第43話 ここから本編のはじまり

「ミモザ?何をやっているの?」

 扉を開いて広がった光景にステラは絶句した。

 部屋の中の棚という棚は開けられ、中に入っていた物はすべて引き出されている。

 その荒れ果てた部屋の中心にはミモザの姿。

「それ、わたしの……」

「………っ」

 ミモザは手に握っていたネックレスを乱暴に地面へ投げ捨てた。そのまま開いていた窓から外へと飛び出す。

「ミモザ……っ!!」

 ステラが窓を覗き込んだ時にはもう、ミモザの逃げ去る後ろ姿は小さくなっていた。

「あいつ、泥棒かよ……」

 後から部屋に入ってきたアベルがぼやく。

「あの子ったら、魔導石だけじゃなくて他のものまで盗もうと……」

「通報するかい?」

 マシューが尋ねてくるのに、ステラ首を横に振った。

「いいえ、あの子はわたしの可愛い妹だもの」

 その頬には一筋の涙が伝っていた。



「……ううう、窃盗罪」

 最悪な目覚めである。チロは窃盗罪くらいなんだ、と鼻を鳴らして見せた。

「あー……」

 以前ゲームの『ミモザ』の悪行を思い返した時、魔導石を奪ったり、塔に入ろうとするのをいちゃもんをつけて妨害したりは思い出せたが、どうやら普通に他の物も漁っていたようだ。

「泥棒キャラなんだろうか」

 何にせよ最悪な目覚め、最悪なスタートである。

 そう、スタート。

 初めてレオンハルトに出会ってから、3年の月日が経過していた。

 結局あれからミモザは王都と家を行ったり来たりする生活を送っていた。1ヶ月を村で過ごし次の1ヶ月は王都、また1ヶ月は村、といった具合である。たまに突発的に呼ばれて王都に行くこともあったため、心理的な距離感はもはや第二の実家のように思い始めている。

 途中、13歳になって以降、レオンハルトから『さっさと塔の攻略してこいオーラ』を感じていたが、ゲームとストーリーがズレることを恐れてずっと適当な理由をつけてスルーしていた。

 それに何より、ステラから聖騎士の座を奪うために同じタイミングで王都の御前試合に挑みたかったのだ。ミモザが先回りして奪ってやってもいいが、やはり正面から堂々と、同じ立場でやり合って勝利してやりたいのだ。

(まぁ、僕の気持ちの問題だけど)

 そして本日、学校の卒業試合からこのゲームは開始する。

 ステラは勝利という栄光から、そしてミモザは敗北という屈辱からこの物語は始まるのだ。

 ふぅ、と深く息を吸って吐く。

「とりあえず、勝率を上げるおまじないを……」

 ミモザはもそもそと布団から這い出た。


(……ついに来てしまった)

 ミモザの前にはもはや懐かしい学校の校舎がある。

 恐れているのか、それとも期待に胸を膨らませているのか、もはやミモザにもわからない。ただ興奮していることだけはわかる。

 泣いても笑っても、一回だけの卒業試合だ。

(ここで勝つ。運命を変える)

 無論最終目標は聖騎士だ。王都での決闘での勝利である。しかしここで勝てれば、それだけでゲームのストーリーからは外れることができるという証明になるのだ。それは何にも変えがたい自信をミモザに与えてくれるだろう。

 ゆっくりと歩いて校庭へと入る。もう試合会場には生徒が集まっていた。開始時間ぎりぎりを狙ってきたかいがあり、ミモザの到着は最後の方のようだ。

 でかでかと掲示板に張り出された対戦表を見る。ゲームの展開からしてそうだろうとは思っていたが、トーナメント方式のそれの1番下にミモザとステラの名前は並んで書かれていた。

 つまり、初戦でステラと戦うのである。

(まぁ、そりゃそうか)

 ミモザは『落ちこぼれキャラ』である。決勝戦まで勝ち進んで負ける、などという華々しい戦歴は与えてくれないだろう。

 つまりゲームのミモザは初戦敗退、そしてステラは優勝で卒業したということだ。

「なんか僕がグレたのは必然な気がしてきた」

「チチッ」

 肩を落とすミモザに、今日は相手をぶち殺すつもりで行くぞ、とチロが発破をかける。

「何が必然なの?」

 その時、鈴の音を転がすような声がした。弾かれたように振り返る。

「……お姉ちゃん」

「もう、ミモザったら、お寝坊さんなんだから。一緒に行こうって言ったのに!」

 そこには頬を膨らませて可愛らしく怒るステラがいた。

 長いハニーブロンドは試合のためか、編み込んで落ちてこないように結い上げている。服装もいつもの可愛らしいひらひらとしたワンピースではなくレースやフリルは付いているもののパンツスタイルになっていた。騎士服を模したようなジャケットも羽織っており、可愛らしさと凛々しさの混在した絶妙なバランスの服装だ。

(ゲームと同じ服装……)

「ミモザ?」

 訝しむような声にミモザはハッと我に返る。

「どうしたの?具合が悪い?なら今すぐ先生を呼んで……」

「だ、大丈夫だよ、お姉ちゃん!ちょっと緊張してただけ!」

 慌てて手と首を振って否定する。ステラはまだ少し疑わしそうにしていたが、「少しでも具合が悪かったら我慢しちゃダメよ」と釘を刺すに留めてくれた。

「ミモザは本当に危なっかしいんだから!1人にしておけないわ!」

「え、へへへ……」

 とりあえず笑って誤魔化すミモザである。ふと、姉の後ろに見知った姿を見つけて顔をしかめた。

「……アベル」

「あ!そうなの!アベル!ほら、こっち!」

 ステラが何もわかっていないような態度でアベルのことを呼ぶ。その場から立ち去るタイミングを逃し、ミモザはアベルと対峙するはめになってしまった。

「ミモザがお寝坊さんだからアベルと一緒にいたのよ」

 久しぶりの再会に、アベルは神妙な顔をしていた。そして緊張した面持ちで「ミモザ、俺」と口を開く。

「謝らないで」

 それにミモザは機先を制した。その言葉にアベルが何かを勘違いしたかのようにほっと息を吐くことに、ミモザは眉を寄せる。

「アベル、僕はね、貴方の自己陶酔に付き合う気はないの」

 アベルは息を呑む。ミモザは無視してまくしたてた。

「僕は貴方を許さない。だから謝らないで、勝手に肩の荷を下さないで、すべて終わって過去のことのように振る舞わないで、一生自分のやったことを忘れないで」

 手と声が震える。強くなったはずなのに、あの頃とは違うはずなのに、今だに身体が恐怖を覚えている。そのことが許せなくて、ミモザは手のひらをぐっと握りしめて無理矢理震えを止めると、アベルのことを強く睨んだ。

「僕は貴方を許さない」

「……どうすれば、許してくれる」

 ミモザの話を聞いていなかったかのような切り返しに苛立つ。何をしても許さない、と言おうとして思い直す。

「僕と同じ目に合えば」

 アベルが驚いたような顔でこちらを見た。その瞳をじっと見つめ返してミモザは続ける。

「毎日毎日罵倒されて、暴力を振るわれて、これが一生続くんじゃないかって絶望してよ」

 アベルの瞳に映る感情はなんだろうか?興奮状態のミモザにはわからない。

「できるものならやって見せてよ」

「………っ」

 アベルが目をそらして俯いた。その傷ついたような態度に余計に腹が立ったが、いままでとは違い目を逸らしたのがミモザではなくアベルであったことに多少の溜飲が下がる。

 以前までは、傷ついて俯くのはミモザだった。

(もう今までの僕じゃない)

 強くなった。強くなったのだ。

(アベルのことなんて、いつでも殺せる)

 何度夢見たことか。自分の手でその顔を殴り、黙らせることを。それはもはや夢ではないのだ。やろうと思えばやれる。今のミモザならば。

(やらないけど!)

 ふんっ、とミモザはアベルのことを鼻で笑ってやった。アベルのような『低次元な』レベルに合わせた行為をやり返すつもりはなかった。 

「もう!ミモザ!どうしてそんな意地悪なことを言うの?」

 そこに空気の読めない声がする。ミモザは半ば嫌々そちらを向いた。

「お姉ちゃん……」

「アベルはちゃんと反省してるんだから……」

「ステラっ!」

 しかしその声を止めたのはアベルだった。彼は青白い顔で、しかしきっぱりと言う。

「いいんだ。俺が悪い。ミモザの言うことは正しい」

「アベル……」

 ステラは瞳を潤ませて彼を見た。

(なんだこの空気……)

 呆然と立つミモザに、チロはその肩をとんとん、と叩いて注目を促すと親指でくいっと校庭の中心あたりを指さした。

 その目は、こいつらもう放っておいてあっち行こうぜ、と言っている。

 ミモザはそれに無言でこくりと頷き、ゆっくり、ゆっくりと後退りをしてその場からいなくなろうとしてー…、

「ミモザっ!」

 失敗した。ステラはミモザのことを真っ直ぐに見つめてくる。

 猛烈に嫌な予感がした。

「この試合でわたしが勝ったら、アベルと仲直りしてちょうだい!」

 予感は的中した。

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