第18話 民宿の天才少女

(民宿の天才少女)


 翌朝、磯釣りらしい壮年の四人組のお客がテーブルに着くと、朝食の仕度をしていた愛実に声をかけた。


「お嬢さん、昨日のピアノはよかったよ。まさか民宿で生のピアノ演奏が聴けるとは思わなかったよ!」


 四人の中で一番太った貫禄のある、おじさんが話しだした。


「すいません。つい調子に乗って、もう弾きませんから……」

 愛実は突然、ピアノのことを言われて驚いた。


 あの時は、回りの客は宴会で騒いでいたので、ピアノの音くらい、誰も気にしないと思っていた。


「いやいや、怒っているんじゃないよ。本当の気持ちさー!」


 愛実は苦情を言っていないことを知ると、少し安心して……

「でも、お客さん、どうして私だと思うの?」


「あれ、違ったかい。わしらの部屋は、すぐそこだったから、昨日ちょこっと覗いたのさ。それで、いつのまにか、うるさかった宴会が、しーんと静かになったから、みんな聴き入っていたと思うよ―」


「へ―え、気がつかなかったけど、でも私、いくらなんでも夜に、そんな大きな音出さないわよ!」


 愛実は自分のピアノが民宿中に鳴り響いていたとは思えなかった。


「へ―え、驚いたのはこっちだよ。昨日の演奏は音を抑えて弾いたのかい?」


 四人組のおじさんたちは、いっせいに愛実の方を見た。


「もちろんよ。あれでも、お客さんの迷惑にならないように気を遣って弾いたんだから!」


「じゃ―あ、それでもって、きちんと弾いたらどうなるんだい?」


「どうなるって、うるさいだけじゃないの!」


 愛実は、驚いているおじさんたちを前に、笑いながら当たり前のように答えた。


「これは、参ったね―えー! わしは、カラオケもやらんし、あんな、恋だ愛だ、好いた別れただの歯の浮くような歌は、どうも好きになれんで、若いころから、クラシックしか聴かなかったんじゃよ。だから、よく演奏会にも行くけど、今まで聴いた中で一番、一番よかった。まるで、自分が弾いているみたいに、こ―おー胸が詰まるような感動が沸いてきたよ。もちろん、わしは弾けんよ。でも、そんな凄い演奏が音を抑えて弾いたなんて、本当に驚いた。今度は是非、力一杯の演奏が聴きたいね―!」


「あのね―、バレーボールやってるわけじゃないんだから……」

 愛実はその表現に一抹の不安を感じた。


 すると横から麗子が……


「おじさん、あれはアミの精一杯の演奏だたのよ。だから感動して当然よ。アミが、いくら小さな音で弾いても、音の大きさは問題ではないの。その楽曲の心、演奏者の心と言ったものを、ピアノを通して聴いている人に伝えられるか、どうかで演奏の善し悪しが決まるんだから……」


 愛実は、ちょっと照れながら……


「そ―う、はっきり言われると自信ないけど。でも、喜んでもらえて、私も嬉しいわ―」


 愛実は、麗子が言うほど自分の演奏に自信がなかったが、中途半端な演奏が出来るほど未熟ではなかった。


 おじさんと愛実たちの話を聞いていた、また別の組の若いお客が……


「昨日のピアノは、お嬢ちゃんが弾いていたのかい?」


「お嬢ちゃんって言われるほど、お嬢ちゃんじゃないけど……」

 愛実は、だんだん煩わしくなってきた。


「や―あ、何かよかったよ。宴会やっていたんだけど、いつの間にか会話がなくなってきて気づくとみんなピアノを聴いているのよ。何か心がじ―んとくるような演奏だったね―」


 そう話すお客の後からも、後からも、愛実の演奏の話ばかりだった。


 そのたびに愛実も……


「喜んでもらえて、私も嬉しいわ……」とオウムのように繰り返すばかりだった。


「お嬢ちゃん、また聴かしておくれよ?」

 集まっているお客の意向を代表するように、さっきの若い男が言った。


「もちろん、いいわよ! それなら今度、音楽会でも開きましょうか?」

 愛実は、お客さんの気持ちに答えるように、それとなく軽く言ったつもりが……


「いいね―え、是非たのむよ!」


 お客さんの中から大喜びの声が飛んで、拍手が起こった。

 そして、居間の雰囲気がどっと盛り上がった。


「それなら、今夜また弾いておくれでないかい?」

 また別のお客が叫んだ。


「もちろん、いいわよ!」と愛実は軽く引き受けてしまった。


「そりゃ―ないよ! わしらは今日、帰らにゃならんよー」


「おじさん、また来てよ!」


 愛実は、残念がるおじさんに、愛嬌よく営業言葉が出たので、またお客さんが、どっと笑って盛り上がった。


 愛実たちが、居間の朝食の仕度が終わり厨房に戻ると……


「なんか、凄い人気ね……」

 正美が、改めて驚きを表した。


「おかげさまで、でも怒られなくってよかったわ―」

 愛実はお膳箱を置きながら、ホッと胸をなでおろした。


「当たり前でしょう、世界一のピアノを、ただで聴かせたんだから……」

 麗子は、愛実の分まで誇らしげに言った。


 そして、そばにいた香奈までも……

「お姉ちゃん、凄い、私、あんなに喜んで、朝ご飯食べている、お客さん見たの初めてよ!」


 香奈は、尊敬と憧れの眼差しで愛実を見つめていた。


「そ―う、きっとみんないい人たちなんだね!」


「違うよ。お姉ちゃんのピアノが、凄いのよ! 交響楽団に負けないくらい凄かった。私も、感動したもんっ!」


 いつもは、口数の少ない香奈が、さっきのお客さんの興奮が伝わってきたように語気強く叫んだ。


「ピアノって、お姉ちゃんみたいに上手に弾くと、こんなに凄いものだとは知らなかった!」


「そうよー、香奈ちゃん。ピアノはね―え、八十八人のオーケストラと言われるほど、凄い迫力のある楽器なのよー。私もその魅力に引かれた一人だけど……」


 麗子は、香奈が自分と同じイメージをピアノに持ってくれたことが嬉しかった。


「香奈もがんばって練習して、アミちゃんみたいな凄いピアノが弾けるようにならなくっちゃ―!」

 正美が、香奈を励ました。


 でも香奈は、さすがに自分が愛実のように弾けるとは思えず、うつむいてしまった。


「香奈ちゃん、大丈夫よ。毎日休まず、こつこつ練習すれば、アミのような凄いピアニストになれるわよ!」と麗子も励ました。


「あのね―えー、そんな凄い凄いって、私はゴジラじゃないんだからねー。ピアノが好きなら、すぐ弾けるようになるわよ!」


「お姉ちゃん、ホンと、才能がなくてもいいの?」と香奈は愛実を見つめる。


「香奈ちゃん、難しい言葉知っているのねー。才能なんて、みんな持っているものなのよ。ただ、使わないだけなのよ。ピアノはねー、お話をするのと同じなの。赤ちゃんは、始めからお話は出来ないでしょう。でも、大きくなるに連れて、少しずつ言葉を覚えて、三歳ぐらいになれば、もう不自由なく、お母さんやお友達とお話が出来るようになるでしょう。そして、香奈ちゃんぐらいになると、自分の気持ちや、未来の夢なんかを聴かせてあげられるでしょう。ピアノも、それと同じなのよ。最初は、言葉を覚えるのに苦労するけど、覚えてしまえば、口でおしゃべりするのが、ピアノに変わるだけなんだから難しいことないでしょう。誰にでも出来るわよー!」


 香奈には、愛実の喩えが、少し理解できなかったが、おしゃべりと同じなら出来そうな気がしていた。


 そこで正美も、愛実の喩えに付け加えるように……

「そうね―、英語だって、今は覚えることばかりで、ぜんぜん会話にならないけど、アメリカでは、三歳の子供でも話しているものね―」


「でも、本当の自分の気持ちを他の人に話して聴かせることも、けっこう難しいんじゃない?」

 麗子が愛実に逆らうように話に水を差した。


「そうよね―えー!」

 正美は、麗子の話にもうなずいた。


「なにいってんのよー! レイだって、そうやってピアノを弾いてきたんだからっ!」


「ハハハハ、そうでした……」と麗子は照れ笑い。


「お姉ちゃん、私にもピアノ教えて……?」

 香奈が勇んで、愛実にせがんだ。


「もちろんよっ! 香奈ちゃんは、ピアノ好きだもんね!」

 香奈は、愛実の返事に飛び上がるように喜んだ。


「でも、取りあえず、朝食の片づけね……」と正美が目の前のお膳箱を片づけ出した。


「じゃ―あ、それが終わったら、海ねっ!」

 愛実は張り切って食器を片づけ出すと……


「ごめんねー、ここが終わったら、お部屋のお掃除!」


「え―、お掃除するの?」


 それを聞いた麗子が……

「当たり前でしょうー!」と一括した。


「アミちゃんって、誉められたり、けなされたりで大変ね―」と正美が言ったので、香奈はじめ、近くにいた叔母さんまでもが、大笑いしたのだった。



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