単独行動

 2月10日の金曜日。

 この日は九州支社から来ていたチームを連れて現地を案内することになった。前日一緒に行動した本社チームの二人は事務所待機だった。

 阪神電車で青木まで移動し、6日や7日のように高速道路に沿って西へと歩いた。一休みして昼食の後、これからどうするかを尋ねたところ、九州チームはかれらなりの計画があり「見たいところがある」とのこと。それではとそこで解散し、別行動になった。

 単独行動になったが、また三ノ宮まで行くのは遠すぎるので、阪神とJRの間の区間を三ノ宮の手前まで歩くことにした。

 そのように思い出すのだが、この区間に目立った橋の被害はないので、写真も撮らず、記憶もあまり残っていない。

 歩く先に住宅地がずっと続いていたが、多くの家屋が壊れていた。この頃は全国から有志の建築士が来て、建物の応急危険度判定が行われていた。各戸の玄関には判定結果を示す3色の紙が貼られていた。赤は「危険」で立入禁止、黄色は「要注意」、緑が「調査済み」の3段階の区分となる。建物は、柱が目に見えて傾いている状態だと多くが「危険」判定になっていた。住宅はいとも簡単に壊れてしまうのかと改めて感じた。


 住宅地の壊れ方は一様ではなく、激しく壊れている区画と、それほど壊れてはいない区画とが入り混じっていた。倒壊していたり、瓦礫を撤去されていた住宅の区画は飛び飛びに存在し、まるであたかも、巨大な怪獣が歩いた跡のように感じられた。

 特撮の怪獣ものでは、建物が次から次に壊される。昭和の特撮は戦争体験者が作っていたから、その記憶もあったのかもしれない。戦後は遠い過去になったが、日本ではまだ、地震が街を破壊している。


 現地を歩いて気付いたが、大通りを渡る歩道橋はほとんど壊れなていなかった。歩道橋は軽い上に、しなやかな鋼鉄でできていたので、震度7の地震にも容易に耐えられたようだ。壊れた歩道橋もあるにはあったが、数えるほどだった。


 ふと電柱を見ると、誰かが勝手に貼り付けたチラシがあった。中には新興宗教の勧誘チラシもあった。ボランティアを奉仕活動で行う教団もあったと思うが、さすがにこう露骨に被災地で布教するのはどうかと思った。


 ときどきヘリコプターが飛んでいた。この日見たのかは不確かだが、1機、陸上自衛隊の攻撃ヘリコプター、AH-1S「コブラ」が飛んでいたのは覚えている。視界がいいヘリコプターなので現地の視察に適していたのだろうと思う。


 適当なところで折り返して、阪神の線路の北にある通りを歩いた。

 石屋川車庫が気になったので近づいてみた。テレビなどで車両を多数巻き込んで崩壊していた映像の、現地を確認したかった。しかし、見に行ったことは覚えているのに何を見たのかが思い出せない。今当時の写真を見ると、北側は間に車庫があって見えないようになっていたと分かった。見えなかったので、覚えていないのだと理解した。

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