水の国アクアマリンとの連絡手段を用意することを突き付けられた。


 具体的には、ロレッタが無線機を持たされたのと、手紙のやり取りができるよう郵便受けでも設置しておけ、との命令を受けている。その郵便受けの製造と設置を、村一番の職人であるウェルナーに依頼していたのだった。


「も、申し訳ありません! ウェルナーさんもご無理はなさらず、いつでも休息をとってください」


「いや、ロレッタちゃんに文句言ったわけじゃないよ。そっちの、デカいのに言ってんの。そもそもお前がロレッタちゃんの家族と揉めたりしなければ、こんな作業も要らなかっただろうに」


「…………俺は、悪くない」


「反省する気ゼロかよ。まあ、リューに魔法国家の人間と円滑な人付き合いができるなんて思ってる奴、この村には居ないだろうけど」


「ウェルナー、『この村』じゃない」


「え? ……ああ、そうだったな。原石の村ジェムストーンね」


「ん」


 笑いながら言い直したウェルナーと、満足気に頷くリューズナード。仲の良い二人の会話を聞いて、ロレッタは少しむず痒い気持ちになる。


 祖国へ送還されたロレッタが戻って来るまで、件の村には名前がなかった。魔法国家の人々から「非人の村」という蔑称で呼ばれていた一方、住人たちが自主的に名称を決めて反論することは考えなかったのだと言う。


 その事実がなんだか淋しく感じてしまったロレッタが提案し、晴れて村に「原石の村ジェムストーン」という名前が付いた。魔法国家に負けない輝きや、これから何にでもなれる可能性を秘めていることを示唆した案である。勢いで採用されてしまったような雰囲気もあったが、住人たちが思いのほか気に入ってくれているようで安心した。


「っと。そんなことより、ほい! できたぜ。郵便受け、こんなんで良い?」


 ウェルナーが立ち上がりながら指し示す先には、漆黒に染められた直方体の鉄塊が一基、地面にしっかり固定された状態でそびえ立っていた。成人男性の胸元くらいの高さがあるその箱には、書簡の出し入れをする為の口が左右に一ヶ所ずつ設けられている。片方はこちらから送る際に使うもの、もう片方は受け取る際に使うものだろう。


 それに関しては用途を察することができたのだが、よく見るとその郵便受けには、天辺や側面に見たことのないパーツがいくつか付属していた。


「ありがとうございます。……あの、私の知識が及ばないようで申し訳ないのですが、こちらは一体……?」


 側面についた謎の凹みや出っ張りを指して尋ねてみる。少なくとも水の国アクアマリンで見かけた記憶はないが、もしかすると彼らの故郷である炎の国ルベライトの文化なのかもしれない。


 そう思って断りを入れたものの、どうやら違うようだった。


「ああ、これ? ただの四角い箱じゃあつまんないから、装飾つけた! かっこ良くね?」


「か、格好良い……?」


 ロレッタが目をぱちくりさせていると、いつの間にか後ろに立っていたリューズナードが、期待を隠せていない声を零した。


「……変形しそうだな」


「もちろんするぜ! 見てろよ~!」


 待ってましたと言わんばかりに、ウェルナーが謎のパーツをガチャガチャと動かし始める。次第に、自称郵便受けからは、右腕が飛び出し、左腕が飛び出し、天辺に砲台を模したと思われる装備がせり出したのだった。ロレッタの故郷で幼い男児用に販売されていた、変形するロボットの玩具を彷彿とさせる仕掛けである。


 その間、何度かリューズナードが手を伸ばそうとして、自制するという動作を繰り返していた。彼は力が人一倍強く、しかし手先が驚くほど不器用なので、下手に触ると壊してしまうと分かっているのだろう。ウェルナーが器用に変形させていく様を、キラキラした目で眺めている。


 果たして、これは格好良いのか。そもそも郵便受けに格好良さは必要なのか。何一つ理解できなかったが、二人がとても楽しそうなので、ロレッタも口を挟まず笑って見守った。


 後日、この装飾が原因で、初めて父から届いた手紙に、


『集荷へ向かわせた兵士が困惑していた。あの小僧は郵便受けも知らんのか』


 という追伸が添えられることになってしまった。

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