第17話 うっかり、犬を飼うことになってしまった

「嘘だ!」


 トップ10の発表の掲示板を見ていた群衆の中から、聞いたことのある声が響いた。

 ハンスとその取り巻きである。ハンスは模擬試験でずっと1位だと豪語していた。当然、この掲示板に名前があるはずだ。

 しかし、ハンス・ボーゲンの名前はない。彼も取り巻き2人も合格はしたようだ。胸に合格証の証である赤いバラの飾りを付けていたからである。


「くくく……」


 クローディアが不敵な笑いをしつつ、ハンスたちに近づいていく。彼とは約束をしていたのだ。


「ハンス・ボーゲン。そして下僕、アランとボリス」


 ハンスはともかくその取り巻きの名前まで憶えているとは、さすが2位合格者だとセオドアは感心した。セオドアはハンスのことは覚えていたが、アランとボリスのことはきれいに忘れていた。ちなみにアランもボリスもハンスの友人で下僕ではない。下僕の身分で大学受験はしないだろう。


「お、お前は……クローディア。そしてその下僕のセオドア」


 ハンスもよく覚えている。セオドアがクローディアの下僕というのは間違っているが。


「我の名はあったぞ。あれを見よ。2位だ。そしてこのセオドアは1位だ」


 ハンスは2人の顔を見てうなだれた。結果は歴然である。威張っていた自分を殺したいくらいである。


「ハンス様、元気を出してください」

「調子悪かっただけですよ」


 2人の取り巻き、アランとボリスはそんな情けないハンスを励ます。ハンスはこの2人を都合の良い友人と思っていたが、そんな気持ちは間違っていたことに気付いた。


「ああ……そうだとも。問題の傾向が180度変わったせいだ」

「そうですよ。ハンス様はこんなことで挫ける方ではない」

「このボニファティウス王立大学で名前を残す方です」


 アランもボリスもよいしょがうまい。元々、自己肯定感が異様に高いハンスはそれで立ち直った。

 が……それはわずか1秒後にポキッと折られる。クローディアの容赦のない言葉がハンスの心を折る。


「問題のせいにするのはよいが、できなかったのは事実。実力者はどんな場合でも結果を出すものだ。さて、約束は約束だぞ。お前ら、我の派閥に入れ」

「クロア様、派閥は作らないと……」


 セオドアは忠告する。クローディアがこの大学に入学することにしたのは、婚約者であるエルトリンゲン王太子に気に入られるためだ。


「ああ、そうだった。しかし、我の目的のために人手は必要だ。お前たち、我の下僕となれ!」


 言い方が横柄だとセオドアは思った。クローディアは根がいい奴だと思っているが、自分の目的のためには周りを巻き込む性格はいただけない。まさに悪役令嬢気質である。


「何を言っている!」

「女の下僕になれるか!」


 アランとボリスがそう叫ぶ。クローディアはセオドアに目配せをする。それはあることを実行せよという合図である。


(マジかよ……)


 セオドアは思ったが、クローディアから命じられたことをするしかない。やむなく、先ほどクローディアから手渡されたものをポケットから出した。金属でできた家紋のバッジである。馬車の扉に付いている飾りで手のひらサイズだ。


「君たち、この紋所が目に入らぬか~」


 芝居がかった口調で家紋のデザインをハンスたちに見せる。この家紋はこの国でも結構有名なものだ。王家の次に目にするものと言ってよい。

 ハンスと2人の取り巻きはその家紋に釘付けになる。そのデザインは田舎貴族の息子であるハンスたちでも知っている。


「この令嬢をどなたと心得る。王国宰相ジョシュア・バーデン公爵令嬢、クローディア・バーデン様であるぞ」

「あ!」

「え!」

「嘘だろ!」


 3人は凍り付いた。同時に頭を地面にこすりつける。特にハンスはクローディアに対して、とんでもない無礼な言葉を吐いていた。

 クローディアの顔を見る。悦に入った彼女の顔は美しいけれども、見方によっては悪人顔。今にも処刑を命ずるような目だ。


「も、申し訳ありません!」

「ど、どうかお許しを……」

「クローディア様の下僕になります。牛馬のように働きます!」


 3人の顔は真っ青だ。それはそうだろう。地方の田舎貴族に過ぎない3人の親など、クローディアの父親の権力ならばあっという間に没落させられるだろう。バーデン一族の権門の力は貴族の間では恐怖ですらある。

 クローディアはポケットから扇を出す。閉じたままそれで自分の口をトントンとリズムよく叩く。


「牛馬のように働かせるなどと、それでは我が悪人みたいじゃないか。なあ、テディ」

「そうですね。クロア様」


 セオドアはそう答え、心の中でもうこの3人のことは、ほっといてあげてと願っていた。


(おいおい、その扇もしまえよ。周りから見れば完全に悪役令嬢だよ!)


 そんなセオドアの心内など知る由もないクローディア。至極当然のように公命じた。


「うむ。牛馬ではなく、犬として働け」

(おい~っ!)


 セオドアは心の中でクローディアに突っ込んだ。こういうところがこの令嬢の悪いところだ。彼女の言うところの犬になれとは、自分の仲間になって協力しろということだ。素直になれないのか、言葉選びが間違っているからなのか、表面どおり受け取ると、とんでもないわがままで強権を振りかざす暴君のような命令に聞こえる。というか、もう暴君、わがまま姫だ。

 現に土下座している3人は恐れ入ったと額をますます地面に打ち付ける。もう哀れとしかいえない。


「はい!」

「犬になります」

「なんなりとお申し付けください。ですから、僕たちの命と家を滅ぼさないでください~」

「はあ?」


 さすがのクローディアも3人が何にビビッているのか気付いた。思った以上に、セオドアが示したバーデン家の紋章が利き過ぎている。


「心配するな。我にはそんな気持ちはない。ふふふ……」


 取り繕ったような笑顔で何とか怖がらせないように努力するクローディアであったが、セオドアにはこう聞こえる。


『一族皆殺しになりたくなかったら、犬と同じように我に忠義を尽くせ』


 セオドアは周りを見回す。遠巻きに受験生たちが見ている。どう見てもバーデン家の令嬢が強権で3人をひれ伏せさせ、何か罰を与えているようにしか見えない。

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