第2話 いじめ

 それはチャイムが鳴って1時間目の授業が終わった時のことだった。次の授業の準備のための短い休憩時間にがらりと音をたてて唐突に教室のドアが開いた。

 開けたのはミモザである。

 ショートカットのハニーブロンドには天使の輪がかかり、憂鬱そうに伏せられた瞳は冬の湖面のように深い青色に澄んでいて美しかった。雪のように真っ白な肌は透き通っているが血の気が引いたような白さで、その外見の美しさも相まってまるでよくできた人形のようだ。これで服装がもっと華美であればますます人形のように見えたのだろうが、彼女はいつも暗い色のシンプルなシャツと半ズボン、そして黒いタイツといった少年のような格好をしていた。その容姿と服装の奇妙なアンバランスさは彼女に不思議な近寄りがたい雰囲気を与えていた。

(戻ってきたのか)

 アベルは意外な気持ちで彼女が静かに自身の席へと戻るのを眺めた。

 変な言葉を叫んで飛び出していったから今日はもう家に帰るのかと思っていたのだ。しかし戻ってきたということはそうはできなかったのだろう。

(そりゃそうか)

 普段より早く家に帰れば理由を聞かれるだろう。これまでミモザが親に一度も学校での出来事を話していないのは当然知っている。

(ステラにはチクったみたいだが…)

 ち、と軽く舌打ちをする。幸いにもステラは素直でお人好しな少女だ。アベルが誤解だと誤魔化すとそれを信じたようだった。

 ステラ。あの美しい少女を思い浮かべるとアベルは幸せな気持ちになる。双子なのに根暗で生意気なミモザとは似ても似つかない。

 アベルだって最初からミモザを蔑ろにしていたわけではない。学校に通い始めた当初、近所に住んでいて元々仲の良かったステラに「妹のことをお願いね」と頼まれて最初のうちは仲良くやっていたのだ。

 しかし入学してから初めて知り合ったステラの妹はどうにも生意気な奴だった。ステラの話題を出すと「僕じゃなくてステラと話しなよ」と突き放すようなことを言い、春の感謝祭で一緒にダンスを踊りたいからステラを誘ってほしいと頼んでも「自分で誘いなよ。僕は関係ないよね」とケチなことを言う。

 出来ないから頼んでいるというのにだ。

 ステラは人気だ。ミモザと違い明るく誰に対しても分け隔てなく優しいステラはみんなに好かれていた。「お前も同じようにしろよ」と忠告をしたこともあったがミモザはその言葉に嫌そうに顔をしかめるだけだった。「せっかく仲良くしてやってるのに!」と言うと「別に頼んでない」などと恩知らずなことを言うので仲良くするのをやめたのだ。

 アベルは近くで喋っていた特に仲のいい3人を目線で呼ぶと、連れ立って席を立った。目指すのはミモザの席だ。

「おい」

 次の授業の準備をしているのか机の引き出しをいじっているミモザの顔を上げさせるために机を軽く蹴りつける。彼女はわずかに身を震わせるとうかがうようにこちらを見上げた。

 その怯えた態度に自尊心が満たされる。

 自分の肩にとまった相棒の鷲の守護精霊も喜ぶように翼を一度広げてみせた。

「よう。どこいってたんだ?」

 にやにやと笑って問いかけるとミモザは怯えたようにこちらを見て、しかしすぐに無言のまま視線を逸らした。その手は再び準備のために筆記用具や教科書を机の上に並べ始める。

 無視だ。

 その事実に苛立って改めて机をがんっと少し強めに蹴り上げる。

 彼女は助けを求めるようにわずかに視線を彷徨わせたが教室にいる誰も彼女と目を合わせようとしなかった。

 担任の教師もだ。

 まだ新任の若い男教師は周囲からの評価を気にしてアベル達のこの行為を容認していた。クラスの他の生徒達もだ。アベルはこの学校の生徒達の中で誰よりも立場が高い。

 アベルには腹違いの兄がいる。その兄はこの国で最強の精霊騎士に与えられる称号である聖騎士を賜るレオンハルトである。

 残念ながら母親が違うため同じ家で育ってはいないが、レオンハルトはいつもアベルのことを気にかけてくれて忙しい仕事の隙間を縫ってはアベルに会いに来てくれていた。この田舎の村ではそれは間違いなくステータスであり、アベルは同年代の子どもの中では尊敬を集めていた。

「助けなんてこねぇよ」

 ふん、と鼻で笑ってやる。このクラスはアベルの小さな王国だった。

「それよりお前、ステラにちくったろ」

 ミモザが顔をしかめる。その様子に気をよくしつつ、アベルはばんっ、と勢いよく机に手を振り下ろす。

その音にミモザの肩が揺れた。

「ちゃんとイジメなんかしてねぇって伝えといたからな。お前がどうしようもないバカで間抜けだから手伝ってやってるだけだって。もしかしたらイライラしてきつくなったことはあったかも知れねぇって言ったら納得してたよ。お前も帰ったらバカなこと言わねぇで自分が悪かったんだって言えよ!」

 ふん、と鼻息荒く告げる。

(これでいいだろう)

 臆病なミモザのことだ。これだけ脅してやればもう逆らおうという気など起きないに違いないと、アベルは満足して身を翻そうとして、

「馬鹿じゃないの」という小さな声に動きを止めた。

「なんだと?」

 声の主はミモザだ。彼女は身を震わせながらもゆっくりと顔をあげた。

 その目は強くはっきりとした交戦の意思を宿している。

「どこの世界にいじめられるのを自分のせいだと家族に言う奴がいるの。僕がいじめられてるのはお前達加害者のせいであって僕は何一つ悪くない」

 頭にカッと血が上る。逆らえるはずのない相手からの反抗がアベルには許せなかった。

「……いっ!」

「てめぇ!調子に乗りやがって!!」

 強い力でミモザの髪を引っ張る。ちょうど机を挟んで対峙していたためミモザは机の上に乗り上げるような形になった。彼女の髪がぶちぶちと音をたてて引きちぎられる。

 言葉もなくうめくミモザにアベルは笑う。どんなに言葉で賢しいことを言おうとこんなものだ。結局ミモザはアベルに敵わないのだ。

 そろそろ休憩時間が終わりそうだ。許してやるかと髪から手を離そうとした瞬間ーーミモザと目が合った。

 苦痛に歪んだ顔でけれどその口元がわずかに笑みの形に歪む。

「なん……っ」

 だ、と言いきる時間はなかった。

 そのままミモザは勢いよく机を掴むと乗り上げた身体ごとアベルのいる方へと机をひっくり返す。

 ぎょっとしてアベルは手を離して後退った。

 派手な音が響いて机とともにミモザが床へと倒れ伏す。

 床の上へはあらゆるものが散乱していた。ミモザへの悪口で埋まる真っ赤な紙、ガラスの破片、無数の刃物、引きちぎられた金糸の髪、そしてその上へ倒れ込んだせいで傷ついたミモザの血痕。

 その上に大の字で寝そべる彼女は美しく、凄絶に笑った。

「誰か助けて!!」

 そのまま大声で叫ぶ。

 ぎょっとしたように教室の中の空気は止まり誰も動けない中で

「一体何事だ!?」

 隣のクラスの担任教師が慌ててかけつけてドアを開いた。

 彼はそこに広がる光景を見て数秒絶句し、けれど数秒だけだった。

 すぐに彼の怒号が響いた。

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