第103話 すべての根源
破れた屋根の向こうに浮かぶ月を見ていた。
場所は郊外の古びた教会である。セドリックがステラとミモザ殺しの犯人が密会していたと教えてくれた場所だ。
ここでミモザは待ち合わせをしていた。
他でもない、これからミモザを殺そうとするはずの人物とである。
講壇の前に立ちミモザは机をなぞる。半分朽ちかけたそれはささくれだっていた。その場所にはまるでスポットライトのように光が降り注ぎ、ミモザの姿を暗闇の中から白く浮かび上がらせる。
ハニーブロンドの髪とまつ毛が光を受けてきらめいていた。真っ白い肌は月光でさらに白く輝き、伏し目がちな青い瞳は風のたたない湖のように透き通っている。
少女の背後には、かろうじて残った女神を模したステンドグラスの窓があった。
ふと、静かな闇の中に足音が生まれた。その音の方向へとミモザは顔を向ける。
「ようこそ、お待ちしておりました」
ミモザは両手を広げて歓迎した。
その男は紫がかった黒い髪をきっちりと後方に撫で付けていた。いつもの法衣を身に纏い、すみれ色の瞳は静かにこちらを見つめる。
「オルタンシア様」
ミモザは告げる。
「あなたが、野良精霊の狂化と異常繁殖を引き起こしたのですね」
ミモザの呼びかけに、彼は穏やかに微笑んだ。
ミモザは誤解していたのだ。
ゲームの記憶のことである。レオンハルトが狂気に呑み込まれた時、彼はオルタンシアの遺体を持っていた。だからてっきりその場面だけを見て、オルタンシアが殺されたことがきっかけで彼は狂ってしまったのだと思い込んでいた。
しかし違ったのだ。
オルタンシアを殺したのはレオンハルトだ。
オルタンシアがミモザを殺したと、それを知ってしまったから彼は狂ったのだ。
「別に、ここで認めてもいいのですけどね」
彼はカツカツとミモザに歩み寄ると、その目の前で足を止めた。
「しかしここは様式美として聞いておきましょうか。何故そう思うのですか?」
ミモザはそう尋ねてくる男を無表情に見上げた。男は微笑みを崩さないままだ。
「こちらをご覧ください」
ミモザはぺらりと二枚の地図を取り出して見せた。それはステラの移動箇所と日付を記載した物と野良精霊の異常が起きた箇所と日付を記した物だ。あの後レオンハルトの目を盗んで書き写してきたのだ。
その二枚をミモザは重ねて月明かりにかざす。二枚の地図の印のついた箇所はいくつかがぴったりと重なった。
「これは姉の移動を記した物、これは野良精霊の異常があった箇所を記した物です。すべてではありませんが、姉の滞在した場所での異常の発生率は90%を超えます。これは偶然ではあり得ません」
「なるほど? それが?」
オルタンシアは余裕の表情だ。
「私と一体何の関わりがあると?」
「問題は、この異常を引き起こしている原因が何なのかなのです」
ミモザは地図を持つ手を下ろした。
「姉の使用する毒、あれは恋の妙薬と同じ効果を持ちます。効果は対象を恋に落とすこと。恋に落ちた者が次に一体何を行うか」
答えがわかっているだろうオルタンシアが、笑みを深めた。
「繁殖行為です」
そう、つまり、
「野良精霊の異常繁殖は恋の妙薬によるもの。狂化の多発は恋の妙薬によってもたらされた精神的ストレスが引き金となって起きたものです」
恋の妙薬は過度に摂取すると共依存を引き起こし、無理心中などの事件が多発したと言ったのはオルタンシアだ。では自殺の概念のない精霊ならば一体どうなるのか。その結果がこれだ。依存心は発散できないストレスとしてうちにわだかまり、狂化を引き起こしたのだ。
「姉のこれはただの過失です。おそらく戦闘で不用意に毒を打ち込んで取り逃したか、人間を対象として毒を空気中に放出して野良精霊がその残渣を吸い込んでしまったか。しかしそのおかげで僕は野良精霊の異常と恋の妙薬を結びつけることができました」
恋の妙薬の生成法は禁忌として王室の書庫に封印されている。そこに出入りできるのは王族と教皇であるオルタンシアのみ。
ミモザを殺す候補の中では、オルタンシアただ一人のみである。
「私だという証拠は?」
当然のようにオルタンシアは訊ねた。
「ありません」
ミモザも答える。その答えに彼は失笑した。
「お話になりませんね」
「ええ。でも事実です。それに……」
ミモザはオルタンシアを見つめる。
「動機ならば、見当はついているんです」
「………聞きましょうか」
ミモザは息を吸う。息を吐いた。
「魔導石の枯渇ですね」
オルタンシアは表情を変えなかった。ミモザも無表情に話を続ける。
「魔導石は精霊の遺体からしか取れない。しかし精霊の繁殖速度よりも魔導石の消費のほうが遥かに速度が早い。いずれは枯渇してしまうことは皆わかっています。野良精霊の狩猟制限などは焼け石に水だ。枯渇を多少遅らせることはできても解決にはつながらない」
だから、恋の妙薬を使用して繁殖を試みた。そこまでは言わなくても伝わったのだろう。彼は小さく笑うと拍手をした。夜の静寂の中で手を打つ音が響く。
「正解です。最初は小規模な実験だったのですがね、へまをして少し大事になってしまいました」
「何故ですか」
思わずミモザはそう問いかけていた。彼は怪訝そうな顔をする。
「何がです? 今あなたが言った以上の理由は……」
「何故、僕のことを殺したがるのですか?」
彼は、ミモザのその問いかけを否定しなかった。
ゲームのミモザは真相に気づいたから殺された。これは間違いではない。
しかし彼を疑った時、同時にミモザは気づいてしまったのだ。
彼はミモザが真相を知る前から、ミモザに対して殺意があった。
ステラに共犯になるよう求められた時、本来ならオルタンシアはミモザに警告するのが普通だ。ステラが命を狙っているようだから気をつけるようにと。だってミモザはまだ真相に気づいていない。彼にはミモザを殺す動機がない。しかし彼はそれをしなかった。それは真相を知ること以外にも彼の中にあわよくばミモザが死んでしまえばいいという気持ちがあったことに他ならない。
「思えば貴方は最初から僕を殺したがっていた」
他にも思い当たる節がある。
「初めはそう、第4の塔立てこもり事件の時。あなたは僕を指名しました。あれはあわよくば僕が死ねばいいと思って指名したのでは?」
オルタンシアは答えない。しかしその顔はもう笑ってはいなかった。
「よくよく思い返してみたんです。恋の妙薬の件、姉の偵察、すべて僕に行くように促したのはオルタンシア様、あなたでした」
危険な事件にこそ、彼はミモザを指名した。積極的に殺すほどではないが死んでくれたら都合がいい。そう思っていたのではないだろうか。
「けれど理由がわからない。何故ですか。だってあの時僕はまだ、何も知らなかった」
オルタンシアは諦めたようにため息をついた。そうして重い口を開く。
「レオンハルト君が、君を愛してしまったからですよ」
「……は?」
ミモザはぽかんと口を開ける。二重の意味で唖然とした。しかし彼は淡々と言葉を続ける。
「初めて会った時、そしてレオンハルト君の様子を見て確信しました」
「何を言って……」
「気づいていないのですね、しかし心当たりはあるでしょう。君は彼の特別だ」
「……よしんばそうだったとして、なんで殺すことに……」
そこまで言って、ミモザははっと気がついた。
「もしかしてオルタンシア様、貴方はレオン様のことがす……」
「君が何を想像したかはわかりますが違います」
その彼の声音にはみなまでいわせぬ、という強い圧があった。
ミモザは少し考え込む。しかし答えは出ない。
「では……」
一体何故、と口にする前に、
「彼が完璧ではなくなってしまうからです」
オルタンシアが答えた。
「……はあ?」
「初めて会った時から、彼は完璧でした。完璧な英雄、完璧な騎士。それは彼の孤独によって成り立っているのです」
「孤独なんかじゃ……」
「いいえ、孤独です。孤独でした。貴方が現れる前までは」
意味がわからず混乱するミモザを、オルタンシアは嘲るように笑う。
「貴方にはきっとわからないんでしょうね、貴方の前にいる彼は孤独ではない。孤独だったころの彼を知らない貴方には完成された彼がわからない」
「ええ、わかりません」
憮然としてミモザは頷いた。
「レオン様は孤独ではないし完璧でもありません。それはきっと僕と出会う前から変わらない」
「いいえ、君は知らないだけです」
「…………」
ミモザは黙り込む。オルタンシアも黙った。二人の間に重い沈黙が落ちる。
「それは単に、貴方が彼に理想を映して見ていただけでは?」
それを破ったのはミモザだ。彼女はオルタンシアを呆れたように睨みつけた。
「絵画に理想を見るように、水面に姿を写すように、自分の理想を反映させていただけだ」
オルタンシアは答えない。ミモザと会話する気がもうないのかも知れない。むっとしてミモザは言葉を続けた。
「レオン様は、わりと意地悪で人をいじめている時が一番楽しそうに輝いています」
「……は?」
思わずというようにオルタンシアが声を出した。それにミモザはふんと鼻を鳴らす。
「レオン様はゴキブリが苦手です。見ると一目散に逃げ出します。レオン様は下ネタが苦手なので振るといつも嫌そうな顔をして話を流します。あと基本食べ物には興味がありませんが、香辛料が強いものはあまり好まないので大量にかけて差し出すと怒ります」
「……君、普段どんなことをしてるんですか」
呆れるオルタンシアの言葉は無視した。
「それは僕と出会う前から変わらなかったはずです。ただ見えてないだけだ、知らないだけだ、誰もしなかっただけだ」
ミモザは睨む。
「完璧ってなんですか? そんな人が完璧ですか。だとしたらとんだしょぼい完璧ですね」
「……なんとでもいいなさい」
ミモザはその言葉に笑った。言質を貰ったからだ。ミモザは遠慮なく言いたいことを言うことにした。
「オルタンシア様。貴方は、レオン様を愛しているのですね」
「……だからっ、私はそう言う意味では……」
「そう言う意味かどういう意味かはともかく、レオン様のことを愛している。だからそんなにあの人に夢を見るのでしょう」
「………っ」
オルタンシアはミモザを睨んだ。それは仇敵を憎むような強烈な目線だ。しかしミモザは表情を変えなかった。
「レオン様も、貴方をお慕いしています」
「馬鹿なことを……」
「では何故レオン様は教会騎士団の制服を着ているのです」
「それは彼が平民出身で……」
「貴方を信頼しているからだ」
「ーーーっ」
二の句の継げない様子のオルタンシアに、ミモザは飄々とうそぶく。
「今回の件は、なかったことにしましょう」
つん、とすました態度でこともなげに告げた。
「……はい?」
今度唖然とするのはオルタンシアの方だった。
ミモザはにやりと笑って人差し指を彼の目の前で振って見せる。
「貴方は僕を殺そうとなどしなかった。僕も殺されそうにはならなかった。オルタンシア様は精霊の暴走とは無関係だった」
「なにを馬鹿な……っ」
「そうしてください。そうでないと、レオン様が悲しみます」
要領を得ない表情のオルタンシアに、ミモザは説明する。
「今回の件を知れば、悲しみます。それは貴方も本意ではないでしょう」
「貴方が殺されかけたからですか? ですが貴方はまだ生きて……」
「いいえ、貴方が、僕を殺そうとしたからです」
「ーーーっ」
「他の誰でもなく、『貴方が』そうしようとしたから。レオン様が信頼している『貴方が』、自分を孤独にするという害意をもった行動をした。それが問題です」
それを知ってしまったら、レオンハルトは、
「きっと裏切られた気持ちになる」
「……そのために貴方を殺そうとしたことを不問にすると?」
「はい」
ミモザは頷く。
「僕は目的のためなら手段を選びません。レオン様を傷つける行為は、例え僕自身でも許しません」
そう告げる彼女の頂点では、ちょうど満月が輝きを放っていた。
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