第30話 試練の塔被害者遺族の会

「試練の塔被害者遺族の会?」

 その単語にミモザは首をひねった。

「ええ、聞いたことない?」

「えっと、確か、言葉の通り試練の塔でご家族をなくした方々の集いですよね?」

 新聞などで見たことのあるなけなしの知識をなんとか引っ張り出す。それにレオンハルトは顔をしかめた。

「言葉の通りではない」

「え?」

「被害者などは存在しない。試練の塔への挑戦は本人の意思であり自己責任だ。挑んだ結果命を落としたとしても彼らは決して被害者などではない。自身の力を試し未来を切り開くために挑んだ者をしくじったからと言って『被害者』などと呼ぶのは彼らに対する冒涜だ」

「けどまぁ、残されたご家族としてはそれじゃあ納得できないのよねぇ」

 フレイヤは困ったようなポーズを取った。

「彼らはこれ以上犠牲者を出さないために試練の塔は閉鎖するべきだと主張しているの。国としては優秀な精霊騎士を輩出する機関として試練の塔の運用は必要だと考えているし、国民達もそこにいる聖騎士様の人気のおかげでその意見に賛同する人はまずいない。保護研究会を除いてね」

「ええと…」

 新たに追加された名前にミモザは戸惑う。そんな弟子のていたらくにレオンハルトは盛大なため息をついた。

「保護研究会は試練の塔の保存を目的としている集団だ。学術的な観点での保存をしたい人間や単純に女神の作った物を踏み荒らす行為は認められないと言う人間などが所属している組織だ。まぁ、こっちは過激派以外は放っておいて構わない」

「過激派」

「主張を通すためにテロを行う奴もいる」

 なんともぞっとしない話だ。

「どうして放っておいてもいいんですか?」

 テロ行為を行わないにしても試練の塔に人が入らないようにしたいと思っている団体なのだ。ミモザには騎士団とは敵対しているように思える。

「影響力が少ないからだ。だいたいの人間にとって彼らの主張はメリットがないし関わりのない主張だ。つまり共感できない」

 確かに研究のために保護したいとか、信仰上の理由で保護したいと言われてもいまいちピンとこない。なんというか極端なことを言うものだと思ってしまう。

「けど被害者遺族の会は厄介なのよ」

「厄介?」

 フレイヤは頷いた。

「ご身内が亡くなられたから他の被害者が出ないように立ち入りを禁止したいって言われたら、大抵の人は反論が難しいんじゃないかしら?」

「まぁ、要するに心情に訴えてくるんだな。同情する人間も多い」

 ガブリエルが続きを引き取った。フレイヤはそれが不愉快なのかガブリエルを睨む。

 なるほど、とミモザは頷いた。確かにそれは厄介だ。

「彼らの主張はあまりにも極端過ぎる。試練に挑んだ者が亡くなったから試練の塔を封鎖するというのは、自らの意志で騎士になった者が殉職したからといって騎士団そのものを廃止しようと言うのと変わらない。こちらだって無駄死にさせたいわけじゃない。だから試練の塔にはセーフティとして年齢制限やレベルの制限を設けて資格のないものは入れないように規制しているんだ」

 憤懣やるかたないといった様子でレオンハルトは話す。

「そもそも試練の塔は国防に携わる人間の育成に貢献している。そのおかげで才能のある人間が貴賤を問わず出世できるシステムが実現しているんだ。それに観光資源にもなっているし塔への入場料を利用して保全や管理を行っている。塔への出入りを禁止すれば莫大な資金源の喪失と経済活動の停滞、失業者と収入格差を生むことになる」

 それこそ貧困状態から試練の塔を利用し聖騎士まで登りつめた実例の男はそこまで言って嘆息した。

 彼がここまで饒舌なのは珍しい。

「百害あって一利なしってことですか」

「その通りだ」

「でも理屈じゃなく感情でそれが受け入れられないのもまた人間ってね」 

 ガブリエルは手をひらひらと振る。

「で?そんな今更な話をしにきたわけじゃないんだろ?」

「もちろん」

 フレイヤは懐から紙を取り出した。

「最近彼らの勢いがすごいのは知ってると思うんだけどこういうコラムがこれから出る予定でね」

 彼女達はオルタンシア、ガブリエル、レオンハルトそれぞれにその紙を渡した。3人ともその内容に目を通して難しい顔を作る。

「これは……」

「知り合いの記者に写しをもらったの。これが世に出るのは明後日」

「差し止めは、難しいだろうなぁ」

「ええ、書いた本人が希望するならともかく、わたくし達には無理でしょう」

 ミモザがレオンハルトの袖をちょいちょいと引くと彼はその紙を見せてくれた。

 そこに書かれた内容は1人の娘を失った母親の悲痛な叫びだ。その文章はとても洗練されていて感情が伝わりやすく、ミモザですら読んでいて涙が滲み出そうだった。

「勢いが加速するかも知れないわ」

 フレイヤは言った。

「ただの杞憂ならば良いのだけど、念のため対応を統一しておきたいのよ。手元にあるのはこれだけなんだけど、連続企画のようなのよね。これの仕掛け人はとても教養があって裕福な方みたい。やり方によっては嵐が起こせるわ」

「なるほど、お話はよくわかりました」

 オルタンシアは細い目をさらに細めて頷いた。

「正直できることは微々たることですが、彼らの心情を思うとこれ以上傷ついて欲しくはありません。誠意ある対応をしていきましょう」

 この言葉を意訳するならば「被害者遺族の会を刺激しないように、うまいことうやむやにできる対応を考えましょう」と言ったところだろうか。

 フレイヤは「さすがはオルタンシア様、話が早くて助かります」とにっこり笑った。


 ミモザにとっては苦痛な小難しい話が終わりぐったりと部屋から回廊へと出る。

(疲れた……)

 ミモザは会議に参加せず話を聞いていただけだがそれでも精神力がごりごりと削られるやりとりであった。

 さっさと立ち去るレオンハルトの背についていこうと足を踏み出したところで

「ミモザさん」

 呼び止められて振り向く。声の主は爽やか少年ことジーンであった。

 彼はミモザの不思議そうな視線ににっこりと笑うことで答える。

「今日はありがとうございました。貴方のような美しい方に出会えてとても貴重な時間を過ごすことができました」

「はぁ……」

 彼が一体何を言いたいかがわからずミモザは戸惑う。それに彼は苦笑した。

「まいったなぁ、慣れないことはするもんじゃないですね。一応これ、口説いてるんですけど」

 うん?のミモザは首をひねる。『口説く』という単語の意味がミモザの中で急に行方不明になった。彼は少し困ったように頭をかく。

「そうですね、貴方にはこう言った方がいいかな。また今度時間があるときにでも、よければ手合わせを」

「……えーと、嫌です」

 視線を泳がせてミモザなんとかそれだけを返す。非常に気まずい沈黙がその場に落ちた。

「な、なんでですか?」

「ええと、たぶん僕、勝てないので」

「やって見ないとわからないじゃないですか!」

「うーん、だって、手合わせって試合ってことですよね」

 ミモザは考え考え言葉を話す。

「え、は、はぁ」

 彼は戸惑っている。ミモザは困ったように続けた。

「殺し合いじゃないと、勝機がないです」

「………」

「どーいう教育してんだ、お前」

 2人の会話に見かねたガブリエルがレオンハルトをこづく。それにレオンハルトは鼻を鳴らした。

「非常に適切な教育をしているとも」

 そのまま褒めるようにミモザの頭を撫でる。

「勝ち目のない戦はするなと教えている」

「試合は勝てねえのに殺し合いは勝てるって?」

「少しでも勝率を上げるのに有効なのは相手を自分の得意な土俵に引き摺り込むことだ。公正なルールのある試合では、それは難しいと判断したんだろう。とても適切な判断だ」

「ねぇ貴方、やっぱりわたくしの弟子にならない?この際この男以外ならそこにいるおじさんでもいいと思うの」

「えーと」

 真剣な表情で親身に諭されて、ミモザは我が身の境遇がそんなにヤバいのかとちょっと悩んだ。

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