73話

 彼女は普段から、萎縮しているように見える。


 こちらが普通に話しているつもりでも、何かあると、肩を落として謝罪してくる。気に食わないことがあるのなら、他の住人たちのようにその場で強く言い返してくればいいものを、すぐに身を引いて謝り始めるので、余計に接し方が分からなくなるのだ。そんな彼女が珍しくも要求したというのだから、自宅を改装して風呂を付けるくらい、もういいかと思ってしまった。


 マティたちから渡したい物があるらしいと聞いた時、一瞬だけ、子供の名前を使って……という考えが浮かんだ。しかし結局、どうせ今回もそんな意図などないのだろうな、という結論に行きついて、わざわざ確かめようとまでは思わなかった。初日と同じ状況だったにも関わらず、自分の中の何かが変わっていることに、リューズナード自身も戸惑っている。


(…………)


 これまでを振り返れば、ロレッタに攻撃の意思がないことは明白だ。奪うことも、傷付けることも、彼女が進んで実行するとは思えない。


 昨夜の彼女が怒って見えたのも、決してこちらから何かを奪おうとしていたのではなく、別の理由があったのだろうと思う。短絡的に取り乱してしまったけれど、落ち着いてからもう一度尋ねたら、噛み砕いて説明してくれるだろうか。


 体は動かさないまま、薄っすら目を開ける。多少ぼやける視界の中心に、彼女の両手で包まれている自分の右手が映った。


(温かい……)


 自分より一回りも、二回りも小さい手から、優しく穏やかな熱が伝わってくる。すると不思議なことに、ノイズが走っていたような気持ちの悪い思考がクリアになって、悴むような体感すらあった手に血液が巡って、呼吸がしやすくなって。あれほど不快だった感覚が、じんわり溶けて消えていった。右手の熱に誘われるように、目蓋も意識も落ちていく。


 リューズナードが次に目を覚ましたのは、夜が明けてからだった。


 夢は、みなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る