117話

 乱れた呼吸を整えながら、真っ直ぐ立ち上がる。敵の敗因は、一対一の状況を自ら選択したことだろう。さすがのリューズナードでも、戦場で多人数相手にこんな曲芸じみた真似をしようとは思わない。外野に余計な手出しをされないという特殊な状況で、かつ敵が武芸に精通していたからこそ効いた、一度限りの奇襲だ。


 誇り高い騎士の戦い方とは、到底言えない。けれど、恥じ入る気持ちも全くない。自分は、国家を守る英雄などではないのだから。


 奥のほうで、「アドルフ団長……!?」と驚愕している声がする。もしかすると、団長とやらが負かされる姿を見たのが初めての兵士も、いるのかもしれない。貴重な体験ができて良かったな、と他人事のように思う。


 そんな兵士たちを一瞥すると、彼らは「ヒッ……!」と慄いたものの、それでも前のめりな戦闘態勢は解かなかった。敵の強さに関係なく、最後まで任務を全うしよう、という気概があるらしい。賞賛されて然るべきかもしれないが、リューズナードにとっては変わらず障害物でしかなかった。


 向かって来る兵士たちを、千切っては投げ、千切っては投げ、淡々と数を減らす。そうして全て黙らせれば、とうとう修練場に立っているのは自分ともう一人だけになった。


 そのもう一人のほうへ体ごとゆっくり振り向く。すると彼女は、リューズナードへ向けて両手を突き出し、青い魔力を滞留させていた。とても分かりやすい、魔法を放とうとしている構え。


「……なんのつもりだ」


「私は……水の国アクアマリンの人間です。兵士たちに危害を加えたあなたを、見過ごす、わけには……っ」


 彼女の、ロレッタの両手は、カタカタと震えていた。声も頼りなく揺れている。


 水の国アクアマリンの人間。それをロレッタが、心から誇って宣言しているのなら、まだ思うところはあった。けれど、とてもそんな風には見えない。


「……そうか」


 静かに呟き、刀を鞘へ収めた。この場には、もう戦う相手は残っていない。


 納刀時の音に反応したのか、思わず、といった様子で、ロレッタの手から魔力の塊が放たれる。リューズナードは動かない。躱すまでもなく、見当違いな方向へ飛んだそれは、間もなく修練場の天井に風穴を空けた。洗練されたアドルフの斬撃をも凌駕する、でたらめな破壊力。王族由来の魔力量の成せる業だ。


 あの力で村を救った時には、とても綺麗に笑っていたのに。今はあんなに怯えた顔をして。戦場へ放り込まれたら、この表情が外れなくなるのだろうと思うと、嫌で嫌で仕方がなかった。


「どこへ撃っている? しっかり狙え」


 親指を自分の心臓へ向け、的はここだ、と指し示す。彼女の手元が、再び青く輝き出した。先ほどの砲撃がこちらへ向かって来た場合、どの道、逃げ場なんてない。規格外の力を振りかざす王族に、リューズナードは恐らく勝てない。だから、逃げることなど考えず、真っ直ぐ彼女の元へ歩いた。


「っ……どうして、いらしたのですか……? 村の皆様が、危険に晒されるかもしれないのに……!」


「その『皆様』に、早く行け、と送り出されたんだがな」


「だから、どうして……っ!」


 魔力の塊が放たれ、誰も居ない隅の床を吹き飛ばした。構わず、歩き続ける。


「お前の姿が見えなくなると、村の奴らが、どうして居ないのか口々に訊いてくる。愛想を尽かされることでもしたんだろう、と俺が叱られる始末だ。煩くて敵わない。……それに、あの家は、俺が一人で住むには広すぎる。暗くて、冷たくて、安眠できる気がしない。他の奴らにとっても、俺にとっても、もうお前は必要な人間なんだ。だから、」


 彼女の前で立ち止まる。傷だらけの醜い右手を、綺麗な彼女へ差し出した。


「一緒に帰ろう、ロレッタ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る