第100話 チョコレート事件

 早朝のまだ新しい空気の中、その弾む声は聞こえてきた。

「ガブちゃん、今日もお仕事頑張ってね」

「あ、ああ」

「お弁当作ったからね」

 そう言うと彼女は「ばいばい」と可愛らしく手を振って銀色の髪を翻して弾むような足取りで立ち去った。

 その姿を見送った後、ミモザとレオンハルトは思わず顔を見合わせた。

 そしてその場に残された先ほどの会話のもう一人の当事者に声をかける。

「……どういう状況だ?」

「俺が聞きたい! 脳みそがバグりそうだ!」

 もう一人の当事者ーー、ガブリエルはそう言って頭を掻きむしった。

「どちらかと言うとバグってるのはフレイヤ様のキャラでは」

 そんな姿を見てミモザはぼそりとつぶやいた。

 二人が結ばれた翌日の朝である。昨日は姿を見なかったレオンハルトと朝にたまたま遭遇し、彼が教会へ用事があるというのでミモザはそれに付き添っていた。

 そして教会へ辿り着いて、さて中に入ろうかとした時に目の前で繰り広げられていたのが先ほどの会話である。

 頭を抱えているガブリエルに、レオンハルトは眉をひそめる。

「そんなに嫌なら断ったらどうだ」

「……くっ」

 ガブリエルは低くうめくと葛藤するように顔をしかめた。

「……正直、嫌いじゃねぇ」

「なら嫌がっているふりをするな」

 レオンハルトは嫌そうだ。おそらく話しかけるんじゃなかったと後悔しているのだろう。

 ガブリエルはそんなレオンハルトの態度に慣れているのか、気にした風でもなくマイペースに首をひねる。

「おかしいな、俺は胸より尻派なんだが」

「お尻よりなによりフレイヤ様派なのでは?」

 そんなガブリエルにミモザは苦笑して声をかけた。それにガブリエルも釣られたように笑う。

「……だな」

 観念したように幸せそうに肯定する彼に、ミモザは呆れたようにため息をついた。

「ところで嬢ちゃん、お前さんもちゃんとチョコ渡したかー?」

 そんなミモザの態度に報復するためか、にやにやと笑ってガブリエルは爆弾を落とした。ミモザは硬直する。

「フレイヤに聞いたぜ、一緒に作ったって」

「……なに?」

「え、えーと」

 レオンハルトは眉根を寄せ、ミモザは目線を泳がせた。

 そんな二人の反応にまずいことを言ったと気づいたのか、ガブリエルが両手をあげて一歩下がった。それをミモザは横目で睨みつつなんと言おうかと言葉を探す。

「誰に渡したんだ?」

 ずい、とレオンハルトが前に出る。

 笑って尋ねてくるその顔が恐ろしい。

(絶対に内心は笑ってない)

 ミモザは冷や汗をだらだらと流した。

「えっと、レオン様に……」

「受け取っていないぞ」

「その、贈り物の山の中に置きました」

「………は?」

 レオンハルトは呆けたように口を開いた。それとほぼ同時にがらがらと音がする。

 見るとなにやら大量に荷物を積んだ台車が教会の中へと運び込まれていくところだった。

「………っ」

 レオンハルトは顔を真っ青に染めると、突然その台車を目指して駆け出した。

「れ、レオン様?」

 その行動の意味がわからずミモザは目を白黒させる。

「……あー、嬢ちゃん」

 その一部始終を見ていたガブリエルは気まずそうに口を開いた。

「あのな、レオンハルトはいつもそういうイベントでもらった菓子とかは孤児院にまとめて寄付してんだ」

「寄付」

「そう、寄付」

 二人はしばし見つめ合う。

 つまりミモザのチョコは、

「追いかけた方がいいと思うぞ、あいつじゃどれがお嬢ちゃんのかわかんないだろ」

「し、失礼します!」

「はいよ」

 ガブリエルの「どんまーい」という呑気な声を尻目にミモザは教会の中へと駆け込んだ。


 部屋に入ると難しい顔でレオンハルトは腕を組んで立っていた。やはり来たはいいもののどれがミモザのチョコなのかがわからなかったのだろう。

 贈り物を運搬してきた人と受け取る予定だった教会の職員が非常に困った顔で立ちすくんでいた。

「あのー……、レオン様」

 恐る恐る声をかけると彼はこちらをじろりとねめつけた。

(うひーー)

 ミモザは内心で悲鳴を上げる。

「つ、つい、出来心で……」

 思わず犯行を自供し始めたミモザに、しかし彼はすぐにその表情から険しさを落とすと「ちょうどいい」と口を開く。

「どれが君の物なのかがわからず困っていたんだ。特徴を教えてくれるか?」

「えっと」

 そのまま黙ってこっちを見てこられるのに落ち着かない気持ちになりながら、ミモザはたどたどしく話す。

「青い箱に赤いリボンのかかっている物で……」

「なるほど」

 頷いて彼はチョコの山へと向かう。それに罪悪感に駆られて、ミモザは「僕が探しますから!」と引き止めるように声をかけていた。

「申し訳ありませんでした。まさか外に持ち出す物とは知らず……。自分で探しますからレオン様は……」

「君がどこに何を置こうが君の勝手だ」

 たくさんのラッピングされた箱や袋に埋もれながらレオンハルトはそれに言葉を返す。その声音は淡々としていて本当に怒ってはいないようだ。

「それを俺が欲しがるのも俺の勝手だ」

「う……」

 まさか欲しがってもらえるとは思わなかったんです。とは今言うべき言葉ではないだろう。他に言うべき言葉も思い浮かばないミモザは仕方なくその探索へと加わる。

 しかし、気が遠くなるような量である。

(今日中に見つかるだろうか)

 軽い気持ちでやったことが蓋を開けてみれば大惨事だ。

「あのぅ、新しく作りましょうか」

 こんなに頑張っても手に入るのはミモザが作ったしょうもないチョコ一つである。

 ひたすらに気まずくてこの時間を少しでも早く終わらせようとミモザは申し出た。

「買ってきてもいいですし……」

「気持ちはありがたいが」

 山の向こうからレオンハルトの声が響く。

「これは俺の意地の問題だ」

「意地」

「そうだ」

 姿は見えないが、淡々とした声だけが届く。

「誰にもあげていないならそれはそれでいいんだ。ただ俺以外の誰かの手に渡るのは気に食わない」

(それは一体どういう……)

 心理なのだろう、と考えかけてミモザは思考を止める。それ以上考えるのは危険だ。

 きっとミモザの手には負えない話になる。

 考えることもできず、かといって捜索も手につかず、ミモザがただ目線を彷徨わせていると「おっ」とわずかに喜色の混じった声がした。

「ミモザ」

「はい」

 聞き慣れた声で名前を呼ばれるのに、考える前に反射で返事を返す。贈り物の山からひょい、と身軽にレオンハルトはその姿を現した。

 その手には青い箱が握られている。

「これか?」

「………はい」

 確かにそれはミモザが置いた箱に間違いない。

 彼は作り笑顔で「すまなかった、もう大丈夫だ」と手持ち無沙汰で困っていた配達員と教会の職員に告げるとそのままミモザの手を引いて外へと出た。

 教会の中庭まで引っ張ってくると、行儀悪くその場に座り込み箱を開ける。

「………」

 一人だけ立っていても仕方がないのでミモザもその隣にすとんと腰を落とした。

「おお」

 レオンハルトが声を上げて中のチョコを取り出す。

「レーヴェじゃないか」

「翼がちょっと不恰好ですけどね」

 そのチョコは獅子の形をしてした。しかしどうしても翼型の型が見つからず、苦肉の策で薄いハートの形をした型で固めたチョコをその背中に翼に見立てて二枚接着している。

 レオンハルトはその翼を一枚取ると、口に運んだ。

(あ……)

 当たり前だが獅子から剥がしてしまうとそれはただのハート型のチョコレートだ。

 気恥ずかしさにミモザはむっと眉を寄せた。

 そんなミモザの様子を見て、レオンハルトは面白がるように笑う。

「いつもと逆だな」

 その指がミモザの眉間のしわをほぐすようにぐりぐりと押す。

「おいしいよ、ありがとう」

「………どういたしまして」

 それ以外の言葉を言うことはミモザにはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る