第2話 スローライフの終わり

 サタン討伐から半日後、万有はとあるクランの本拠地にたどり着く。レンガ屋根の一軒家、その門をくぐろうとしたその時――


 男は家のドアを力強く開け、助走を付けて万有を殴りつけた。


 殴られた万有は尻餅を着き、口元の血を拭う。


「お前今何で殴られたかわかるよな」

「……依頼に失敗したから、ですよね」

「そうだ! お前が失敗したあの依頼は、俺が三週間ずっと朝一で協会に並んでようやく参加枠を勝ち取れた依頼なんだぞ! それをお前……よくも失敗しやがって!」

「申し訳ありません」


 悪魔の討伐直後に万有がミラと交わしたもう一つの約束。それは、万有を雇っているクランマスターに『依頼は失敗した』と伝える事だった。


 そのため、依頼には成功しているが報酬金はマスターの元に入らないという事態が発生してしまっている。


「ったく、お前を雇うために全財産の2/3を使ったんだぞ。一回ぐらいクエストを成功させてオレ達に還元しろってんだ」

「じゃあもう一ヶ月契約してくれます?」

「馬鹿、来月分を払えないから言ってんだよ。はぁ、こうなったらもう、報酬金の桁は下がるがS2のクエストを取りに行くか。今度こそ成功させろよ」

「……粘り強いお人だ。ではこうしましょう」


 万有は指を鳴らし、空中に浮かせていたジュラルミンケースを地面に落とす。


「その中には貴方が払った契約金に加え、違約金20%を上乗せした1億2000万Gが入っています。その金の受領を以て、俺に追放処分を下して頂ければ」

「なんだと……?」


 ケースを開いて中に金が詰まっているのを見た男は、地面に膝を着いて愕然とする。


「こんな大金を、お前は顔色一つ変えず……」

「10年もS4として活動してれば、そりゃあ貯金もS4以下の冒険者とは桁がいくつも違うわけで。短い間ですが、お世話になりました」


 踵を返して立ち去ろうとする万有に対し、男は彼の服の裾を掴んで引き留める。


「望んで雇われておいて、気が変わったから契約金を差し戻して辞めるなんてそりゃないだろ! せめて一回ぐらい依頼をクリアして、俺達に良い夢を見せてくれよ!」


 決死の形相でしがみつく男の様子を見て、万有は振り返ってしゃがみ込み、男と目を合わせる。


「貴方と契約する前に、俺の心は限界を迎えていたんだと気付けば良かった。そうすれば、貴方がたをこうして生殺しにする事も無かったのに」

「……」

「貴方の言うとおり、これは義に反する行いです。だから俺は、いずれ何らかの形でこの無礼に対するお詫びをしたいと思います。それがいつになるかは分かりませんが、今はどうか、見逃して貰えると」

「……わかった。信じよう」


 男は万有の裾から手を離す。万有はそのまま歩き出し、やがて男の視界から完全に消え去った。


 ◇  ◇  ◇


 それから三ヶ月が経ち、万有は自分の望みを叶えて山暮らしをしていた。太陽に照らされながら野菜を収穫する万有の顔は、喜びに満ちている。


「大きく育ったなあお前ら! 良い子だ良い子だ」


 長く太いキュウリを持ちながら、万有は子供のようにはしゃいでいた。


 マスターとのやり取りの直後、万有は拠点のあった都市部から遠く離れた田舎へ移動し、そこで買った山小屋を住処とした。


 幸いにもそこには小さな畑が付いており、万有はその畑を使って農業を楽しんでいる。


(ここは良い。麓にある農村は程よく栄えていて店の品揃えが豊富だし、何より種と農具の質が良い。ここを見つけられたのは幸運と言えよう)


 沢山のミニトマトとキュウリが入ったカゴに持っていた野菜を投げ込んでから小屋に戻る万有。


(この質素さが良いんだ。シャンデリアも、大理石の床や壁も、机いっぱいに並べられた高い食事も要らない。この必要最低限って感じの暮らしが俺の理想だ)


 キュウリを縦に切り、マヨネーズと共に皿に盛る万有。それに威勢良くかじり付くと、あまりのおいしさに万有は目を剥いて驚く。


「美味い!! 自分で作った野菜は格別に美味しいな」


 あっという間に皿の上の野菜を平らげる万有。彼は悦に入ったままベッドに寝転び、大きくあくびをする。


(現世で社畜やってた頃からずっと、こう言う暮らしを望んでいた。転生して十年、ようやく願いが叶って嬉しい。もう誰にも邪魔させないぞ)


 その時、玄関先からドアを叩く音がした。その音で万有の機嫌は一瞬にして悪くなり、彼は布団を頭から被って音のする方向に背を向ける。


(また来たか、俺を再びクランに誘おうとする連中が。行かねえっつうの)


 耳を塞いで耐えしのごうとしたが、いつまで経ってもドアを叩く音が止まない。しびれを切らした万有はわざとらしく大きな足音を立てて玄関に行き、思いっきりドアを引いて前方を睨み付ける。


 しかし万有の目には何も映っていなかった。悪戯かと思ってドアを閉じようとした万有だったが――


「ちょ、ちょっと! 下を見るのら! ちゃんとここにいるのら!」

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