地震と火災

 ここで、阪神大震災のときの火災について。といっても実体験ではなく報道などで知ったことを。

 この地震は都市部を襲ったため、大規模な火災が発生した。特に長田区ではかなり広い範囲が燃えてしまった。

 被災した家屋には木造の戸建て住宅も多かった。二階建ての家屋が密集しているような土地で火災は次々と延焼し、消火が全く追いつかなかった。

 二階建ての家では、子供夫婦と孫が二階にいて、老いた両親は階段を使わなくてすむ一階にいるというところが多かった。地震の揺れに対して柱にかかる力は下の階の方が大きい。早朝に起きた地震では、一階がひしゃげて潰れてしまう被害が多く生じた。これに対して二階は比較的原型をとどめて、壊れた二階の上に残っていた。

 もちろん、二階まで潰れた家もあるし、一階二階とも大きい損傷がなかった家もあった。家は個々に構造も作られた年代も違うため、様々な壊れ方があった。

 一階だけが潰れたケースでは、二階にいた子供の家族は生き延びることができたものの、下で寝ていた両親が家屋の下敷きになり亡くなったということがあった。

 壊れた一階で致命的な負傷を免れた場合も、倒れた家具、あるいは崩れた家屋により身動きができないことがあった。地震の直後、崩れた家の中から助けを求める声が聞こえた場合は、その場にいた人が総出で瓦礫を動かし、なんとか助けようとした。

 しかし、近くで火災が発生した場所では、助ける前に火の手が回ってきてしまうことがあった。

 二階からどうにか脱出できたものの、一階の両親の生死が分からないまま、家に火が燃え移ってしまったため泣く泣く避難する人が少なからずいた。

 家の中で家族の声が聞こえ、生存が分かっている場合も、どうにもならなかった。潰れた一階の奥から、火事を悟った肉親から「自分たちのことは置いて逃げなさい」と言われた人もいた。そう言われてすぐに逃げられるわけがない。

 地震だけであれば、いくらか時間がかかっても助けを待つことができた。

 火事だけであれば、自宅が延焼する前に家から逃げることができた。

 地震の後に火災が広がると、悲劇は累積されてしまう。

 翌日以降、炎が消えて焼け跡になった自宅に戻ってみると、肉親のご遺体は焼き尽くされて骨になってしまっていた。街全体が焼け跡になってしまったような場所で、やりきれない気持ちを言葉にしつつ、家族の遺骨を拾う人々の姿がテレビに映された。


 神戸の大規模な火災現場で、焼け跡がそのまま残っているのをこの目で見たのは青木駅の駅前だけだった。5月になって長田区の被災地域に行ったときは瓦礫が撤去され、更地が広がっていた。元は市街地の小道だった通りを歩くと、イタチが道を横切って草が生え始めた荒れ地のどこかに消えていった。

 焼け跡だった場所に人影はまばらだったが、残った建物や仮設住宅などに一面に絵が描かれていて、復興を目指す地元の人の意気込みが感じられた。

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