第74話 病院にて
「それで? どうだったの?」
尋ねるフレイヤに騎士は首を横に振った。そこは教会のオルタンシア教皇の執務室だった。やはり前回集まった時同様、オルタンシア、レオンハルト、ガブリエル、フレイヤ、そしてミモザが集まっている。そこに直接ステラの元へと強制執行に行った騎士が報告に訪れていた。
彼は淡々と告げる。
「ラブドロップは見つかりませんでした」
それにフレイヤは盛大に顔をしかめた。
「なぜ……っ!」
「わかりません。けれど、彼女自身に隠蔽工作をするほどの賢しさはないように見えました。もしも隠したとしたら、それは……」
そこで彼は気まずそうにちらり、と近くに立つレオンハルトのことを見る。
「聖騎士殿の弟ぎみのほうかと」
「そうか」
レオンハルトは淡々と頷く。
「アベルのことは俺の弟だからと遠慮するようなことは不要だ。君達の任務をしっかりと遂行してくれ」
「無論です。例えどなたのご身内であろうと我々が手を抜くことはありえません」
むっとしたように騎士はそう告げた後、フレイヤの方へと再び向き直る。
「アベル殿が外から戻られたご様子でしたので、もしかしたらこちらの動きを察して処分したのかと一応宿の他の部屋や周辺のごみ収集場なども探ったのですが、見つからず……。ひとまずはジーン殿とマシュー殿を取り急ぎ保護させていただき、今は病院で静養してもらっています。医師の見立てでは数日のうちに薬は抜けていくだろうとのことです」
「………気に食わないわね」
フレイヤはドスの効いた声で吐き捨てる。
「状況証拠はこの上もなく彼女が黒だと示しているのに捕らえることができないだなんて……っ」
「まぁ、物的証拠か現行犯でもない限り逮捕は難しいですからね」
オルタンシアはそんな彼女を宥めるようにそう言った。
「魔薬は尿検査や血液検査でも検出は困難ですし……、今回は仕方がないでしょう」
「犯罪者を野放しにするなど、我が騎士団の威信に関わります! ただでさえ、わたくしの弟子に手を出すなんてっ。こちらをこけにするにもほどがある……っ」
「そうは言っても仕方ねぇだろ。まぁ、今回逮捕できなかった容疑者はそこそこいるが、少なくとも元凶は捕らえた。もうあの薬が供給されることはねぇ。今回の件はこれで終いだ」
いきり立つフレイヤにガブリエルが冷静に告げる。それに歯噛みしつつもこれ以上はどうしようもないことも理解している彼女はそれ以上の言葉を控えた。
フレイヤが落ち着いたのを見てとって、オルタンシアは皆の注目を促すように手を数回叩いて見せる。
「今回は残念な結果でしたが、決して我々は犯罪者に屈したわけではありません。現に密売人は捕らえ、事件の収束には成功いたしました。残りの購入者についても目星はついているのです。これは犯罪者予備軍をピックアップ出来たと言ってもいい。一度誘惑に負けた者はまた違う形で誤ちを犯す可能性が高い。その時には、彼らに二度目はないということを思い知らせてあげましょう」
彼のすみれ色の瞳がうっすらと微笑む。そこに映るのは慈悲ではなく断罪の光だ。
「この国に住む人々の平和と安寧のために」
最後に彼は祈るようにそう言った。
そこは病室だった。看護師や医師は突然降って湧いた大量の精神汚染の患者達の対応に追われて慌ただしく走り回っていた。
その廊下を美しい女性が肩で風を切って歩いていた。彼女は銀色の髪を風に流し、銀色の瞳に決意をみなぎらせている。
そんなフレイヤの後ろをちょこちょこと物見遊山気分でミモザはついて歩いていた。
とはいえ別に遊びに来たわけではない。手にはちゃんと果物を持っている。前回ミモザが怪我した際はジーンに迷惑をかけたので、そのお礼とお返しを兼ねたお見舞いに来たのである。
フレイヤは目当ての病室を探し当てると勢いよくその扉を開けた。
「ジーン!! わたくしの不肖の弟子!! なんであんな怪しい奴からの飴なんて口にしたの!!」
開口一番叱責である。
まぁ、フレイヤの心労を思えば無理からぬことかも知れないが、被害者であるジーンには少々酷な話だ。
彼らは二人部屋にいた。身体的には異常がないからだろう、それぞれのベッドに腰掛けてマシューとジーンは何かを話しているところだったようだ。
怒れる師匠の登場にジーンは素早く立ち上がりピーンと背筋を伸ばして直立すると「大変申し訳ありませんでした!!」と綺麗なお辞儀をかました。
きっちりと分度器で測ったかのような90度のお辞儀である。
(体育会系……)
人のことは言えないが、ミモザはそれを見てしみじみと思った。
見るからに文化系のマシューなどその光景を見て若干引いている。
「その、まさか魔薬が入っているとは……。先日のお詫びだと渡されまして……」
「おおかた可愛い女の子から渡されたからって受け取ったんでしょう! 情けないわ!!」
「も、申し訳ありません!」
師弟のやり取りを尻目にミモザはすすす、とマシューへと近づくとジーン宛の果物は勝手にジーンのベットサイドへと置き、マシュー宛の果物を彼に差し出した。
「ちなみにマシュー様はどうして食べたんですか?」
「………、あんな子だとは知らなかったんだよ。ちょっと極端な所があるとは思ってたけど……」
そこまで言ってじろりとマシューはミモザを睨む。
「あんたのお姉さんだと言うのも一応理由としてはあったよ」
それにおや、とミモザは首をひねる。
「マシュー様、僕が突然なんの理由もなく飴をあげたら食べるんですか?」
「…………」
マシューは差し出された果物を受け取ろうとした手をぴたり、と止めてしばし悩んだ。
「いや、うん、そうだな……。あんたからのは……、悩ましいな。お見舞いであれば受け取るけど、なんの理由もなしか……」
「まぁ、あげませんからそんな真剣に悩まないでください」
「あんたはそういう所だよ」
じろりと再び睨むとマシューはふん、と鼻を鳴らして果物を受け取った。
「まぁ、あんたは利口だからこんな目撃者の多い所で毒殺はしないだろう。こっそり渡されたら受け取らない!」
「はぁ……」
まぁ、確かにこんなに目立つ場所で白昼堂々毒殺はしないだろう。
そのまま二人はしばしフレイヤ師弟の叱責と謝罪が終わるのを待ったが、二人は全く終わる気配を見せない。
(帰ろうかな……)
時間を持て余してジーンへの挨拶はまた今度にするかと諦めかけたところで、「なぁ」とマシューが声をかけてきた。
「あんたの姉ってなんか妄想癖でもある?」
「なぜですか?」
突然の質問に驚く。正直思い込みは激しいが、と思いつつミモザは尋ねた。するとマシューは少し難しい顔をして頭を掻く。
「いや、なんかこれから起こることがわかるとか、自分は人生をやり直してるとか言っててさ」
「………っ」
ヒュッと呼吸が鋭い音を立てた。言葉が出ない。
そんなミモザの様子には気づかずにマシューは愚痴るように続ける。
「なんか前回が前回がってずっと言っててさ。俺たちは前回も仲が良かったとか、女神様にお願いしたからやり直せたとか……、薬が効いてる時は可愛いと思って聞いてたけど、今思い返すと結構ヤバいこと言ってたよ」
「そ、そうですか……」
ミモザにはそう返すのがやっとだった。
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