120話

 それどころか、彼はロレッタに右手を差し出してきた。そして、一緒に帰ろう、と告げてくる。


 何を言われているのか、分からなかった。


 帰る、なんて。まるで、そこが元々、自分の居場所であるかのような言い方だ。生まれつき強力な魔法が使えて、王女殿下という肩書まで持っているロレッタには、あの村の住人を名乗る資格がない。居るだけで、皆に迷惑をかけてしまう。リューズナードからも、普通の幸せを奪ってしまう。


 そう説明したが、全く聞き入れてもらえなかった。あろうことか、溜め息まで吐かれる始末。ぐちゃぐちゃの頭で他の伝え方を考えていると、リューズナードが小さく笑った。


(あ……)


 自分に向けられることはないだろうと思っていた、優しい微笑み。仲間たちへ向けているのと同じような、下手をしたらそれ以上に、ドロリとした甘さを含んだような、そんな表情で。ロレッタだけを見て、大切そうに名前を呼んで、何度でも、帰って来て良いのだと教えてくれる。


 頭のぐちゃぐちゃが解け、彼の言葉がストンと入ってきた。勝手な行動を起こしたロレッタへ、「帰ろう」と伝える為に。たったそれだけの為に、彼は国に喧嘩を売るような真似をしたのか。


 馬鹿な人だな、と思ってしまった。体の奥底からじんわりと熱が広がって、視界が滲んでいく。


 戦わなければ、何も解決できない。けれど、他国の兵とも、リューズナードとも、戦うのは怖い。結局、どっち付かずで中途半端なことしかできなかったロレッタを、それでも笑って許してくれると言う彼の大きな手に、自分の手を重ねてしまった。握り返してくれる手が力強くて、温かくて、涙が溢れた。


 手から伝わる温度だけでも十分だったのに、突然手を引かれて、強く抱き締められた。ロレッタの小さな体は、彼の大きな腕の中へ綺麗に収まってしまって、身動きが取れない。動けないまま、途方もない熱がひたすらに分け与えられる。血管からマグマでも流し込まれているみたいだった。


 体が熱い。心拍が跳ね上がる。胸が苦しい。すでにいっぱいいっぱいのロレッタに、しかし彼はさらなる猛毒を注ぎ込んできた。


 耳元で、聞いたこともないような甘く切ない声で、好きだ、なんて……。


 不器用に気遣ってくれるのが、嬉しかった。作った料理を美味しそうに平らげてくれるのも、嬉しかった。粗野な振る舞いの中に見えるちょっとした言動を、可愛いと思った。一人で無茶をしてほしくなかった。自分などどうなっても構わないから、彼に幸せになってほしかった。彼と接する中で感じた気持ちが、一つに混ざり合っていく。


 ――ロレッタちゃん、リューのこと好き?


 いつか投げかけられた問いが脳裏をかすめる。あの時は考え込んでしまったが、今なら迷わず答えられる気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る