82話

「あ……」


「!」


 ロレッタが驚いて振り向くと、扉を開いた張本人であるリューズナードも、驚いた顔でロレッタを見ていた。いつの間にか、窓の外は何も見えないほど暗くなっている。考え事に気を取られていたせいで、掃除も中途半端のまま、彼が帰宅するような時刻を迎えてしまっていたらしい。夜に顔を合わせるなんて初めてだ。


 昼間の気まずさも多少残ってはいたが、せっかく迎えられるのだからと、ロレッタは帰宅時の挨拶として妥当だと思う言葉を口にした。


「おかえりなさい、リューズナードさん。本日も一日、お疲れ様でした」


「…………」


 最後に会釈をして、反応がないのでゆっくり頭を上げると、リューズナードは何も言わずにただロレッタを眺めていた。また何か機嫌を損ねることをしてしまったのだろうか、とも考えたが、今の彼は昼間に見たような険しい表情はしていない。暗くてはっきりとは見通せないけれど、どちらかと言えば、なんだか今にも泣きだしてしまいそうな、そんな心許ない様子にも見えた。


「……ああ」


 やたらと間を置いて、フイッと顔を背けて、ようやく返ってきた言葉は、それだけだった。村に来たその日に聞いた、ネイキスへ向けられていた優しい声は、やはりロレッタへ向けられることはないのだろう。悲しむ資格などないのだと、何度も自分に言い聞かせながら立ち上がる。


「普段通りに清掃を行っていたのですけれど、広くなった為か時間がかかってしまいました。続きは明日に致します。お食事の用意もありますが、召し上がりますか?」


「…………貰う」


「承知致しました」


 リューズナードがロレッタの作った食事に手を付けなかったのは、最初の一回だけだった。本人に許可を取って以降、炊き出しとずらして数日おきに用意してみているが、毎回きちんと完食してくれる。朝起きて、流し台に乗った空の食器を見る度、料理の楽しさを実感できた。


 掃除道具を片付け、手を洗ってからかまどの前に立つ。釜と鍋が一つずつ並んでいて、それぞれ釜の中には、炊き上がった穀物。鍋の中には、細かく切った葉茎菜と切り刻んですり潰した肉をまとめて炒め、住人たち直伝のたれで味付けした具材。それらを穀物、具材の順で平たい皿によそい、スプーンと水を入れたカップを添えて膳に乗せた。やはり冷えてしまっているが、食べてくれるだろうか。


 扉を閉めて、愛刀を刀掛けに置いたリューズナードが、居間の床に腰を下ろした。なんとか掃除の間に合っていた箇所で安心する。


「お口に合えば良いのですが……どうぞ、召し上がって下さい」


 体の正面に膳を置いて差し出すと、彼は少しの間それを眺めてから、「……いただきます」と呟いてスプーンを手に取った。

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