甲子園浜に船で移動

 メリケン波止場から船で移動することになった。

 大阪-神戸間の鉄道が不通になっているため、神戸港から大阪方面に臨時に船が運航されていた。メリケン波止場で1時間ぐらい後に出港して甲子園浜まで行く船の切符を買い、一休みした。船は沖側にある被害がほとんどない船着き場から運行されていた。

 出港時間になり乗り込むと、窓からポートアイランドに架かる神戸大橋が見えた。この距離では重大な損傷はなさそうに見えたが、実は基礎が海側にせり出してそれに付随した損傷があった。

 まだFateシリーズがなかったので、神戸大橋を見ても冬木市がどうこうという感想はなかった。


 船はポートアイランドの西から南を回って大阪湾を東に進んだ。神戸空港の埋立地はまだなかった。

 海からは高速道路の湾岸線がよく見えた。遠目には大きい損傷がないように見えたが、どれもがどこかしら壊れていて、まだ通行止めだった。

 やがて湾岸線の橋のひとつ、白い鋼製アーチ橋の西宮大港橋が近づいてきた。

 西宮港大橋そのものは橋脚の上に問題なく乗っているように見えた。しかし、その東に架かっている取付橋の桁が落下し、橋脚の上に残っている反対側との間で間で斜めになっていた。

 橋が落ちた理由は、液状化で生じた「流動化現象」のためと調査後に結論付けられた。前に液状化現象について書いたが、地面の下が広範囲に液体になってしまうと、地面に傾斜があったり、埋立地のように海との高低差がある場合、低い側に地面全体が流れてしまう。これが流動化現象で、1964年の新潟地震でも液状化の被害が激しかった場所で信濃川の河岸がせり出し、川幅が狭くなるという現象が起きていた。しかし、流動化が橋に被害を及ぼすという認識が浅く、まだ橋の設計では全く考慮されていなかった。

 西宮港大橋も、橋脚が地盤ごと海の側にせり出してしまい、陸側にかかっている橋桁がアーチ橋に押し出される形で落ちてしまった。耐震連結装置が設置されていたが、前にも書いたように役に立たず、装置は切断されて落橋を防げなかった。

 神戸大橋も、基礎は流動化で移動してしまい、補修が必要になった。


 船は西宮港大橋のアーチの下をくぐり、その奥の甲子園浜に接岸した。

 甲子園浜からも西宮港大橋がよく見えた。高速道路の側は通行できなかったが、陸側の一般道の桁は落下しなかったため、この頃にはもう走れるようになっていた。

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