第72話 ミモザVS黒い密売人

 空は夕焼けに赤く染まっていた。徐々に暗闇が迫ってきており、外を出歩く人間はまばらだ。そしてそんな中、誰もいない裏路地にぽつんと佇む少女がいた。

 白いフードを被って隠してはいるがわずかに美しい金色の髪がこぼれて夕日に照らされてキラキラと光っていた。白いフード付きのパーカーに黒い短パン姿の少女は俯いて何かを待っているようだ。伏し目がちな瞳は退屈そうに足元を見つめている。

「おや、また来たのかい。お嬢さん」

 その時建物の影から滲み出るように黒いローブに身を包んだ長身の男が現れた。その男は足音を立てずに地面をまるで滑るように少女に近づくと、その顔を覗き込んで笑った。

「先日、大量に買って行ったばっかりじゃないか」

「そうなんですか」

 淡々とそう言うや否や、少女の手にいつの間にか握られていた巨大なモーニングスターメイスが男の胴を薙ぐように振るわれる。

「………っ!?」

 男は間一髪のところでそれを避けた。しかしわずかに棘がローブに引っかかり破ける。

「……ちっ、外したか」

 それを見て少女ーーミモザは嫌そうに舌打ちをした。

「おまえ、誰だ? いつもの客じゃないな?」

 男は訝しげに目を細めて睨む。

 それにミモザはフードを外すことで答えた。短いハニーブロンドの髪が風にさらされる。

「よくぞ聞いてくださいました。僕は貴方の常連の女の子の双子の妹」

 そこでミモザは両腕を真っ直ぐに伸ばすと時計回りにぐるりと回し、斜め45度ほど上方へとビシッと伸ばしてポーズを決めた。

「人呼んで、筋肉大好き少女、ステラです!」

「筋肉大好き少女、ステラ……?」

 男はしばし何事かを思い出すように考え込んだ後で

「それは俺の客の方の奴の名前だろう」

 とつっこんだ。それににやり、とミモザは笑う。

「おや、姉の名前をご存知でしたか。そのご様子だと顧客リストなどの情報をまとめている匂いがぷんぷんしますね」

「だったらどうした」

「ご提供いただけますか?」

 男はふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「しない」

「でしょうね。ああ、僕はミモザと申します。どうぞよろしくお願い致します」

「お前は騎士団の犬か?」

 その質問に考え込むのは今度はミモザの番だった。

(……犬?)

 別に騎士団に所属はしていないが、従っていると言う意味ではまぁ、確かに、

「犬かも知れないですね」

「なんだその曖昧な返答は」

「微妙な立ち位置だということです。まぁ、騎士団の味方です」

「あいつらは嫌いだ」

 男は年齢にそぐわぬ拗ねたような表情をして言った。その言い様にミモザはこてんと首をかしげる。

「なぜですか?」

「卑怯者だからだ! 集団でよってたかって……っ」

「集団で戦うことが卑怯ですか」

「そうだ!」

 男のその発言に、ミモザは「この人もぼっちなのか……」と口の中だけでつぶやいた。

 ミモザの胸の内にかつての自分の学校生活の記憶が蘇る。

 そして彼女は可哀想なものを見るような目で男を見ると、ゆっくりと首を横に振った。

「いいえ、残念ながらその認識は誤りです」

「なんだと!」

「それは世界の摂理なのです。すなわち……」

 いきり立つ男を手で制しつつ、ミモザは彼を真っ直ぐに見据えて告げた。

「仲間が多いのは卑怯ではなく、ただのステータス!」

「………っ!」

 ぐっ、とそのまま自身の胸元を手で掴む。この言葉はミモザ自身にも効く諸刃の剣だった。

 しかし言うことは言わねばならない。

「ぼっちは肩身が狭いのが悲しいですがこの世界の摂理であり、弱肉強食のルールなのです」

「お、おまえ……」

 男はわなわなと震える。そしてミモザのことを批難するように指差した。

「なんて酷いことを言うんだ! おまえ、さては嫌な奴だな!」

「まぁ、否定はしません。しかし残酷なようですがそれが真実なのです」

 そこでミモザは慰めるように笑いかける。

「でも大丈夫ですよ。他人は他人、自分は自分、とちゃんと切り分けて考えることができるようになれば、一人でも気にせず快適に過ごせるようになりますから」

「もう怒ったぞ! おまえは生かして帰さない!!」

 そう言って彼は懐からじゃらりと鎖で首にかけていたと思しき黒い五角形を取り出した。五角形には向かって右下に金色の印が付いている。

「俺は保護研究会、五角形のうちの一角、バーナードだ! いざ、参る!」


 こうして戦いの幕は切って落とされーー、なかった。

 数分後、ミモザはじゃらじゃらと連なった鈴を両手に持ち、じゃんじゃか振り鳴らしながら踊っていた。

 勝率を上げるおまじないの舞いである。

「……それ、いつまで続くんだ?」

 バーナードは腕組みをしてそれを眺めている。それに爽やかな汗を振り撒きながらミモザは笑顔で答えた。

「あと3分ほど!」

「おまえ馬鹿だろ」

 その呆れたような言葉にふふん、とミモザは得意げに笑う。

「けど貴方は待つでしょう?」

「ああ?」

「最高のコンディションの人間と戦いたい! 卑怯を嫌う貴方はその欲に抗えない!」

「……ふん、さっさとしろ」

(狙い通り)

 ミモザはにやりと笑う。事前の情報通り、彼は逃げ回る割には自身の強さを証明したくて仕方がないらしい。おかげでミモザもゆっくりと戦いの準備ができるというものだ。

「貴方、保護研究会と言いましたが、どうしてこんなことを?」

 じゃんじゃかじゃんじゃかと鈴を鳴らして踊り狂いながらミモザは尋ねる。それに彼は少し聞き取りづらそうにしながらも「研究資金を回収するためだ」と律儀に答えた。

「今回のこの薬ができたのは本命の研究の副産物に過ぎん。古代の魔薬生成を試みた中のうちの一つだ」

「本命?」

 首をかしげる。彼はふふん、と得意げに笑う。

「不老不死の研究だ」

「……できるとでも?」

 不信げにミモザが尋ねると、彼は鼻息荒く「できる!!」と断言した。

「エオの奴がそれをずっと研究してるんだ! それを俺が先に開発して鼻を明かしてやる!!」

「……はぁ、エオとは?」

「保護研究会のうちの一角だ。あの野郎、すかしやがって。俺の方があいつなんかよりもすごいんだ!!」

 うすうす気づいてはいたが、どうにも彼は子どもっぽい性質の持ち主らしい。善悪は関係なく、自身の好き嫌いの感情のみで動いているようだ。

 彼は苛立ったように腕組みをとくと袖口から現れたムカデを鞭へと変え、それをしならせて地面を打った。

「あいつ、生意気だ。俺の方が年上なのに、研究だって長くやってるのに、次々と成果を上げてるからって調子に乗りやがってっ。ロランの奴もどうしてあんなのとつるんでるんだ!」

 そのままぶつぶつと文句を言い始める。

 じゃらじゃらと鈴を鳴らしながら踊り狂う少女とそれを意に介さず内にこもってぶつぶつと文句をたれる長身の黒ずくめの男。

 かなり異様な光景がそこには繰り広げられていた。

 しばらくそのような景色が続いたが、それは何度目だっただろうか。バーナードが再度苛立たしげに鞭を地面に振り下ろした際に、何かに気づいたようにその手を見つめ、ハッと顔を上げる。

「……貴様っ!!」

「ふっふっふ」

 その反応にミモザはやっと踊るのをやめて不気味に笑った。

「今更気づいても遅いですよ! 貴方には毒を盛らせていただきました。身体が痺れるでしょう。踊りながら痺れ薬をまかせていただきましたよ!」

 ビシッとバーナードのことを指差す。それに彼は悔しそうに顔を歪めた。

「カスがっ! おまえも吸ってるんじゃないのか?」

 その言葉にミモザはふ、とニヒルに笑う。

「当然! 僕にも効いています!」

「おまえ馬鹿だろ!」

「何を失礼な、これを見てもそう言えますか?」

 そう言って自慢げにミモザはポケットから小さな液体の入った瓶を取り出して見せる。

「それは……」

「解毒剤です」

 それを見せびらかすように天高く掲げてミモザは堂々と宣言した。

「さぁ、観念しなさい。僕は犯罪者と正々堂々と戦うなどはしない。貴方の言う通り『嫌な奴』ですからね。あなたがしびれて動けなくなったところをのんびりと捕縛させていただきますよ」

 にんまりと笑う。

「そろそろ身体が辛くなってきたんじゃないですか? 降伏するなら今のうちですよ」

「……ちっ」

 バーナードは苦々しげに舌打ちをした。そして諦めたかのように両手をだらりと下に下げた。ーーと思った次の瞬間、彼はミモザの背後へと移動していた。

「………っ」

 繰り出された鞭をミモザは持っていた鈴を投げることで防ぐ。バーナードの足元には魔法陣のような物が光っていた。

(移動魔法陣!?)

 やられた、と思う。確か第4の塔で手に入る祝福だ。彼はあらかじめミモザの背後に移動魔法陣を仕込んでいたのだ。いや、きっと背後だけではない。彼がいつも決まった場所にしか現れなかったのは、この周辺一体に移動魔法陣を仕込んでいるからなのかもしれなかった。

 動揺したミモザの手が無防備にさらされる。その手に握られた解毒剤目掛けて鞭がしなった。ミモザはたまらずそれを手放すことで攻撃を避けた。

 彼の鞭が解毒剤の瓶を器用に掴み、引き寄せたところで鞭を持つのとは反対の手で受け止める。

 バーナードはにやりと悪辣に笑うと、ミモザに見せつけるようにその瓶の中身を飲み干した。

 辺りに空き瓶が地面に落ちて割れるかん高い音が響き渡る。

「馬鹿め。余裕をかましてるからこうなるんだ。

形勢逆転だな。それとももう一つ解毒剤があるのか?なら飲むまで待ってやってもいい。俺は卑怯は嫌いだからな」

「……… 」

 ミモザは無言でうつむいた。それにバーナードは嬉しげにテンションを上げる。

「どうした!? 早く選べよ! ふふん、ショックで言葉もでないか!?」

 それでもミモザは動かない。ただうつむいて黙ったままだ。

「うん? お前もしかしてもう薬が回って……っ」

 バーナードが訝しげにミモザに近づこうとして、そこで息を詰まらせる。苦しげに胸を押さえ、その体がゆっくりと横へと崩れ、地面へと倒れ伏した。

「……あっ、ぐぅ……、な、んで……っ」

 苦しげにはかはかと息をする。そんなバーナードの様子にミモザはそこでやっと動き出し、ゆっくりと彼に歩み寄った。

「言ったでしょう。僕は犯罪者と正々堂々となんて戦わない」

 近くまできて、足を止める。その澄んだ湖面のように青い瞳で苦しむ彼を見下ろし、ミモザは言った。

「『嫌な奴』ですから」

 うっすらと微笑み、ミモザは彼の手から鞭を蹴り飛ばす。それはやがて力無く小さなムカデへと姿を変えた。

「貴方の飲んだ薬、解毒剤というのは嘘です」

 それを興味なさげに見ながらミモザは続ける。

「本当はそっちが毒でして、いやぁ、飲んでくれて助かりました」

 踊っている時、ミモザが撒いたのは毒薬ではなく新技『殺虫剤』である。しかしそれだけでは指先などが痺れてピリピリするだけで捕獲には至らない。だから自主的に毒を服用させるためにわざと自分自身に効くはずのない魔法ではなく、薬を撒いたと嘘をついて偽の解毒剤を見せびらかした。これは合成スキルを使って作り出した本当に全身が痺れてしまう即効性の毒である。死にはしないが半日はろくに動けないだろう。

 もはや何も言えず意識を朦朧とさせるバーナードに、

「黒い密売人さん、つっかまーえーたっ」

 そう歌うように言ってミモザはポケットに入れていた信号灯を取り出すと火をつけた。

 パシュッと小さな音を立ててそれは空へと上がり、居場所を知らせるように周囲を光で照らし出した。


 信号灯の明かりが空に瞬く、とともにレオンハルトは風を切って駆け出していた。

 最短距離を行くために建物の屋根の上を彼は疾走する。

(無事だろうか……)

 ミモザのことだ。事前に作戦は聞いて知っているが、それでも心配は尽きない。

 レオンハルトはいつも前線に立っていた。危険な時、予測が難しい時、困難なケースほど先陣を切るのはレオンハルトだった。

 だからこうして、誰かを心配して結果を待つなどという行為に彼は慣れていない。

(まったく……)

 レオンハルトは自分で自分に呆れる。

 始めに弟子として迎え入れた時は、自分がこんな風になるだなんて考えてはいなかった。ただ自分と似たような境遇の子どもを気まぐれにそばに置いただけだったというのに。

 ミモザが、こんなにもレオンハルトの心の中を大きく占める存在になるなど想定外だ。

 その時きらりと暗闇に光る物をレオンハルトの目は捉えた。それが彼女の金髪だと気づいて地面に降り立つ。

「無事か」

「はい」

 短く聞くと短く返事が返ってくる。彼女のそばには黒いローブをまとった男が倒れていた。

 それが動けない状態であることを確認すると、ミモザに怪我がないかどうかを素早く確認した。

 彼女は無傷だ。

 それにほっと息をついて、改めてレオンハルトはミモザを見下ろした。

 ミモザはレオンハルトの視線に気づいて悪戯に成功した子どものように、にやりと笑う。

「勝ちましたよ、僕」

「ああ」

 レオンハルトは軽く頷いて、笑った。

「よくやった、ミモザ」

 弟子にとらなければよかっただろうか、とレオンハルトは口に出せずに思う。そうすればこのような危険なことに彼女を駆り出さずに済んだだろうか。

 しかし彼女が自分の隣にいないという状態を、レオンハルトはもう想像できないのだった。

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