第99話 思い出の君
その女性は真っ白なつばの広い帽子をかぶっていた。
ドレスも白色でまとめられており、露出の少ない上品なものである。輝く銀色の髪は緩くおさげに結われており、こちらに背中を向けて花壇の花を眺めているようだった。
その光景は思い出の中の彼女をそのまま成長させた姿そのものだ。
なんと声をかけたものかと、この後に及んでガブリエルは尻込みする。
(よしっ!)
心の中で気合を入れて、ガブリエルは彼女に歩み寄った。
「あー……、その、こんにちは?」
気の利いた言葉も思いつかず、頭を掻きながら我ながらどうかと思うようなつまらない挨拶をする。
銀色のおさげを揺らしながら、彼女が振り向いた。
その瞬間、ガブリエルはすべてを理解した。
「………なにか言いなさいよ」
「あ、あー、いや」
振り返った顔はフレイヤだった。
銀色の瞳に綺麗に化粧で整えられた顔、記憶の中の少女とは違う。しかしそれが彼女なのだということは疑いようがない。
(いや、いやいやいやいや)
ガブリエルは冷や汗をかく。つまりガブリエルは、これまでずっと約束を反故にし続けていたということだ。
約束の相手が目の前にいるのにまったく気づかずにこの数年をのうのうと過ごしていたということだ。
(これ、死んだか……?)
あらゆる意味でだ。
何かを言わなければならないが、何を言っても墓穴を掘る気しかしない。
「ねぇ」
その時フレイヤが焦れたように口を開いた。心構えのできていなかったガブリエルはびくっと肩を震わせる。
その態度にフレイヤがぎろり、と目を吊り上げた。
「悪かったわね」
「は?」
「わたくしみたいな、可愛くない女になって、悪かったわね」
彼女は傷ついたように目を伏せている。
ガブリエルは自分の不甲斐なさに死にそうになった。
「そんなことねぇよ!」
相手に気づかなかった挙句、勇気を出して名乗り出てくれた彼女を相手に黙り込むなど最低だ。
無様だろうが情けなかろうが、彼女をこれ以上傷つけないためにガブリエルは言葉を言い募った。
「お前は可愛い女だ。少し驚いちまっただけだ、悪かった。俺は馬鹿な男だ。お前に気がつかないなんて!」
そのまま勢いよく頭を下げる。
「悪かった! 一発殴ってくれ!」
頭を下げたままのガブリエルに、フレイヤはきょとん、とした後、ふふ、と笑みを溢した。
「いいわよ、一発殴ってチャラにしましょう」
「お、おお」
ガブリエルは恐る恐る顔を上げる。
(やべぇ)
そして自分から言い出したことに脂汗をだらだら流した。
相手はゴリラ、もといフレイヤである。
(死ぬかも知れねぇ)
最新の遺書になんて書いたっけ……? とうつろな目で考えている暇もなく、「目を閉じなさい」とフレイヤの声が飛んできた。
(ええい、ままよ!)
ガブリエルは覚悟を決めて目を力強くつむり、歯を食いしばった。
両足を肩幅まで広げて立ち、踏ん張る姿勢を取る。
(こい……っ!)
自分がぶっ飛ばされた後、部下の騎士達に緊急搬送されて手当を受け、その後の行うはずだった業務の割り振りまでガブリエルは思考した。
ガブリエルの頬に、何かが近づく。
ふに。
「………っ、へ?」
しかし予想に反してそれは随分と柔らかく、優しいタッチだった。
目を開いたその何かが触れた頬に触る。確認した手には紅いルージュがついていた。
思わず呆然とフレイヤの方を見ると、彼女は頬を染めて立っている。
「あ、えっと……」
「これ!」
ずいっと目の前に差し出される。可愛らしい袋に綺麗にリボンを結ばれて入っているのはおそらく昔よく作ってきてくれたーー、
「わたくしは変わらないわ。見た目を変えたくらいじゃ、人間は変わらないの」
そう言って、彼女はおさげを解いた。鮮やかな銀色の髪が風に舞って広がる。
昔と同じ、真っ直ぐで優しい銀色の瞳がガブリエルを射抜いた。
「貴方はどうなの?」
思い出の少女と今のフレイヤがぴったりと重なる。
「俺はーー」
(俺は、変わったよ)
内心でつぶやく。
現実を思い知って、ずるいことを覚えた。最初にあった志よりも日々の業務に忙殺されて、己の無力に嘆くことすらなくなってしまった。
(それでもーー)
それでも彼女が好きだと言ったら、怒られるだろうか。
フレイヤとの思い出は今も星のようにきらきらとガブリエルの心の中できらめいている。彼女が約束の少女だと思い出す前から、ガブリエルはひたむきなフレイヤのことが嫌いではなかった。
むしろ羨ましかった。真っ直ぐなまま、迷いなく走っていける彼女が。
確かに彼女は変わらない。こうして思い出してみると、あまりにもガブリエルが憧れた少女のままだ。
きっとどこかでガブリエルは思い出は思い出のままであの少女も自分と同じように昔のままではないと思い込んでいたのだ。
だから、目が曇って気づけなかった。
ガブリエルは手を握りしめる。
「フレイヤ」
彼女は黙ってガブリエルの言葉を待っている。
「俺は、変わりたいよ」
無力を無力のままにしたくない。立場だとか、現実だとか、そんな賢い言葉で物事を簡単に諦めたくない。
「お前みたいに、なれるように努力するからさ」
ガブリエルは手を差し出した。彼女は目を見張る。
「俺と、末永くよろしくしてくれるか……?」
じわじわとフレイヤの顔に喜色が広がる。ガブリエルの手を両手で包み込むように取ると、彼女は破顔した。
「もちろんよ!」
彼女の笑顔は、過去の思い出よりも美しかった。
(ふぅ、やれやれ)
その一部始終を柱の影から見守って、ミモザはその場を立ち去った。
ガブリエルの様子に一体どうなることやらと思ったが、なんとかうまくいったようだ。こうなればもう慰め役はお役御免だろう。
ぽてぽてとメインストリートを歩き、レオンハルト邸へと向かう。
フレイヤとガブリエルの一件は解決したが、ミモザにはまだ解決なくてはいけないことがあった。
かって知ったるレオンハルトの屋敷の門を開いて中へと入る。
屋敷の中まで入って、ミモザは手の中にある物を見つめた。
チョコレートである。
フレイヤと一緒に作ったチョコレートである。
(どうしよう……)
いや、どうしようも何も、誰かに渡すか自分で食べるしかないのだが。
(レオン様に……)
考えるだけで気が重くなる。というより羞恥心で頭を掻きむしりたくなる。
ぐうぅぅぅ、とミモザは一人で悶絶する。
(もういっそ捨てるか?)
すべてをなかったことにして葬り去ろうか。と思ったところで「おい、小娘」と声をかけられた。
「……ジェイドさん」
「こんなところで何をやっとる」
ずんぐりむっくりとした小柄な男、我らが頼れる執事長ジェイドである。彼は何かを大量にワゴンに乗せて運んでいる最中のようだ。
「手伝いますよ」
彼の部下としてミモザは申し出た。しかし彼は嫌そうに首を横に振る。
「お前は今他に割り振られてる仕事があるだろう。そちらに集中しろ」
「でもそっちは全然進展しないし解決策が思いつかないんですよ」
そう言いつつ歩き出したジェイドにミモザはついて歩く。彼はそれに鬱陶しそうに蝿を払うような動作をしたが、それにめげるミモザではない。
「それ、なんですか?」
「届け物だ」
ジェイドもそんなミモザに慣れているのでもはや何も言わない。言っても聞かないと思っているのだろう。
彼は倉庫へとそれを持って行った。
「うわっ」
思わずミモザは声を上げる。
そこには大量の謎の届け物が山を築いていた。
よくよく見ると、それらはどれも綺麗にラッピングされたプレゼントのようだ。
「……これは一体?」
レオンハルトへとファンからのプレゼントはそこそこの頻度であるが、こんなに大量に届くのを見るのは初めてである。
「今日は花の感謝祭だろう」
それだけで説明は済んだと言わんばかりにジェイドは運んできた物をその山へ加える作業に移る。確かにその説明だけで状況を理解するには十分だった。
ようするに、チョコなのだ。この山は全部。
(すげぇ)
一体いくつあるのか数える気にもならない。うず高く積まれたそれを見上げてミモザはほー、と感心の息を吐いた。
人気がある人なのは知っていたが、こうして事実を目の当たりにするとなかなかにくるものがある。
ますます手の中にある物を持て余してミモザは困る。贈り物の中にはなかなかな高級店のブランドもののチョコなどもあるからなおさらだ。
(うーん……)
ちらり、とジェイドを横目で伺うと彼は一生懸命チョコの中に不審物がないかのチェックをしていてこちらは見ていなかった。
「……………」
ミモザはそっとそのチョコの山の中に自分の持っていたチョコの入った箱を置いた。
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