猫さえいなければ
越山明佳
第1話
「猫山さんのことが好きです。付き合ってください」
「はい。喜んで」
高校2年の春。
僕――中川友樹は高校入学時から好きな子――猫山はなと付き合うことになった。
※
なったのだが……。
「にゃー」
「さち、ただいま~」
「にゃー」
「……猫……飼ってたんだ」
「そうなの」
なんとも幸せそうな顔で猫に頬ずりする猫山さん。
あまりにも衝撃的すぎて、僕は硬直してしまう。
というのも、僕は過去に野良猫に噛まれたことがある。
その際、親からこっぴどく叱られた。
それからというもの、猫とか犬とか、とにかく噛みつく恐れのある生き物を避けるようになった。
狂犬病なんて聞いてもどんな病気かはピンと来ないけど、自ら苦しい思いはしたくない。
したくないのだが……。
「わぁ!!!」
猫山さん家の猫が近づいてきたのに驚いて尻もちをついてしまう。
「いてて」
「くすっ、なにやってるの、もう~」
みっともないところを見られてしまい恥ずかしい。
顔が赤くなってるのを感じる。
床に手をついて立ち上がろうとするも……
ペロリっ!
「うおわ」
猫に顔を舐められ、尻もち着いたまま床につけた手が滑る。
「って~」
フローリングに頭を打ちつけた。
元凶たる猫に仕返しだとばかり飛びかかろうかと考えるも、猫山さん家の猫であることから思いとどまる。
気づけば随分と遠くに猫は移動していた。
悪いことをした自覚があるのだろうか。
なにかやらかした時、本来ならすぐに謝るべきなのだろうけれど、反射的に逃げてしまう。
過去の自分を見てるようで親近感が得られた。
「大丈夫?」
差し伸べられた猫山さんの手を取り、起き上がる。
災難な目にあった。なんて思うと同時に彼女に触れられ嬉しさが込みあがる。
付き合えたからといって、すぐに手に触れられる程の勇気を僕は持ち合わせてはいない。
秘かに猫のさちに感謝する。
※
猫山さんの家からの帰り道。僕は今後について考える。
彼女の家に行くのは避けるようにしよう。そうすれば問題ない。
会うときは僕の家か、どこか外に出よう。
そうだ。そうしよう。
そう考えてみるも……「どうしてうちに来ないの?」そう問いかけてくる彼女の姿が思い浮かんだ。
「匂いがダメだった?」
「部屋が散らかってた?」
「下着が干してあったから?」
……下着、干してあったかな?
思い返してみるもなかった気が………………!!!
なにを考えてるんだ僕は!
ピンク色のかわいらしい下着を屋内で干している彼女の姿を思い浮かべてしまった。
理想の新婚生活?
「嗅いでみる?」
いやいやいや。どうしてそういう話になる⁉
下着を差し出しちゃダメでしょ!
嗅がないから! 彼女の下着を嗅ぐ彼氏とかないから!
そうやって絶対にありえない妄想をしていくうちに、僕は……
「猫山さんの家に行きたいな」
決して下着を嗅ぎたいからではなく! 彼女に悪いから!
「どうしてうちに来てくれないの?」
なんて訊かれても答えられないから!
そんなことを考えているうちに家に着いてしまった。
すぐ家に入る気にならないなぁ。
すでに薄暗い外の空気を気持ちが落ち着くまで吸うことにした。
※
猫カフェに行くことになった。
猫山さんが行きたいと言ったからだ。
彼女の家ではないけど……猫カフェか……。
彼女にとってはオアシスかもしれないけれど、僕にとっては地獄だ。
「楽しみだね」
「……うん」
まさか猫が苦手だからという理由で行きたくないと断るわけにもいかず、誘わるがまま目的地へと向かう。
そうだよね。家で猫飼ってるもんね。そりゃそういうところに行きたくもなるよね。
「いらっしゃいませ。ご利用は初めてでしょうか」
「はい」
目的地たる猫カフェに到着し、店員さんに案内される。
案内してくれた店員さんは気さくで話しやすい婦人だった。
40は超えてるかな。
いくつかの注意事項を聞かされ、手洗いしてから猫がいるエリアへと足を踏み入れる。
まるで人の家に上がり込むかのような気にさせられた。
ついこの間、猫山さんの家に行ったからかもしれない。
おやつの時間だからとサービスでちゅーるを渡された。
猫山さんの表情は華やかでイキイキとしている。
反面、僕の気持ちはどんより。
サービスだからともらったおやつだけどありがた迷惑というやつだ。
噛まれそうで怖くてこんなのあげられない。
あげずに持ち帰ったところで使い道なんかないし。そもそも持ち帰るにしても彼女から不審がられる。
あげるしかないのか……。
困惑する僕をよそに、猫山さんは早速頂いたちゅーるを猫にあげてる。
両手で彼女の手を挟み、夢中でペロペロ。食べるというより飲みこんでいってる。
「もうないよ〜」
食べたりなそうにしている猫に両手を広げ、もうないことをアピールしている。
ゴミ箱に捨て、猫山さんが言ってきた。
「あげないの?」
そこでぼ~っと突っ立っていることに気づき、動く。
「あげるよ」
彼女に託す選択もあるかもと思ったが、それだと僕が猫を嫌っていることがバレてしまう。
それはよくない。なんとかして自分の手で猫におやつをあげなくては。
落ち着こうとソファに腰を掛ける。店内を見回すとソファやクッションがいくつもあり、全体的にふわふわしている。
テレビまで設置されており、どうでもいいニュースが流れていた。
お客さんは僕と彼女の2人だけだ。2人っきり……ではないな店員さんや猫がいる。
猫は10匹程か。……多いな。
人より猫の方が多い。こういう場でもなければありえない状況だ。
猫山さんは僕の隣に腰掛け飲料入りの紙カップを差し出してくる。
そういえばフリードリンクがあるって説明あったな。
「ありがとう」
蓋がしてあり中身がなんなのかわからないまま口に含む。
中身はコンポタージュだった。
普段、飲むことないけど飲んでみるとおいしいな。
ふと見ると、猫がおすわりしてこちらを見ているのに気づいた。
なんだろうと疑問に思っていると猫山さんが答えを教えてくれた。
「中川くんがちゅーるをくれるのを待ってるみたいだね」
「そうなの?」
「うん。あげなよ」
「そうだね」
その時が来たかと腹を決め、僕は猫に近づいておやつをあげることにする。
すると猫は待ってましたと言わんばかりにそわそわとしだす。
おやつを持った手を近づけると勢いよく僕の手を両手で挟もうとしてくる。
出した手を引っ込めようとする気持ちと、情けないところを見せまいとする気持ちが僕の中でせめぎ合うも、猫の動きには勝てず引っ込める隙を与えてはくれなかった。
ならば早く終わらせようと中身を出していこうとするも、切り方が悪かったのか、思うように出てくれない。
結局、そこそこ時間をかけることとなった。
にしても爪が手にあたって地味に痛い。
※
「中川くんも触ってみなよ。気持ちいいよ」
「う……うん……」
恐る恐る。だけど猫山さんに悟られないよう猫に手を伸ばす。
背中に触れ撫でる。
噛みつかれることはおろか、威嚇すらされない。というか……。
無視されてる?
え? 僕、触ってるよね? 微動だにしないんだけど!?
ぬいぐるみ? いやいや、鼓動は感じるし……そう考えると鼓動分ぐらいは動いてる。
猫ってこんなにおとなしいものなのか?
猫に対する印象が変わる。
ダダダダダダダッ!
シャー!
2匹の猫が追いかけっこしている。追いかけられている方が捕まり威嚇した。
前言撤回! おとなしくない!
「かわいいね」
「うん……」
※
猫カフェデートを終え、しばらくしたら猫山さんに家に来るよう誘われた。
あまり気は進まないけど断るわけにもいかず、また来てしまった。
「この前、猫カフェに行った日、家に帰ったらさちに怒られちゃった」
「もしかして……噛まれたの?」
「そうなの」
やっぱり猫は危険だ。
「病気になったりしてない? 大丈夫?」
「家の猫はちゃんと予防接種してるから大丈夫だよ」
「そうか。そりゃそうだよね」
「でも、ありがとうね、心配してくれて」
猫は危険だという汚れた僕の心と違い、彼女の笑顔は清く眩しかった。
リビングの床に座って寛いでいると、猫が現れ彼女にすり寄ってきた。
「ほらね。今はもう元通り」
猫をなで回す猫山さん。撫でられている方は気持ちよさそうだ。
少ししてなにを思ったか、猫が僕に近づいてくる。
そして、あぐらをかいてる僕の足の上に乗ってきた。
猫に会うのはまだ2度目のはずなのに、僕の身体に自身の頬を当てスリスリしてくる。
「懐かれたね」
「そう……なのかな?」
僕が猫に慣れる前に懐かれたことに、奇妙な敗北感を味わう。
猫山さんに撫で方を教わり、その通りにする。顎の下や頭、背中を撫でると幸せそうにしている。
その様子を見て、僕は癒やされた。
思い返してみれば猫自体が嫌いというわけではないことに気づく。
親に叱られたのを気に嫌煙していただけで、元々僕は猫が嫌いじゃないんだよな。
だからこそ、あの時、僕は野良猫に触ろうとしたんだ。
気づけば猫への印象はガラリと変わっていた。
猫さえいなければ 越山明佳 @koshiyama
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