震災瓦礫と地震に耐えた家

 甲子園浜海浜公園に隣接する船着き場に船が着いた。ここからは30分もかからずに阪神電車の駅に着ける。

 2月7日は思い付きで三ノ宮まで行ったので、かなりの距離を歩くことになった。それを踏まえて、今日の行程を考えたチームの先輩社員は、いろいろ調べてあまり歩かなくてもよいルートでリベンジしたのだと思う。自分もまさか船に乗るとは思わなかった。


 甲子園浜からは大きい通りを歩いて駅を目指した。

 通りは荷物を満載したダンプが埋め立て地を目指して渋滞していた。荷物はどれも瓦礫だった。道の先の埋め立て地に震災瓦礫を捨てに来ていた。

 「瓦礫」と一言で表すしかないが、そのどれもが、ほんの少し前までは誰かが暮らしている家だったはずだ。どこかの誰かが長年住んだ家も、震災で破壊されるとトラック1、2台の積み荷になってしまうのかと思うと、たまらなく悲しかった。

 

 甲子園浜は海辺ギリギリまで住宅地が広がっていた。しかし、このあたりは埋め立て地が近いせいか、震災で壊れた家があらかた片付けられていた。見渡す限り、元は家屋だった更地が広がっていた。

 しかしながら、ぽつりぽつりと、ほとんど壊れていない家が健在だった。新しく建てられた家で、耐震設計がきちんと行われていた家の場合おおむね揺れに耐えられたようだ。壊れて取り壊された家と、何かと不便はあれど住み続けられる家。そこには残酷なほどの格差があった。格差と言えども、これから家を建てるなら災害に強い家にするに越したことはない。皆でそう話した。


 やがて国道43号に着き、歩道橋を渡った。歩道橋は高架の高速道路の桁の下をくぐっていて、歩きながら橋の様子を間近に見た。

 この歩道橋の大阪の方の隣の隣の橋脚の先で、高架橋の桁が落ちていた。落ちた桁はもう撤去されていた。

 歩道橋を渡ってから、国道43号の北側を東に歩いた。桁が落ちて空がよく見えるようになっている場所を過ぎ、鋼製の橋脚の上に乗っている橋桁とその支承の損傷を眺め、写真に撮った。橋脚もそこそこ壊れていて、ペンキが剥がれてプライマーの赤い色が見えていた。

 歩いている間に甲子園の駅の近くまできた。

 「あれが甲子園球場だ」という話になったが、野球場がどんなふうに見えたのかがどうも思い出せない。Googleのストリートビューで見ても、道の北側からは高速道路の防音壁があって野球場は見えない。ほとんど見えなかったので見た光景そのものを忘れてしまったようだ。

 やがて阪神電車の甲子園駅に到着した。7日のように歩き疲れることはなかった。そして、さほど遅くならない時間に大阪支社に戻った。

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