住吉まで電車が復旧
2月9日の木曜日。前の日にJRが住吉まで復旧した。今日はそこに行こうということになった。7日と同じ3人のチームで行動した。
これを書くために阪神大震災のときの鉄道の復旧状況を調べてみた。この日住吉駅まで電車で行ったのは、六甲ライナーの始発駅があることを覚えているので間違いない。前々日より3駅も西に行けたのでかなり助かった。
住吉駅からどう歩いたのかはあまり覚えていない。駅のすぐ南の国道2号線を西に行けば三ノ宮駅まで1本道なので、それを歩いたのかもしれない。住吉からだと7kmほど歩けば到着できる。前ほどは歩かない。
それで結局、三ノ宮駅にまた行った。
駅の周りは変わらず賑わっていた。
ちょうど昼時だったので、三ノ宮駅でまたしばらく休憩したと記憶する。
昼食はどうしたのかと記憶を辿ってみると、どうやら駅前に出ていた屋台でラーメンを食べたようだ。
地震からもう3週間が過ぎ、三ノ宮は西側から電車で容易に来られる。屋台は炊き出しではなく普通に有料で、どちらかと言えば被災者より、ここに見物に来ている人向けの店ではないかと思った。そういうわけで、遠慮せずに屋台のラーメンを食べた。
容器は発泡スチロールのどんぶりで、食べ終わったら余った汁はザルを乗せたバケツに捨て、脇の袋にどんぶりと割りばしを捨てる。ザルが載ったバケツは覚えている、ような気がする。しかし、人の記憶は容易に改変されてしまうので、30年近く前のことが事実かどうかは確信がない。
今なら屋台かラーメンの写真を1枚は撮っていたと思う。
この頃はフィルムカメラなので、7日から9日にかけて撮った写真は24枚撮りのフィルム1本だけだった。持っていった一眼レフのカメラは私物だったが、フィルムと現像は会社のお金なので、余計な写真は撮れなかった。
ちなみにレンズは、荷物を減らす、暗くてもちゃんと写る、というのを重視して50mmで明るさF1.4の単焦点レンズをカメラにつけていた。ズームはダサいという若さゆえのイキり思考と、長い出張の不安から余計なものを持ちたくないという二つの要素もあった。しかし、50mmのレンズでは画角が狭く、思うように写真が撮れなかった。28mmのレンズもあったので、迷ったら画角が広い方、写っているものは拡大できるが写らないものはどうにもならない、というのがこのときの教訓。
実はレンズもカメラもまだ手元にあって、レンズはまだ完全に使える。カメラは電池を入れれば動くが、正常に写るかは未確認。買ったときはこんなに長持ちするとは思わなかった。
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