役に立たなかった耐震連結装置

 高架橋を一通り見てから、小さい公園で一休みした。弁当を食べ、焚火に当たっている現地の人の話を少し聞いた。平時だと公園で焚火は禁止事項だが、震災の後なので一斗缶に薪をくべた焚火があった。薪は壊れた家の一部ではと想像された。

 話といっても、地震で家や、あるいは家族も失ったかもしれない人になんと声をかけていいのか分らなかった。同行の先輩が「大変でしたね」、「そうですね」と短く会話をするのをそばで聞いた。被災者とふれあったのはほとんどこれだけだった。


 帰りは国道43号の南側を歩き、高架の高速道路を外から見て歩いた。橋脚も壊れていたが、それ以外もかなり壊れていた。

 多くの橋は、横に渡した橋桁が道路などの重さを支えている。そして、橋桁は橋脚の上に「支承」という部品を介して載せられている。支承は小さな部品だが、自動車で言えばタイヤに相当するそれなりに重要なもので、橋の重さを支えながら橋の撓みや温度変化などの変形を吸収し、地震のときは橋桁の慣性力を支える。

 支承も地震については、震度0.2から0.3あたりの荷重で設計されていた。結果、阪神大震災では多くが壊れてしまった。国道の脇を歩きながら、その壊れぶりを観察した。壊れるだけではなく、金属の破片が地面に落ちていた。人に当たればかなり危険なものだ。

 支承だけでなく、橋桁そのものも壊れていた。支承が弱ければそこで壊れ、強ければその上の桁の鋼板が曲がって壊れる。設計した荷重を何倍も超える力がかかるとどうしてもそうなる。

 支承が壊れると、橋桁が動き回ることを止められなくなる。震災の写真で橋桁が落ちて前輪もいっしょに落ちそうになり、ギリギリで難を逃れたバスが知られる。ああいった落橋がいくつか起きた。

 実は、このような事態に至らないために「耐震連結装置」というものがあった。橋桁と橋桁の間を鋼板とボルトで繋いであって、万一のときも橋が落下しないように設計してあった。

 ノースリッジ地震のときに、「日本はああいうことは起きない」と言った根拠の一つがこれだった。橋のどこかが壊れるかもしれないが、橋桁が勝手に動いて落ちることは阻止できる。そう信じていた。

 しかし、実際に震災後に目にしたのは、地震の力が強すぎて引きちぎられた耐震連結装置だった。橋が落ちなかった場合も、耐震連結装置が壊れた個所はいくつもあった。橋脚の天端の寸法をいくらか確保してあったので落橋しなかった、それだけのことだった。

 少し釈明すると、橋脚の天端の寸法は1980年頃から十分に確保する設計になっていて、これで救われた橋も多かった。

 そうはいっても、地震のときフェールセーフとして機能するはずの耐震連結装置が壊れたのではどうしようもない。この震災で技術者が大いに反省させられたことの一つだ。

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