第19話 生と死を見つめて
(生と死を見つめて)
民宿の仕事がひとまず片づいたのは、午前十時を少し回っていた。
そして今日は、香奈も一緒に浜辺にやってきた。
四人は、浜辺に着くなりボートをかついで海へ駆け出した。
「きゃ―あ、冷たいっ!」
「ちょっと、このボート小さいんじゃない―?」
「大丈夫、四人乗りよ」
「香奈ちゃん、乗りなさい―」
それぞれに、叫びながらボートに乗り込んだ。
愛実は、いち早くオールを取ると、一人懸命にこぎ出した。
浜辺は見る見る遠ざかり、浜辺の人たちが小人のようになってしまって、まるで別世界の風景のように心もとなく感じられた。
そして、太陽だけが、やけに身じかに見えて、体を焦がしていた。
「あ―、疲れた!」
愛実は、三人の真ん中で寝転がった。
「こら―あー、アミっ! こんな所で寝るな―!」
麗子が、愛実を蹴飛ばしながら叱りつける。
「何よ、私ばっかりやらせておいて……」
「アミが好きでやっていたんでしょう―! いいわ。ごほうびに……」
麗子は正美に目で合図を送り、愛実の足を持った。そして、正美は愛実の両脇を持ち……
「わ―あ、なにすんの―!」
「せいのっ!」と麗子と正美のかけ声で、二人は愛実を海へ放り込もうと立ち上がった。
その瞬間、ボートはバランスを崩して……
「きゃ―あっ!」
と叫ぶ暇もなく、四人は海へ放り出されてしまった。
そして、あっぷあっぷとひっくり返ったボートにしがみついた。
「も―おー、ドジなんだから。私を海へ放り出そうとした罰よ!」
愛実は、してやったりとした口振りで、麗子と正美に仕返しをした気分だった。
「いったわね。だいたいアミが、いけないんでしょうー!」と麗子は言い返して、愛実を捕まえようと追いかけた。
愛実は、捕まっては大変と泳いで沖の方へ逃げだした。
「こら―あ、まて―え、卑怯者……」
麗子は、さらに愛実を追っかけた。
「ちょっと、待ってよー、ボートどうするのよ!」
正美が叫んだが、頭に血が昇った麗子と必死で逃げる愛実には届かない。
仕方なく、正美はひっくり返ったボートに飛び乗りながら、何とか一人で元に戻すことに成功した。
「さ―あ、香奈ちゃん。もう一度、乗って……」
正美は香奈ちゃんをボートに押しやり、自分も、おそるおそる上がった。
そして、まもなく愛実が息を切らせて泳いできた。
「あ―あー、疲れた……。正美、助けてくれ―!」
とボートの縁に捕まりながら手をさしのべた。
それを見た香奈が、正美よりも早く愛実の手を取って引き上げようとした。
「香奈ちゃん、ありがとう、やさしいのね!」
「……、……」
「そうは、させるか!」と麗子が愛実の背中に抱きついた。
「きゃ―あっ!」
その悲鳴もろとも、愛実の手を持っていた香奈ちゃんまでもが、海に引きずり落とされてしまった。
「レイ、香奈ちゃんまで落ちたっ!」
今度は、ボートは大丈夫だったけれども、香奈が巻き添えをくってしまった。
二人は、慌ててあたりを見回した。
「お姉ちゃん、ここよ―!」
香奈は、上機嫌で向こうから泳いでやって来た。
「ごめんね。香奈ちゃんまで落ちちゃって!」
「うん、大丈夫、面白かった!」
香奈は、愛実に引きずられる前に、手を離して自分から海へジャンプしたのだった。
それでも麗子は、香奈に謝りながら愛実と二人でボートに乗せた。
「も―、なにやっているのよ!」
二人が上がるや否や、正美の冷たい視線が二人を刺した。
「ごめん、ごめん、もう、おとなしくしています!」
愛実と麗子は、ボートの縁に小さくなって座った。
「でも、香奈ちゃん、泳ぎ上手ね。どこまででも泳いでいけるみたい!」
愛実は、香奈の雄志を誉めたたえた。
香奈は、少し照れながら微笑んでいた。
「でも、香奈ちゃんは、本当は都会っ子なのよねー」
正美は、意外な香奈の過去を話し出した。
「香奈ちゃんが、ここへ来て、今年で二回目の夏なのよね―」
「え―、ほんと!」
愛実と麗子は、すっかり日焼けした香奈からは、想像出来ないことだった。
「前は、なんと東京の真ん中よ。でも、お父さんが、交通事故で死んじゃったから、仕方なく、お母さんとここへ来たのよね―」
正美は努めて明るく話したが、愛実と麗子は香奈の気持ちを考えると、自然と少し心が沈んでしまった。
そんな、暗い雰囲気を変えようと麗子は……
「それなら、なおさら凄いじゃない。私、今だって香奈ちゃんみたいに泳げないもの―」
「うんん、ここへ来てからじゃないの。前いたところで、スイミングクラブへ通っていたから―」
香奈は、謙遜するように言った。
「凄い、私たちの街にはないわよね?」
ほとんど家から出ない愛実にとって、聞き慣れない言葉だった。
「さすが、都会っ子ね。今は、泳ぐのは夏だけじゃなくって、オールシーズン、プールで泳げるのよねー」
麗子は、うらやましそうに言った。
「今の子は都会じゃなくっても、みんな塾とスイミングぐらい通っているわよ。現に私だって、五年生の夏までは通っていたもの!」
と正美は当たり前のように、認識不足の愛実たちに話して聞かせた。
「え―、そうなのかー! それでわかった。正美ちゃんが、なんで、おとなしい顔をしていて、あんなにおてんばで、その上、人並みはずれた体力を持っていたのかが!」
愛実は、一人納得をして、白々と正美を見直した。
「アミちゃん、おてんばは余分だけど、それは誉めていてくれているのかな―?」
正美は、愛実を睨むように言い返しながら、腕は愛実の頭の上に長い髪で作ったお団子を掴んでいた。
そこに麗子が、間に入って正美をあやすように……
「もちろんよー、なんと言っても体力が資本よね―」と、これ以上もめないようにと、機嫌を取っておだてまわした。
正美は、よしよしと睨むのをやめてから引っ張っていたお団子を離した。
「でも、香奈ちゃんは、泳ぎの方は、地元の子より上手なくらいだけど、二年にもなるのに、なかなか学校になれなくて、ピアノばかり弾いているって、叔母さんが嘆いていたわ―。やっぱり、お父さんのことが原因かも知れないって。それで形見になってしまったピアノを夢中で弾くんじゃないかって……」
正美はふと静子が話した香奈のことを思い出した。
香奈の悲しみを癒やすには、二年の歳月では、まだ短かすぎたのかも知れない。
「香奈ちゃん、元気出して! アミ姉ちゃんにはね、お父さんも、お母さんも死んじゃったのよ。香奈ちゃんには、あんなにすてきなお母さんがいるじゃない。心配掛けちゃだめだよ……」
不思議と麗子が、愛実の心を感じとって話しかけた。
香奈は、驚いたように愛実を見た。
その鋭い視線に、愛実は、やさしく笑って見せた。
「そうなのよねー、お父さんの贈り物のピアノが家に届く前に亡くなったから、お父さん、一度も香奈ちゃんのピアノ聴いたことないのよね。今なら、こんなに上手に弾けるのにね。でも、きっと香奈ちゃんのそばで聴いているわよね―」
正美は、愛実たちに同意を求めた。
「それは違うわ!」
正美の思いとは違って、麗子がきっぱりと否定した。
「え、……」
正美が驚いて麗子の顔を見た。
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