第20話 うっかり、悪役令嬢に見込まれてしまった

「姫、お呼びでしょうか……」


 暗い部屋のバルコニーに黒い影が月明かりに照らされて浮き出た。

 その影は平伏している。


「赤影よ……。調べてもらいたいことがある」

「なんなりと……」


 赤影と呼ばれた人物はまるで猿のごとく小柄な体をさらに丸めて平伏している。小柄だが手足が異様に長い。顔は布で覆われて片目しか見えない。その瞳は赤く不気味である。

 黒装束から出た右手には不気味な蜥蜴の入れ墨が見える。足が4本ではなく6本あるシルエットの蜥蜴は見る者の背中に冷たいものを走らせる。


「セオドア・ウォールという男のことを調べよ」

「……姫様がいつも傍らに置いている男ですね」

「そうだ……。あやつは何か隠しておる。あの若さであの落ち着き。そしてとんでもない頭の良さ。あのような者が田舎で腐っておったのが不思議だ」


 赤影はバーデン家のお抱えの隠密である。いつもは兄に仕えている男であるが、時折、クローディアの命令にも従う。お抱えの隠密とはいえ、本来は世間知らずのお姫様のくだらない命令に従うほど赤影は軽い者ではない。

 赤影の存在は敵対する貴族の弱みを調べ、それを使って失脚させる。バーデン公爵家が貴族でナンバー1足りえる理由の1つである。

 そんな彼がクローディアの命令に従い仕事をするのは、このお姫様を彼なりに評価しているからであった。


(この姫様はこの国を大きく変えるだけの人物である)


 そう考えていた。闇社会に生きる赤影の直感である。冷酷でおよそ人間味のない赤影が文句も言わず仕える理由はまだあるが、赤影にはそれがはっきりとわかっていない。


「姫様、相手はしがない田舎貴族。1週間もあればご報告できるかと」

「うむ。頼むぞ、赤影、頼りにしておる」


 赤影は音もなく姿を消した。

 クローディアもバカではない。セオドアが全く受験勉強をしたことがないのは事実だった。神学やギリア語は全く知らない状態であった。クローディアはこれでは合格は無理だと思ったが、セオドアは1週間でマスターしてしまった。

 驚異的な頭の良さである。何しろ、参考書をペラペラと30分ほど眺めているだけで中身を全て記憶できるのだ。

 セオドアはごまかしていたが、クローディアが観察したところ、彼は見るだけであっという間にいろんな学問を理解してしまう能力があることは間違いがない。そんな天才を今まで王国の政治の中枢に入れていないことが疑問であった。


(テディめ……どんな過去があるか知らぬが、我の目はごまかせぬぞ)


 それほどの能力があれば、王立大学を目指したはずだし、将来の国を支える優秀な官僚として活躍できる。

 それをセオドアは田舎の領地で隠居すると言っているのだ。何もしなければ、この才能は小さな島で埋もれていた。ところが楽隠居するために、妹によい結婚をさせ、妹夫婦に領地経営をさせようと都に出てきたのが運の尽きだ。

 クローディアは目的であるエルトリンゲン王太子と結婚し、自分が将来王妃になればその右腕として使えると判断していた。


(まずはテディをうまく使い、王太子にアプローチする。そして周辺を味方にして圧力をかける。あとはナターシャの追い落としだ)


 クローディアはそう作戦を立てる。自分が王太子妃になるための作戦だ。


「我は生まれてから王太子妃の許嫁になり、それに相応しくなるよう教育されてきた。この18年、それだけのためにだ。それなのにポッとでの庶民女に殿下を盗られるわけにはいかぬ」


 クローディアのプライドと生きる目的を守るために、この作戦は絶対に成功させないといけないのだ。

 明日からボニファティウス王立大学の学生生活が始まる。1日目はオリエンテーションだ。政治経済学部を希望する学生を集めて、係員が必要な単位のことを説明する。それを聞きながら、今年受ける授業の計画を立てるのだ。

 クローディアの作戦の1つはこうだ。2年生の王太子には1年生も受ける共通の授業がいくつかある。教養科目の中でも政治経済学部に関わる授業だ。選択教科であるので、うまく選べば同じ授業を受けることができる。

 そこにはナターシャはいないはずだ。彼女は文学部。履修する授業はあまり被らない。クローディアとしては好都合だ。邪魔者がいなければ堂々と王太子に迫れる。


「我が殿下に振り向いてもらえないのは、コミュニケーションが足りないとこころだ。王太子と公爵令嬢ということで、プライベートで話す機会がほとんどなかった。それが今の疎遠な原因に違いない」


 クローディアはそう言って半期の授業の選択を決めていった。エルトリンゲン王太子が今年受けるであろう授業は既に調べてある。2年生は年度末に届を出しているので、学事課の係員に圧力をかけて聞き出している。


(クローディアの言う通り、それはあるだろうな)と隣にいるセオドアも思う。幼少の頃は仲良くしていたらしいので、成長するにつれて身分が邪魔をして会う時間が減ったことは大きいだろう。


(だが、それだけではないだろうなあ……)


 クローディと接していれば誰でもそう思うだろう。彼女は優秀過ぎて周りが見えないタイプだ。それが王太子には気に入らないのであろう。

 ちなみにクローディアに命じられてセオドアは全く同じ授業を選択させられていた。これは下僕となったハンスとアラン、ボリスも同じである。

 翌日から授業が始まる。1年生にとっては初の大学での授業である。

 教科書が入ったカバンを自らもち、清楚な装いだが隠せない気品を振りまくクローディアは大学のキャンパスでも目立つ。

 男子学生だけではなく、女子学生も思わず立ち止まり、クローディアを見ている。

 この状況はセオドアにとっては好都合であった。クローディアが目立ちすぎるので、自分が目立たなくなるからだ。ただでさえ、トップ合格者で見た目からも黒髪の騎士様などと女子学生から噂されてしまっているのだ。

 クローディアと一緒にいることで、(黒騎士様はクローディア様のお手付き)ということになっている。下手にセオドアに声をかけてクローディアににらまれたくないので、数少ない女子学生たちは遠巻きに眺めるしかなかった。


「クローディア様、お席を確保しました」


 これから1,2年生の共通教養科目である、基礎物理学の授業だ。理系の科目であるが政経学部に入る学生は必ず単位を取っておく授業であった。難しい学問なので、多くのが学生は2年生で取得する計画を立てる。

 クローディアは敢えて1年生で選択したのはもちろん、王太子が受講するからだ。セオドアたちは道ずれ。数人の1年生が選択科目の関係で選んだだけである。

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