第101話 セドリックの証言および主張

 天井や壁一面が石の重なりで作られ、その中には星のようにきらきらと淡い光を放つ石が所々に配置される。足元には静かな水面が広がっていた。

 第6の塔である。

 ステラは水底を移動していた。もうすでに祝福を手に入れているためその体は全身大きなシャボン玉のような空気の膜に覆われている。彼女はしばらくの間何かを探すようにうろうろと彷徨っていたが、やがて水上へと上がって行った。

 船の上で待っていたアベルとセドリックがそれを迎え入れた。

「大丈夫か?」

 アベルが気遣うように声をかける。それにステラは力無く首を横に振った。その表情は暗い。

「例の洞窟はやはりなかったのかい?」

 セドリックの問いかけに、ステラは目に涙を浮かべた。

「おかしいのよ、確かにここにあったはずなの」

 戸惑うように彼女は周囲を見回す。

「塔の上へ続く階段の右斜め手前で、壁際にあったから壁に沿って探せばあるはずなのに……。確かにこの辺りなのよ。ちょっと離れたところにあった洞窟も一応確認してみたけど、ただの行き止まりの洞窟で上に繋がってないの」

「ふぅむ」

 セドリックは面白がるような表情でうなった。

「その洞窟の中は上に伸びていて水上に出ると陸地があるのだったか。……本当にそんな洞窟があるのかい?」

「本当よっ!!」

「おっと」

 ステラの剣幕にセドリックは降参するように両手を挙げる。その態度にステラは苛々と爪を噛みながら言い募る。

「確かに前回はここにあったのよ! それで、鍵を挿せば聖域に入れて聖剣があるの!」

「わかっているよ、ステラ嬢。しかしもうそろそろ探し始めてから3時間ほどになる」

 セドリックは道化のようににこやかに笑った。

「前回聖剣を取ってしまったから今回はなくなってしまった。どうだい? この理屈では納得いかないかな?」

 むぅ、とステラはうなる。しかし思うところはあったのだろう。

「わかったわ……」

 しょんぼりと肩を落とすと渋々頷いた。

「そろそろ外も暗くなっちゃうものね……、わかったわ、帰りましょう」

 そう言うと心得たようにアベルが船を出口へと向けて漕ぎ出した。



 徐々に小さくなる三人を乗せた船の後方から、ぱしゃり、と小さな音を立てて水面に顔を出した者がいた。

 それはカッパーー、ではなくミモザだ。

 彼女は水中に潜み、三人の動向を伺っていたのだ。

 ちなみにカッパに見えたのはミモザが祝福により頭だけ空気の膜に覆われているからである。あいにくと銅の祝福のため、ステラのように全身を包むことはかなわなかったが、潜水するだけならば十分に事足りる。

「……やっぱりお姉ちゃんにあるのは『ゲームの記憶』じゃなくて『一度目の人生の記憶』みたいだね」

「チチチ」

 ミモザのほっぺたに張り付くようにして祝福の空気の膜の中にいたチロは、体をほぐすように伸びをしながら同意した。





 深夜、暗闇に溶け込むようにミモザは森の中に佇んでいた。月明かりで目立たぬようにそのハニーブロンドの髪はフードの下に押し込めて、伊達メガネをかけている。

 しばらく待っていると帽子を目深にかぶった長身な男がゆっくりと歩み寄ってきた。彼は軽い調子で片手を挙げて見せる。

「やぁやぁミモザ嬢、ご機嫌いかがかな?」

「特に良くも悪くもありませんよ、セドリック様」

 暗闇の中で面白そうに笑う緑の瞳と金縁のモノクルがわずかに光る。

 今日はセドリックとの情報交換をするために落ち合う約束をしていた。

 普段は伝書鳩を使用していて直接会うことはないが、やはり文章だけだと相談には不向きである。今後のお互いの行動の方針について擦り合わせるために一度どこかで直接話そうという話になり、今回の密会は成立したのだ。

「さて」

 とそうそうにセドリックは本題に入った。

「さすがに寝ているからないとは思うが、これがバレると私の身が危険でね。手短に済まそう。手紙で書いたように少し聞きたいことがあってね。ステラ嬢のあの妄想癖についてなのだが……」

 セドリックはミモザの内心を探るように目を細めた。

「あれは、本当にただの妄想かな?」

「……というと?」

 しらばっくれるミモザに、セドリックは小首を傾げる。

「最初はさして気にしていなかったのだがね、設定にブレがないのが少し気にかかったんだ。大抵は都合の良いように設定をその場その場で変えてしまったり、そこまでいかなくても破錠してしまうことも多いのに、彼女の発言にはそれがない。あと妙に現実を言い当てることもあってね」

 学者なだけあって、分析的な物の見方である。ミモザは困ったように眉を下げた。

「そうは言われましても……、僕も姉からその話を断片的には聞いたことがあります。ただすべてを通して聞いたわけではないですし……。確か『前回』の人生があるとかないとか」

「ふぅむ」

 疑うように彼はミモザのことを見ていたが、やがて納得したのか諦めたのか、「そうかい」と頷いた。

「まぁ、いずれにしろ荒唐無稽な話だ。よしんば真実だったとて証明は不可能だろうね」

「……セドリック様は姉の言っていることが真実だと?」

「さてねぇ」

 飄々とした態度で彼はどちらとも取れるような曖昧な返事をした。

「君はどう思う?」

 そして試すように質問をそのまま返してくる。

「………非現実的な話です」

「そうかい。そうだろうとも」

 うんうんと彼は面白そうにミモザのことを見下ろして頷いた。

「実に非現実的な話だとも」

「……僕からもいくつかお伺いしても?」

 この話題を引きずるのはまずいな、とミモザは話題を逸らす。

(墓穴を掘りそうだ)

 彼はミモザの反応を明らかに伺っている。面白がっている風ですらある。確証がないから踏み込んでこないのだろうが、なんとなく察しているものがあるのかも知れなかった。

「かまわないよ」

 彼は切り込むつもりは今はまだないのかミモザの話題逸らしに乗ってきた。

「セドリック様はなぜこのようなお話をお受けになったのですか?」

 彼はその質問に愉快そうに眉を上げる。

「セドリック様は助教授としても発明家としても成功されている。こんな危険を伴う仕事を請け負う理由は一体どこにあるのかと」

 ミモザはいまいちこの目の前の胡散臭い男を信じきれなかった。この男が攻略対象だということもある。そして夢に見たゲームの記憶。

 ミモザがステラの物を盗む泥棒イベントである。

 実はミモザが潜入してステラの持ち物を漁るという案はもうすでにセドリックから提案されていた。セドリックがうまいことステラ達を誘導して宿から遠ざけている間にミモザが荷物を漁るというものだ。しかしミモザはその泥棒イベントが脳裏をよぎり、その案に頷けなかったのだ。

 おそらくゲームでも同じような提案がありミモザはそれに乗った。しかしゲームでは何故かその最中にステラ達は宿に戻ってきたのだ。

(たんに誘導に失敗したというだけならいいが)

 もしも意図的に失敗させたのだとすれば、セドリックは非常に怪しい。

 ミモザとの接触が低いセドリックがミモザを殺す主犯である可能性は低いが、犯人とぐるである可能性はある。

「話したと思うがね」

「王子殿下へのご恩、ですか」

「そうとも」

 不信感を隠そうともしないミモザに苦笑して、彼は言う。

「少し昔話をしようか?」

「お願いします」

 月を見上げる。まだ話し始めてからそこまでの時間は経過していない。与太話をする時間くらいはありそうだった。


「学園、そして学院が平民を徐々に受け入れるようになってきているのは知っているかな」

「はい」

 ミモザは頷く。

「私はその一期生、いやゼロ期生とでも言うべきかな。まだ本格化する前に滑り込んだ口でね、その当時は学園へ入るのが精一杯で学院へ上がる道など用意されてはいなかった」

「ですがセドリック様は……」

 学園を首席で卒業し、そのままトップの成績で学院に入り、今は若くして助教授を勤めていると聞いている。そんなミモザの疑問に彼は頷いた。

「それが殿下へとご恩さ。私は彼のひと学年上でね。幸運なことに学園在学中に彼にその才を見出され、学院進学へと道を用意してもらえたのさ。その上、私の発明品を貴族へと売り出す伝手まで用意していただいた」

 それは知らない話だった。ミモザが知っているのは王道のサクセスストーリーだけだ。そんな裏話など知りようもない。

「今の私があるのはすべて殿下のお導きだ。それがなければただの一庶民にすぎない私など、今頃研究どころか肉体労働に明け暮れていたことだろうよ」

「なるほど……」

 それは確かに重大な恩だ。そんな相手に頼まれたら多少命の危険があっても引き受けてしまうだろう。

 もし彼が本当に王子の派閥に属しているというだけなのならば、

(僕の殺しには関わっていないのか……?)

「アズレン殿下は聡明なお方だ」

 セドリックが言葉を続ける。

「そして厳しい方でもある。実力主義者で能力のある者は高く評価する一方、無能には手厳しい」

「……そうなのですか」

 実力主義なのは知っていたが、厳しいイメージはそこまでなかったミモザは驚く。それにセドリックはおおげさにやれやれと肩をすくめて見せた。

「まぁ、手厳しいとは言っても何かを具体的にするわけではなくただただ静かに見限るだけだがね。あの方は他人に理想を見ない。行える者に行える業務を割り振るだけさ。しかし期待という圧力をかければ伸びると思う相手には容赦なく圧力をかけてくる」

 つまり、セドリックは殿下へと恩返しもあるが、見限られないためにも振られた仕事をせざるおえないということだろうか、とミモザが思案していると、

「そう! これはあの方に私の更なる有用性を示すチャンスなのだ!」

 彼はぐっと拳を掲げた。

「……ん?」

「このような密命、これは私がアズレン殿下に信頼されている証明! あの方は秘密裏に私のことを呼びつけておっしゃられたのだ!」

 常の飄々とした態度とはまるで違う熱のこもった態度でセドリックは言う。

「おまえにしか頼めない、と……っ!」

 感無量、と言わんばかりの態度である。

(えーと……)

 ミモザは考える。つまり……、

「セドリック様は殿下に傾倒なさっておられるのですね?」

「そうだとも! 傾倒しているし敬愛しているし崇拝しているさ! あのような素晴らしい方はこの世に二人といない!!」

 緑の瞳は暑苦しい情熱を宿してめらめらと燃えていた。

「つまり! 殿下はこの世の宝!!」

 理屈も分析もへったくれもなにもない。そこには感情的な青年の主張だけがあった。

「は、はぁ……」

 ミモザは若干引く。

(こんな人だったのか……)

 とても演技には思えない熱量に、これは王子が主犯でない限りこの人は殺人に関わっていないな、とミモザは静かにセドリックを容疑者から外した。

「……えーと、もう一つお伺いしてもよろしいですか?」

 ミモザがやっとそう切り出せたのは彼の王子讃歌を一時間ほど聴き終わった後だった。

 げっそりとしながら力なく尋ねる。

「おや?なんだい?」

「ご存知だったらでいいのですが、姉の毒の効能なのですが」

 一応答える気のあるセドリックの様子にほっと胸を撫で下ろす。

「女性相手には効かないということなどはあるのでしょうか?」

「ん? ああ、あるとも。その通りだ」

 たいして期待せずに聞いた質問はあっさりと答えを貰えてしまった。

「そもそも恋の妙薬自体も相手の性的嗜好までは変えられないのだ。あくまでも恋愛感情を抱く対象にしか効果がない。事例で言うと女性が女性に使用した際にその対象が異性愛者だったため、たまたまそばにいた無関係の男性に惚れてしまったというものがある。つまり女性が使用する場合は女性を性的対象として見ている相手にしか通用しない。これは恋の妙薬の話だが、ステラ嬢の毒でも同様の現象が観測できたよ」

「そうなのですか……」

 ではミモザが毒の餌食になる可能性はないということだ。

「ありがとうございます。勉強になりました」

「ああ、なに、かまわないさ」

 そう言った後に、セドリックは愉快げに口元を歪めてにやりと笑う。

「ミモザ嬢、くれぐれも気をつけたまえよ」

「何がですか?」

「ステラ嬢は君の命を狙っている」

「………は?」

 ぽかん、と口を開けるミモザに「聞いてしまってね」と彼はこともなげに告げた。

「街外れの古びた教会で君の謀殺の協力要請をしていた。どうやら要請相手にも君を殺す動機があるらしい」

「………っ! それは誰ですか!?」

 思わぬ情報にミモザの声量は思わず上がった。それに宥めるように手を動かしつつセドリックは

「わからない」

 と言う。

「わからない?」

「ああ、何せ暗闇で視界が悪くてね。相手はちょうど死角にいた。ロリスも近づけてみたが、この子は人の判別が苦手でねぇ」

 この子、とセドリックは自らの守護精霊であるカエルを示した。彼は申し訳なさそうに一声鳴く。

「……そうですか」

「申し訳ないね」

「いえ、ご忠告ありがとうございます」

 密会相手がわからなかったのは悔しいが、少なくともセドリックは容疑者から除外できた。今はそれでよしとしようとミモザは切り替えるようにそう自分に言い聞かせた。

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