51話

「あの……リューズナードさん?」


 おずおずと名前を呼ぶと、リューズナードが構えていたままの斧を下ろした。


「……分かった。早めに切り上げて戻る」


「は、はい。ありがとうございます」


 なんとも言えない空気が流れる。


 彼と他の住人たちとが話している時に、このようなぎこちない空気を感じたことなど一度もない。振り返ってみれば、村へ来てからというもの、まともに名前を呼ばれたことさえなかったように思う。疑心、警戒、嫌悪。彼が自分に対して抱いているであろう感情を想像すると、心苦しくなってくる。


 ただ、その割に、彼はロレッタが家事をすることは受け入れた。信用できない人間から与えられる食事など、本来ならどれだけ空腹でも口に入れたくないだろうに、きちんと完食してくれていた。その上、困った時には助けてくれるような素振りも見せる。


 彼は今、何を思っているのだろう。心の内が、まるで読めない。


 上流階級の社交場に顔を出し、腹の探り合いでも経験していれば、少しは違ったのかもしれない。しかし、そんな機会に恵まれなかったロレッタは、ただ真っ直ぐ相手にぶつかることしかできないのだ。相手を知りたいと思うからこそ、嫌われていても馬鹿正直にぶつかりに行こうと思える。何度でも。


 作業の手を止めている今なら、話ができるだろうか。ロレッタが意を決して口を開こうとした刹那、遠くのほうから爆発音のような轟音が鳴り響いた。


「!?」


 驚いて音を辿ると、遠方にそびえる山の中腹が不自然に発光しているのが見えた。付近からたくさんの鳥たちが逃げるように飛び立って行く。色までは識別できないが、間違いなく魔力の光だ。


「あれは……」


「軍事演習でもしているんだろう。あの方角は……雷の国シトリンか、風の国アクロアイトの辺りか」


「軍事演習……」


 学術の一環としてしか聞いたことのなかった単語が、途端に現実感を纏ってロレッタに降りかかる。水の国アクアマリンでも行われていたのだろうけれど、ロレッタは一切関わったことがない。全て、どこか遠い世界の話のような気がしていた。


「……戦争が、始まるのですか……?」


「いつでも始められるように備えているだけだ。今すぐ、どうにかなるわけじゃない。……警戒はしておくべきだろうけどな」


 リューズナードの目が、鋭く細められる。


 姉の話では、彼はかつて戦場でいくつもの戦果を挙げた剣士だった、とのことだ。ロレッタの知り得ない戦の実状を、身を以って知っている。


 そう考えた時、ふと一つの疑問が湧いた。戦場に出ていた、ということはつまり、国の指揮の下で軍事行動をとっていた、ということになる。祖国へ忠誠を誓い、その繁栄の礎になることを誇りながら戦場を駆けるのが兵士だ。……しかし。


(魔法も魔法国家も毛嫌いしている彼が、国の為に命をかけて戦っていた? ……どうして?)


 静かな横顔からは、彼の見据える世界を窺い知ることなどできない。


 また一つ、リューズナードのことが分からなくなった。

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