77話

 やがて観念して自力で歩き始めたリューズナードだったが、手持ち無沙汰になると自分の右手へ視線を向けてしまう。その様子を、ウェルナーが隣で楽しそうに茶化してくるのも不服である。しかし、口では敵わないのでどうしようもない。


 サラの自宅と畑が見えてきた。家主やその子供たちと一緒に、今日もロレッタが農作業に精を出している。どうやら手分けして畑に肥料を撒いていたらしい。


「ロレッタちゃん、おはよう!」


「おはようございます、ウェルナーさん。リューズナードさんも」


「……ああ」


 一瞬、ドレスの裾を持ち上げるような仕種をしかけて、すぐにペコリと頭を下げる動作へ切り替えるロレッタ。未だに王族としての習慣が抜けきらない部分があるようだ。箱入りの王女が、よくもまあ、こんな田舎暮らしに順応できたものだと感心する。


 ウェルナーが止まらず歩き続ける為、仕方なく横に付いて行く。すると、ある程度進んだところで、抱えていた肥料の袋を足元に置いたロレッタが、リューズナードの前までやって来た。そして、


「……リューズナードさん」


「! ……なんだ」


「不躾で申し訳ありませんが、失礼致します」


 神妙な顔付きで断りを入れ、行き場を無くしていたリューズナードの右手を、自身の両手でそっと包んだ。


「!?」


 混乱するリューズナードを他所に、ロレッタは真っ直ぐ、手だけを見詰めている。それから、「良かった、もう冷たくないわ」と呟いて、ホッとしたように笑った。


 リューズナードがロレッタの笑顔を正面から見たのは、彼女が倒れて以来、これで二度目になる。


(……綺麗だな)


 前回同様、ぼんやりとそんなことを思った、その瞬間。まるで何か、おかしなスイッチでも入ったかのように。


 戦う為に洗練してきた神経が、己の右手から伝わる情報を、余すことなく全て拾い上げてしまった。


 小さくて、細くて、華奢で、繊細で、柔らかくて。


 傷付けるのではなく一緒に守ろうとしてくる、奪うのではなく与えようとしてくる、友人や仲間たちとは違う安心をくれる、どこまでも優しい女性の手。


 ――温かい、なんてものじゃない。


 血管からマグマでも流し込まれたみたいに、凄まじい灼熱が全身へ伝播する。これまで受けたどんな炎魔法よりも熱くて、穏やかな熱が、思考回路を焼き切っていく。


 生まれて初めての経験である。リューズナードは、自身の頬から首までを真赤に染め上げ、その場でガチリと固まってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る