35話
水害時における土嚢の役割は、止水のための応急処置だ。重量のある布袋で壁を築き、浸水を防ぐことを目的としている。堤防の上に重ねて固定すれば、高さの嵩増しができる。
ただ、土や砂利がみっちりと詰まった布袋の重量は、一つにつきおよそ数十キログラム。それを広大な川に沿って積み上げていく作業が、人間独りの力で簡単に終えられるはずがない。
「だから、お前も来いって――」
「大丈夫です。お二人は避難所へ向かってください」
「!?」
ロレッタが到着したのは、そんな応酬が繰り広げられている最中だった。
三人が一斉に視線を向ける。
「お前……何してる! さっさと村へ戻れ!」
「ロレッタちゃん、なんでこんな所に来たんだ!? 避難所はこっちじゃないぞ!」
「分かっています。私は自分の意思でここへ来ました」
弾む呼吸を整えながら、ロレッタは三人の元へ歩み寄る。
「ゲルトさん、ウェルナーさん、どうかご家族の元へ。こちらはお任せください」
「任せるって……」
「私が止めてみせます」
先ほどまでリューズナードに詰め寄っていた二人が、揃って顔を見合わせる。状況を飲み込めてはいない様子だが、ロレッタの強い眼差しに、何かを感じ取ってくれたようだった。
「……あー、もう! よく分かんねえけど、リューを説得してくれるならなんでも良いよ!」
「どうせ俺たちが何言っても聞かねえんだ、頼んでいいか?」
「はい」
ロレッタが恭しく頭を下げると、ゲルトとウェルナーは「絶対に二人で戻って来るんだぞ!」と言い残し、村のほうへ走って行った。
その場に残ったリューズナードが、鋭く睨みつけてくる。
「……何故、ここへ来た」
低く威圧するような声音に体が竦む。しかし、ここまできて引き返す選択肢は、もはやない。
「先ほどの理屈が通るのならば、私はここにいても良いはずですよね。紛い物とは言え、私は今……あなたの家族なのですから」
「何を言っている。ここにいたところで、お前にできることなんてないだろう」
ロレッタの小柄な体格と細い腕では、力仕事を手伝うことは難しい。それは自分でも分かっている。けれど、今この場で、ロレッタにしかできない戦い方も確かにあるのだ。その為に、ここへ来た。
「お忘れかもしれませんが、私は水を統べる国の王族です。自ら創り出した水でなくとも、魔力を直接注ぎ込めば支配下に置くことができる。……手の届かない雨雲を晴らすような芸当は、さすがにできませんが、河川の水ならば対処も可能かと思います」
「……!」
堤防の淵に立ち、荒れ狂う川を見下ろした。
泥も、岩も、木も、無差別に吞み込んだ濁流が、轟音を伴いながら凄まじい速度で流れていく。人間が巻き込まれれば、抵抗の余地も無いまま全てを奪われてしまうだろう。目の前の光景は、紛れもなく生命を脅かす災害だ。
しかし、ロレッタは幼い頃に母から教わった。この世に存在する全ての水は、自分の味方である、と。優しく触れて語り掛ければ、必ず応えてくれる友なのだ、と。
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