高速道路の橋脚

 青木駅から、すぐ南にある高架の高速道路の被害状況を観察した。

 国道43号線の片側3車線計6車線の道路の中央に橋脚が並び、その上に高速道路の高架橋が架かっている。ここから少し大阪側に戻った深江に、一連の橋が全て倒壊したピルツ橋脚の橋があった。他にも落橋した個所は複数あり、残った橋もどこかしら壊れていた。

 平時であれば国道も常に車が大量に走っている騒がしい場所のはずだが、震災後、応急的に復旧されたのは一番外側の車線だけで、中央の4車線分は歩くことができた。そして、橋脚を1基1基見ていった。今すぐ倒壊するというような危険は感じなかったが、微妙に傾いているものが多くあった。神戸側に西へ西へと歩いていくと、被害の形態と、被害の程度が様々なおよそあらゆるタイプの橋脚の壊れ方を観察することができた。

 特に大通りとの交差点では、橋脚の間隔が広い(専門用語では支間長が長い)区間があり、そうすると支える桁の重量が大きいので橋脚も四角く太いものになる。これが袈裟懸けに切られたように壊れて落ち込み、橋桁が下に向かって曲がってしまっている橋も見られた。当該の橋脚は鋼板で覆われてコンクリートで固め、それ以上崩れないように応急処置されていた。

 橋脚が壊れた理由は、第一に鉄筋の不足による。関東大震災の教訓から、建物や橋は自分の重さの0.2倍程度の荷重を水平方向にかけ、それでも壊れないものを作るのがよいとされた。設計水平震度0.2による耐震設計だ。その後震度が0.3まで増やされる橋もあったものの、多くの橋がこの程度の水平力(慣性力)で設計されていた。

 阪神大震災では、地震波の分析から慣性力は最大で自重の2倍程度になっていたとされる。設計したときの荷重より一桁多かった。これでは家も橋も無事でいる方が奇跡だ。

 ピルツ橋脚も、昭和40年代の設計のため鉄筋が少なかった。地震時に橋脚が曲げられ、その時に鉄筋が伸びて降伏し、あるいは鉄筋の継ぎ目が破断し、そこから斜めに橋脚が割れて、簡単に崩れてしまった。

 「もっと丈夫に設計できなかったのか?」という問いはもっともなことだが、鉄筋を設計基準が求めるものより多く配置すると、鉄筋は高価なので無駄遣いを会計検査院から指摘され、最悪「差額を出せ」となる。

 阪神大震災の教訓から、橋脚は鉄筋を大量に入れるようになったし、古い橋脚も補強や架け替えが進められ、大地震で橋がこれほど多く壊れることはなくなった。


 阪神大震災のちょうど1年前、アメリカでノースリッジ地震が起き、いくつか橋が壊れた。調査に行った技術者は「日本の橋は耐震設計が行われており、このようなことは起きない」という旨語っていた。これはその人だけではなく、多くの日本の技術者がそう考えていた。この震災でそれが誤りだと分かり、頭をガツンと殴られるようなショックを受けた。

 関東大震災のとき、確かに震度0.2でさえ耐えられない構造物がたくさんあった。しかし、0.2で設計したら大丈夫だという保証も、結局のところなかったのだ。

 平成2年の設計基準(道路橋示方書)から、一応1.0程度の震度での設計も取り入れられつつあった。しかし、抜本的な震度の引き上げは阪神大震災の以後となった。

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