ポートタワーと輸送艦

 メリケン波止場は、護岸はガタガタに壊れていたものの、建物などはそれほどは壊れていなかったと記憶する。なにより、ポートタワーがほとんど無傷なように見えた。

 ポートタワーのくびれのある優美なスタイルは、直線の鉄骨を組み合わせて作られている。簾でも確認できるが、棒を平行に並べた簾を海苔巻きを作るようにくるっと丸めて、両端を持ってねじると中央がくびれた双曲線になる。直線で構成されているのに曲面が現れるのが不思議である一方、直線の鉄骨はまっすぐ力を伝えるので、構造物としては丈夫になる。構造的な合理性と美しいフォルムを両立させた優れた設計だと思う。昭和38年の完成で、この年代の建物は軒並み大きく壊れていたが、ポートタワーの損害は軽く、公式サイトによると28日後のバレンタインデーにはライトアップを再開したとのこと。


 メリケンパークの対岸には第一突堤がある。このふ頭は耐震護岸だったらしく、港の機能を維持していた。ここに海上自衛隊のグレーの輸送艦が2隻停泊していた。

 写真を見ると手前が番号4101で、輸送艦「あつみ」と分かる。1972年就役の船で、阪神大震災に派遣された後1998年に除籍となった。

 「あつみ」とふ頭との間に挟まる1隻は、寸法がやや大きいので「みうら」型輸送艦の1隻と分かる。しかし、番号が読めないので船の特定が難しい。艦首の3インチ連装砲とその近傍の細部を写真と見比べて、4152「おじか」と判断した。「おじか」はwikipediaによると、1992年の自衛隊のカンボジア派遣で輸送任務に就いたとある。

 「あつみ」も「おじか」も艦首に扉がある戦車揚陸艦、LSTのスタイルで、艦首から浜辺に乗り上げ、扉を開いて車両や人員を上陸させる。逆に言えば、それが可能なように平底になっていて、揺れを抑えるフィンスタビライザーを持たない。上陸作戦も日本本土を想定しており、外洋を渡航できる船ではない。

 カンボジア派遣のときは、「みうら」と「おじか」が補給艦「とわだ」を引き連れ、陸自の隊員と装備を載せ、バシー海峡を抜けてカンボジアのコンポソムまで16日間の無寄港航海を強行した。行く手には台風19号がおり、船は激しく揺れて、屈強な陸自隊員もひどい船酔いになり阿鼻叫喚となったという。宮嶋茂樹:『ああ、堂々の自衛隊』より。


 神戸港は商業の港で、戦後は軍艦が入港することがなかったという。神戸の造船所では潜水艦を建造しているがそれはまた別の話。しかし、震度7の激震に襲われたのでは、輸送艦を受け入れないわけにはいかない。

 関西では、自衛隊に馴染みがない人も多かったが、阪神大震災がその意識を変えた。自衛隊も、平成の海外派遣と相次ぐ災害派遣で、急速に日本になくてはならない組織だと認識されていった。

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