第24話 不機嫌な主と緩和剤

 かくして、その少女は主人自ら送迎を行うという好待遇で屋敷に足を踏み入れた。

「………っ!」

 その姿にマーサは息を呑んだ。マーサだけではない。主人の弟子の姿を一目拝もうと並んで出迎えた使用人達みんなが目を見張った。

 主人のレオンハルトは美しい男だ。それはマーサも認める。そんな主人と並んでもなんら見劣りしないどころか、それ以上に可憐で美しい現実離れした少女がその隣には立っていた。

 美しい飴細工のようなハニーブロンドの髪に海の底を思わせる青い瞳は何かを憂うように伏せられ、長いまつ毛がそれを扇状に繊細に覆っていた。肌は雪のように白く透き通って唇はふっくらと桜色に色づいている。まるで職人が丹精込めて作った陶器でできた人形のように繊細で作り物めいた美しい少女だった。

 少年のような地味で露出の少ない服装だけがその容姿を裏切っている。

「弟子のミモザだ」

「よろしくお願い致します」

 主人の簡潔な紹介に続いて粛々と、鈴を転がしたような可愛らしい声で彼女は告げた。その顔はなんの感情も表さず、やはり作り物めいている。

「ミモザ、ここにいるのでこの屋敷の使用人はすべてだ。滞在中何か困ったことがあれば俺がいない場合はこいつらに聞け」

「わかりました」

 そのやりとりは淡々としていてマーサが危惧していたような類の感情は一切感じとれなかった。

「何か質問はあるか?」

 レオンハルトの事務的な問いかけに彼女は少し考えこむと「行ってはいけない場所ややってはいけない禁忌事項などはありますか?」とこれまた事務的な質問を返した。

(なんか思ってたんと違う)

 あまりにも無表情でまるで主人と似たような雰囲気の少女に、マーサは己の危惧を裏切られたにも関わらず落胆した。そこでマーサは初めて自分が来客に対してこの屋敷に新しい風を吹き込んでくれるのを期待していたことに気がついた。

「そうだな、離れには近づくな。それ以外は好きにしてくれてかまわん」

 『離れ』。その単語にぎくりとする。この屋敷の最大の闇とも言うべき場所だ。主人の近寄り難さ、不気味さの象徴であると言ってもいい。あそこに何があるか知っているマーサは用事がない限り近づきたくはないが、この屋敷を訪れた人間はあの場所を気にして入りたがる。それも当然だ。秘されれば覗きたくなるのは人の常である。

「わかりました」

 しかし彼女は理由も聞かずにあっさりとそれに頷いた。それが興味のないフリなのかどうか、マーサには判断がつかない。

「あと修行の合間の空いた時間なのですが、ただ置いてもらうのは申し訳ないのでお仕事をもらえませんか?」

「いいだろう。ジェイド」

「はい、旦那様」

 彼女の要望に主人は鷹揚に頷き、呼ばれた蛙男はすっと近づいた。驚いたことに彼女は彼の容姿にもまったく無表情を崩さなかった。

「この子に仕事を教えてやってくれ。そうだな、仕事内容は……、俺の身の回りの世話だ。ミモザ、これはジェイドという。屋敷のことは彼に任せているから仕事は彼から教わりなさい」

「はい。よろしくお願い致します」

 深々と頭を下げる。マーサは主人の発言におやまぁ、と目を瞬いた。人嫌いの主人が身の回りの世話を任せる者は限られている。若い娘にそれをさせるのは初めてのことだった。

 マーサは必死にジェイドに『どういうことだろうねぇ、気になる関係じゃないか』とアイコンタクトを送ったがジェイドはちょっと引いた顔で『は?何?』という顔をするだけだった。それに内心でちっと舌打ちをする。有能な奴だがこういう察しの悪いところがあるのだ、ジェイドという男は。

「ではジェイド、さっそく彼女の案内を頼む」

「はい」

 大抵の若い娘であればジェイドに案内役をふられた時点で大概げんなりとしたり期待が外れたような表情をするのだが、やはり少女は顔色ひとつ変えずに「よろしくお願い致します」と頭を下げるだけだった。


 では頼むと言い置いてレオンハルトは執務室へと戻っていった。

 残されたのはミモザと託されたジェイド、そして自主的に残ったマーサだ。ジェイドは何故いなくならないのかという顔でこちらを見ていたがマーサは素知らぬ顔でミモザへ「マーサと申します」と自己紹介をした。

 ジェイドはそれにため息を一つ吐くと「では案内をするぞ」と先頭に立って歩き始める。

「ここが食堂」

「ここが書庫」

「ここが浴室」

 ジェイドは淡々と、そして素早く案内を済ませていく。雑談のざの字もないぶっきらぼうな態度に、しかし少女は特に文句を言うでもなく律儀に頷いていた。

「あそこが離れ。近づくなよ」

「はい」

 マーサは顔をしかめる。離れのことは目にするだけでも少し不快だ。

 そこはわざと人目から隠すように背の高い木で囲まれ、ちょっとした林のようになっていた。背の高い屋根がかろうじて見えるのみで言われなければ離れの屋敷があることなど気づかないだろう。

「で、ここが倉庫」

 ジェイドは遠目に見えるそれからすぐに視線を移し、すぐ近くのこぢんまりとした建造物を指差した。そこまでスタスタと歩いていくとこれまでもそうだったように一応扉を開いて中を見せる。

 ミモザもこれまで同様にひょこり、とお愛想程度に中を覗いていた。

 ふとマーサも習って近づき、目に入った物に思わず顔をしかめる。

「どうされました?」

 ミモザはそれに目ざとく気づいたらしい。マーサの視線を追って、見つけたそれをじぃっと興味深そうに見つめた。

 『それ』。そう、数日前に買い出しに行った際に目にした、レオンハルトの姿が描かれた皿である。

「これは……」

 少女は戸惑ったように言い淀み、しかし続きを口にした。

「踏み絵に似た不謹慎さと恐ろしさを感じる代物ですね」

「んっふ!」

 思わずマーサは吹き出しかける。それを呆れた目でジェイドが見つつ「これを食事に使うわけがないだろう」と告げた。

「え?じゃあどうするんですか?」

「本気で言ってるのか?飾るんだよ、棚とか壁に。鑑賞用だ」

「………」

 彼女はなんとも言えないような微妙な表情で首をひねると、その皿を手に取りじっと見つめたまま「夜中に目が合いそうで嫌じゃないですか?」ぼそりとこぼした。

「んっは、ははははは!まぁねぇ、そう思うわよねぇ!」

 今度は笑いを抑えきれなかった。そのままばしばしと自分の膝を叩く。

「でもねぇ、巷じゃお嬢さん方に人気なのよ。ほら、旦那様は格好いいでしょう」

「なんで紙じゃなくて皿に書いてあるんですか?」

「紙に描いてあるもののほうが多いわよ。でもなんでか皿に描いてあるのもあるのよねぇ、なんでかしら?」

 2人でじっとジェイドを見る。彼は嘆息した。

「ただの皿を高く売りつけたい商人の陰謀だ。売れりゃあなんでもいいのさ。刺繍とかのもあるだろ」

「へー」

 ミモザは感心したように頷く。

「でもこれ、ある意味で効能がありそうですね」

「効能?」

 訊ねるマーサに彼女はこくりと一つ頷いた。

「野良精霊も強盗も裸足で逃げ出しそうです」

「んは、んはっはっは!確かに!恐ろしくって寄って来れないかも知れないねぇ!」

「一体何が恐ろしくって、一体何が寄って来れないって?」

 愉快な気持ちで笑っていると、ふいに背後から声が響いた。聞き覚えのあるその静かで落ち着いた声に、マーサは錆びついた人形のようにぎぎぎ、と振り返る。

「何をこんなところで油を売っている」

「だ、旦那様!」

 不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、この屋敷の主人が腕を組んで仁王立ちをしていた。

(ひぃぃぃぃ)

 マーサは内心で悲鳴を上げる。怒っている、ように見える。少なくとも不機嫌ではある。

 ああなんで自分はこんな軽口を叩いてしまったのかと後悔する。この気難しい主人の機嫌を直す方法などマーサはおろか、ジェイドも知らないだろう。

 ちらりと横目でジェイドの様子を伺うと、彼も困ったように脂汗をハンカチで拭いながら「旦那様、こんなところでどうなさいました?」と尋ねた。

 それにレオンハルトは親指で空を指し示す。視線を向けるともう日が傾きかけていた。結構なハイペースで屋敷を見てまわっていたつもりだったが、広いお屋敷だけあって結構な時間が経っていたらしい。

「仕事がひと段落したからな、ミモザに稽古でもつけてやろうと探しに来たんだ」

「それはそれは……」

 ジェイドは揉み手をしながら誤魔化すようにへらりと笑う。普段レオンハルトが不機嫌そうな時は使用人達は極力彼に近づかずにやり過ごしているのだ。レオンハルト自身も使用人達に好んで話しかけたり近づいてくることはない。このような事態は本当に稀だった。

「レオン様」

 その事態をどう見たのかはわからないが、平静な様子の声が響いた。ミモザだ。

 彼女はレオンハルトの注目を引くと手に持っていた皿を掲げてみせた。

「ん?ああ、なんだこれか」

 その皿を見てレオンハルトは面白くなさそうに眉をひそめる。

「これがどうした?確か試作品だか完成品だかを商人が持ってきたから倉庫に放り込んでいたんだ」

 その言葉を聞いた少女はとととっ、と軽い足取りでレオンハルトへと近づくと、背伸びをしてその耳元へと口を寄せた。レオンハルトもいぶかりながらもその意図を察して少し屈んで顔を近づける。

(おやまぁ)

 その親しげな様子をマーサは不思議な気持ちで見守った。ちらりとジェイドを見ると彼も目を丸くしている。

 そのまま何事かを彼女が囁くと、レオンハルトは微妙そうな顔をして「君なぁ」と呆れた声を出した。

「何を言うかと思ったら、そういう事に興味があるのか?」

 その態度は呆れてはいるが先ほどまでよりもずっと柔らかい。普段の近寄りがたい硬質なそれとも違っていた。

「うーん、興味というか。こういうのがあったらそういうのもあるかなって思いまして」

 少女はレオンハルトのその態度を特別不思議には思わないようで自然なやり取りのように話を続けた。その言葉に彼は渋い顔をする。

「あったらどうするんだ」

 ミモザはレオンハルトの顔を見上げた。

「どうしましょう?」

 そのままこてん、と首を傾げる。

 レオンハルトは盛大にため息をついた。

「まぁたぶんあるんだろうが、俺は知らないし知りたくもない。くだらないことを言っていないで、修行でもするぞ」

 そのままレオンハルトは身を翻して歩き出す。ミモザは慌てて皿を元の位置に戻すと、呆気に取られているこちらに気づき、頭を下げた。

「案内ありがとうございました。一端失礼しますね」

「あ、ああ」

 ジェイドがなんとかそれだけ返した。最後にもう一度頭を下げると今度こそ少女はレオンハルトの背中を追いかけた。

「……おやまぁ」

 マーサは驚き過ぎてそうつぶやくことしかできなかった。


 ちなみにその後に庭で目撃された2人の『修行』の光景の壮絶さに、使用人一同は彼女には優しく接しようと決意を新たにするのであった。

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