第104話 悪魔の提案
オルタンシアははあ、とため息をついた。
「貴方の主張の真偽については、今は置いておくとしましょう」
彼は気まずそうに目を逸らす。しかしすぐにミモザへとそのすみれ色を向けた。そこにはもう、明らかな敵意はなかった。
「それはともかくとして、野良精霊の異常についても目をつぶってくださると?」
「それなんですが、オルタンシア様」
ミモザは待っていましたと言わんばかりににやりと笑ってやる。
「精霊の養殖のための牧場を作る気はありませんか?」
オルタンシアは訝しげな顔だ。
「世間が許すわけがありません」
「隠して行えばいいんです」
おそらくそれはもうすでに何度か考えた案だったのだろう。彼は迷いなく首を横に振る。
「貴方の言わんとすることはわかりますよ。しかし牧場となれば広い土地が必要になります。隠し切れるわけがありません」
「あると言ったらどうです?」
「はい?」
ミモザは我が意を得たりと笑う。
「誰にも見つからない広大な土地が塔の中にあると言ったら?」
それは第6の塔の聖剣があった空間のことだ。あそこには森があり鳥の鳴き声もしていた。つまり生物が生存できる環境が整っているということである。難点をあげるならば水中を通っていかねばならないため精霊の移送が大変だが、そこは金の祝福を持っていて大きな泡の膜を作れる人材に頑張ってもらうしかないだろう。
「……それは」
「その場所を知っているのは現状僕とーー、えっと、保護研究会の人がちょっと近いところまで知ってるんですが、彼らは中への入り方は知りません」
「……その方との繋がりは今は詮索しないでおきましょうか」
「えっと、どうですかね?」
じっとりとした視線から逃れるようにミモザは結論を急かす。それにオルタンシアは嘆息する。
「養殖した魔導石をどう市場に流すのです? 大量の魔導石を売り払えば疑問に思われて足がつきますよ」
「それに関しては、どうでしょう。アズレン殿下に一枚噛んでもらうというのは」
「………貴族派と手を組めと? 自殺行為だ」
「殿下は貴族派ではないでしょう。彼は中立だ。違いますか?」
「…………」
「僕は少ししか話したことはありませんが、あの方は自身のことを国の守護システムだとおっしゃられました。そして貴族の令嬢もレオン様のことも等しく臣下として扱っておられた」
なによりセドリックのお墨付きもある。殿下は貴族や平民といった区分けにはあまり拘らない実力主義者なのだ。
「ーーだとしたところで、」
「賢君であられるアズレン殿下にとっても魔導石の枯渇は頭が痛い問題なはずだ。その解決の一歩となるのであれば手を組んでくれるのでは? 提案だけなら問題ないはずです。まだ実行には移していないのですから。賛成されなければまた別の協力者を探せばいいだけだ」
「私のしたことを黙って提案すると? そもそもその野良精霊の異常の事件についてはどう収めるつもりです。原因不明で済ますつもりですか? そのような提案をすれば私が犯人だと名乗り出るようなものです」
「別の犯人を仕立て上げればいいではないですか」
ミモザは見透かすようにオルタンシアの瞳を覗き込む。
「もう、濡れ衣を着せる相手に検討はつけてらっしゃるのでしょう?」
「……貴方は、思いのほか色々と察していらっしゃるようだ」
ミモザは苦笑する。ミモザのはゲーム知識を使ったズルである。
濡れ衣を着せる相手とは、ステラのことだった。
ゲームの『ミモザ』は殺された時、ステラに何かを伝えようとしていた。
ゲームの『ミモザ』も今のミモザと同様の流れで恋の妙薬の影響とその犯人に気づいた。そしてそれと同時に、ステラの移動と精霊の異常の相関関係を理由に彼がステラにその罪をなすりつけようとするかも知れない可能性にも気づいた。そしてその危険をステラに伝えようとして口封じに殺されたのだ。
けれどゲームではおそらくオルタンシアはステラ達に返り討ちにされたはずだ。でなければ今のステラがミモザを殺した犯人を知っているはずがない。
「姉に押し付けるのは無理があります」
きっとゲームと同じ手段で、ステラはオルタンシアを断罪するだろう。
「姉が田舎から一歩も出ていない時から異常は発生していました。つじつまが合わない」
「ではどうしろと?」
「都合の良い方がちょうど牢屋におられます。どうせ処刑されるのでしょう」
世間にラブドロップをばら撒きまくった彼である。彼が故意に引き起こしたというよりは、彼がばら撒いた恋の妙薬をその辺に落としたり捨てたりする人間によって偶発的に異常が起こったと言えば、例え彼が罪を否認したとしても理屈は通る。
「アズレン殿下には、彼を犯人であるとお伝えするということですか」
「彼と姉の行動をたどった結果、恋の妙薬が精霊の増殖に使えるとわかったとお伝えすれば、話の流れはスムーズではないですか?」
オルタンシアは意地悪げに笑う。
「まるで貴方の姉を庇うような提案ですね」
「そのような意図はありません。ただ矛盾を可能な限り減らそうとするとそうなるというだけです」
ふ、とオルタンシアは笑う。
「では、主な原因はバーナードのばら撒いた薬、そしてステラ君は無自覚にいくつかを誘発していた、という形になりますかね」
オルタンシアもミモザと同じ考えに至ったのだろう。ミモザの思考をなぞる発言をした後、思案するようにミモザに訊ねる。
「本当にばれないとお思いですか? アズレン殿下にも、レオンハルト君にも」
「そこはそれ、オルタンシア様はもともと騙し通すおつもりで今回の事件を起こされたのでしょう?」
ミモザはにっこりと花の咲くような笑顔で笑った。
「責任を持って、騙しおおせてください」
「……随分と簡単に言ってくれますね。細部があまりにもずさんで大雑把な提案だ。ですが、」
彼は諦めたようにため息をついた。
「悪くはないですね」
一通りの話を終えて、では帰ろうかとミモザが講壇の前を離れようとすると、
「ミモザ君」
オルタンシアが声をかけてきた。ミモザは彼に向き直る。
「これで私と君は共犯です。末長く仲良くしましょう。現状では、どうやら君は役に立つらしい。……レオンハルト君に害をなす気もなさそうですし」
そう言って彼は手を差し出す。ミモザがその手を握ろうかとしたところで、
「ただし、今後レオンハルト君の邪魔になるようなら殺しますが」
ミモザの手は止まった。オルタンシアの顔をまじまじと見つめる。彼は完璧に整った柔和な笑顔を浮かべていた。
「……モンペ怖い」
「何かおっしゃいましたか?」
オルタンシアの笑顔がぴくりと震える。
「いいえ」
ミモザはそそくさとその手を掴んで握手をする。
「よろしくお願いします」
「まったく」
こんなのの一体どこがいいのやら、というオルタンシアの嘆きは聞こえないふりをした。
「ガブリエル」
ふいにオルタンシアが自らの背後へと声をかけた。暗がりからゆっくりと名前を呼ばれた男が姿を現すのにミモザはぎょっとする。
まったく気づかなかったからだ。
そんなミモザの様子にオルタンシアはふ、と口の端だけで笑った。
「私が無防備に一人で来るわけがないでしょう。いざとなれば口封じをしなくてはならないというのに」
「………なるほど」
いまさらになってミモザの背筋に冷たい汗がつたった。一対一ならともかく、オルタンシアとガブリエル二人を同時に相手取れる気はしない。
(一歩間違えば死んでたな、これ)
ぞっとしない話だ。
「我々が先に出ますから、ミモザ君は時間を開けてから立ち去ってくださると助かります」
「そうですね」
それに同意した後で、ふと、ミモザはあることを思いついた。
「オルタンシア様」
振り向いた彼にミモザは録画装置を取り出して見せる。
「これに関してなんですが」
「ああ、撮れましたか」
「いいえ」
「…………」
じっとりとオルタンシアがにらむ。その目は真面目に仕事をしろと言っている。それに慌ててミモザは手を振った。
「ですが、いい方法を思いつきまして」
「いい方法?」
訝しげな彼の耳元に口を寄せて囁く。オルタンシアはその提案に目を見開き、やがて嫌そうに顔を歪めた。
「随分と酷い作戦だ」
「嫌ですか?」
「まぁ……、有用ではありますね」
彼はいかにも嫌々といったふうに録画装置を受け取った。
ステラは一周目でのオルタンシアの罪を知っている。一周目で一体どうやってオルタンシアを返り討ちにしたのかは知らないが、決定的な証拠を押さえて罪人として捕え、身動きを封じるに越したことはない。
「ガブリエル」
「はい」
「いざという時はお願いします」
「はい?」
ミモザとオルタンシアの密談の内容がわからないガブリエルは戸惑いの声を上げた。
ミモザはゆったりと夜道を歩いていた。
とりあえずミモザの命の危機は去った。そのことに自然と足取りが軽くなる。
レオンハルト邸の門にたどり着く。窓の明かりは消え、その屋敷はひっそりと佇んでいた。
意気揚々と屋敷の扉を開けて中に入ろうとしたところで、
「………っ」
気配を感じた。ミモザは息を呑む。
「やぁ、遅かったな」
覚悟を決めてゆっくり扉を開くと、暗闇に包まれたエントランスで柱にもたれかかるようにして彼は立っていた。
「れ、レオン様……」
暗闇の中で、一瞬だけわずかに月の光が差し込んだ。その光を受けて黄金の瞳がぎろりと輝く。
「どこに行っていた?」
「えっと……」
まさか抜け出したことに気づかれているとは思っていなかった。最新の注意を払ったつもりだったのだ。
(どこまでバレた?)
オルタンシアのことだけは隠したい。彼の裏切りはレオンハルトの心を深く傷つけるだろう。
「俺には言えないか……」
黙り込むミモザに、諦めたようにレオンハルトが息を吐く。
「その、申し訳ありません」
他に言える言葉が思いつかず、ミモザは謝罪する。頭を下げるミモザに、ゆっくりと足音が近づいてきた。
(どうしよう……)
ぐるぐると思考が空転する。肝心な時はいつもそうだ。気の利いた言葉の一つも思い浮かばない。
足音がミモザの前で止まる。びくり、と身をすくませたミモザの頭に、
「……う?」
ぽんと手が乗せられた。そのまま緊張したミモザを宥めるようにその手は何度かミモザの頭を軽くぽんぽんと叩くと、
「顔をあげなさい」
降ってきた声にミモザは恐る恐る顔をあげた。そんなミモザの態度に彼は呆れたようにもう一度深く深くため息をつく。
「怒ってはいない」
「は、はぁ……」
「言っただろう。俺は君を疑わない」
「………っ」
ミモザはうつむく。彼は腕を組むと、
「答えられる質問にだけ答えなさい」
と優しい声音で告げた。
「は、はい……」
「今日の外出は君が死ぬかも知れない件と関わりがあるのか?」
「はい」
「会っていた相手は俺には言えないか?」
「……はい」
「………解決したか」
ミモザは顔を上げる。彼は複雑そうな顔で、けれど許すように微笑んでいた。
「はい!」
「ならいい」
彼はそれだけ言うときびすを返す。
「レオン様!」
何かを言わなければならないのに言葉が思いつかない。ミモザのこの行為は、彼を傷つけただろうか。
「ごめんなさい……」
結局ミモザにはそれしか言えない。彼はミモザを許してミモザは救われた。けれどそれでは彼に負担をしいているだけではないか。
(不甲斐ない)
もっとちゃんと、やれるつもりだったのに。
「貸し一つ」
レオンハルトの言葉にミモザは弾かれるように顔を上げる。彼は振り返るとミモザに言った。
「君にはもうすでに貸しがあったな。明日、それを返してもらおう」
にやり、と意地悪げに彼は口の端を吊り上げる。
「明日は俺の言うことをすべて聞きなさい。それですべてチャラだ」
「………っ」
彼には助けられてばかりだ。けれど彼のこの気遣いを受け取らずこの話題を引きずることの方が不義理な行為だろう。
「はい」
「それでいい」
レオンハルトは苦笑するように笑った。微笑みに彼の瞳が蜂蜜のように甘く溶ける。
「おやすみ。良い夢を」
「おやすみなさい」
今度こそ彼はその場を立ち去った。
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