傾いた摩耶大橋を渡る

 摩耶埠頭まで行くと、西に摩耶大橋が見えた。

 摩耶大橋は「斜張橋」というタイプの橋で、路面より上に建てた搭から斜めにケーブルを伸ばして桁を吊っている。

 高速道路の湾岸線の深江町と魚崎町の間に架かる東神戸大橋も同じく斜張橋で、関東では横浜ベイブリッジがよく知られている。

 横浜ベイブリッジや東神戸大橋はケーブルの段数が多い。大規模な橋を架けるには多くのケーブルが必要になるし、多数のケーブルはたとえ1本、2本切れても橋は持ちこたえることができる。ケーブルを多段化することで冗長性を持たせている。

 摩耶大橋は1966年、昭和41年竣工の古い橋で、日本の斜張橋としてはごく初期の橋と言える。このためケーブルは2段しかない。斜張橋はコンピュータの助けなしには設計できない橋で、当時のプアな電算機ではこれが限界と言えた。

 それでも、船を通すために海面から18mの高さを確保した建築限界を超え、橋脚から橋脚の間、支間長は140mほどある。スマートな鋼桁だけでこれだけの長さを支えることは難しく、路面から高さ32mの塔を桁の上に建て、そこからケーブルで吊ることで構造が成立している。


 摩耶埠頭から、アプローチ橋の上り坂の先に摩耶大橋の主塔を見ることができた。遠目からも赤く塗られた搭が傾いていて、地震で損傷していることが分かった。

 東神戸大橋も、ただ眺めるだけだと無事であるように見えたが、よくよく見ると橋の端部が持ち上がっていて、路面に大きい段差ができていた。ただ、ピルツ橋脚の橋のように崩壊することはなかった。これは、東神戸大橋が地震の前の年の1994年に開通した当時最新の橋だったためで、設計で想定した地震もそれなりの強さだった。また、地盤が柔らかい沿岸部は地震の揺れが少し弱かったことが分かっている。こういったことから、設計の想定を超える地震だったために損傷を免れることはできなかったが、崩壊はせず、後に修復されて現在も使われている。

 摩耶大橋は、3基の背の高い橋脚の上に、鋼製の支承を介して架けられている。アプローチ橋の坂道を登ってみると、橋を支える支承が壊れていて、それで傾いているのだと分かった。橋と橋の境目は路面は段差や開きができて、車が通れる状態ではなかった。


 といっても、今すぐ落ちるというような危険な兆候はなかった。そこで、皆で渡ってもっと西に行くことにした。路面は海上20mを超える高さにあり、神戸の沿岸部をよく眺められた。いくらか路面や搭が傾いているが、特に不安なく海を渡ることができた。

 隣に第2摩耶大橋が平行して架かっていて、こちらは傾いてはいないものの、橋脚の方にコンクリートの裂け目があったりして、やはり相応の被害を受けていた。


 壊れて傾いた橋を渡るのは、今の基準だとけっこう危険なことだったかもしれない。しかし、周囲を見ると作業着にヘルメットの同業者が何人もいて、相前後して橋を渡った。橋が壊れた状況をもっとよく見たい。渡れるなら先へ行ってみたい。考えることは皆同じようだった。

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