第20話 生まれ変わること

(生まれ変わること)


「それは、違うのよー! アミ、いつまでも黙っていないで言ってよ!」


 麗子は、愛実がピアノ以外で自分の体験を話すのが一番嫌いだと言うことを良く知っていた。

 愛実は、それだけ辛い思いをしてきていた。


 そんな愛実が、重い口を開いた。


「私ね―、少しだけどお母さんのこと、なんとなく覚えているの。柔らかい手、おっぱい、綺麗な人、ピアノの音、忘れないように、何度も思い出しているのよ。でも、そういうときって、必ず嫌なことがあったときとか、辛いときでしょう、だからよけいに寂しくなって、悲しくなって泣いちゃうのよね。そんな時に、おじいちゃんが言ったの。お前がいくら悲しんでも、お父さんとお母さんは、もうここにはいないよ。人は死んだら、また生まれ変わって、前世の思いを成し遂げようと、またこの世界で一から始めるんだって、だからお前が心配しなくても、お父さんも、お母さんも、愛実にめぐり逢うために、今この世界で生きて、お前を捜しているはずだよって……」


 愛実は、ぼ―と焦点なく、うつむきかげんで話していたが、最後のところで香奈の顔を見た。


 香奈は、何も言わずに、愛実を見つめていた。


「でも、死んだ人は、ご先祖様になって家族や縁者を守っているんじゃないの?」

 正美は、香奈ちゃんの心をかばうつもりで反論した。


「そんなこと誰が決めたのよっ!」

 麗子が、正美の心に反して語気強く言い返した。


「昔から、そう決まっているわよ。そのために毎年毎年、お盆や法事があるじゃないの?」


「正美ちゃんも、以外とお人好しね。ご先祖様に聴いたわけでもないのに。それは、生きている人の勝手な都合でしょう!」


「それは、そうだけど……」

 正美は、麗子の鋭い突っ込みにたじろいだ。


「私は、嫌だよー! いつまでも幽霊で、何年も何年もふらふらしているのは……。それに、まだ若ければいいわよ。だいたい死んじゃうのは、おじいさんおばあさんになってからでしょう。そんなよぼよぼで腰が曲がってからも幽霊になって、ふらふらしなければならないなんて。勘弁して欲しいって感じ!」


 正美は麗子の話を想像して吹き出してしまった。


「ま―ねー、じゃ―、レイちゃんだったらどうするの?」


「もちろん、さっきアミが話したように、すぐにでも生まれ変わって、若さと美貌を取り戻して、恋の花、夢の花を咲かせるのよ。そうさせてもらえることが、死んだ人への、なによりの供養だと思わない!」


 麗子も愛実と同じように、最後のところで香奈の顔を見ながら悟すように言った。


「でも、でも、そんなことが出来たら、みんな自殺して人生やり直すんじゃないの?」

 正美は、少し無気になって言い返した。


「そうよ。自殺した人もちゃんと生まれ変われるわ。でも、さっきも言ったように生まれ変わっても、別の人間に変わるわけではないの。前世の運命を背負ったまま同じことを繰り返すだけ。自殺した人は、生まれ変わっても、やっぱり自殺しちゃうんじゃないかな……」


 麗子は、一気にまくし立てて、正美の反論を許さなかった。


 しかし、正美は黙って麗子の話を聞いていた。

 そこに愛実が付け加えて言った。


「でもねー、運命は変えられるわ。生きているうちに生まれ変わるくらい努力すればね……」


 ボートの上が、し―んと静まり返って、遠くの浜辺からは、海水浴客のはしゃぎ声が、かすかに聞こえる。


「凄―い!レイちゃん、いつからそんな哲学的なこと覚えたの―?」

 静寂を破って正美が敬服した。


「これは、みんなアミの受け売りよ。アミはねー、こうしてお母さんや、お父さんのいない寂しさに勝っているのよ!」


 麗子は、愛実に同意を求めた。


「そんな大げさなことじゃないけど、私はおじいちゃんの受け売りだから。でも香奈ちゃんが、お父さんに逢いたい気持ちはわかるけど、でもそれで悲しんでいたら、お父さんだって、喜ばないと思うわ。やっぱり、香奈ちゃんが元気で明るく過ごしていなければ、お父さんも、心配で生まれ変われないかも知れないわよ。いつまででも幽霊じゃ―かわいそうじゃない。死んじゃうことは、終わりじゃないから。またすぐに生まれ変わって人生を始めるから。でも、生まれ変わっても、別の人じゃないのよ。香奈ちゃんのお父さんには変わりないの。でも、お父さんには香奈ちゃんだと、わからないかも知れないけど、お父さんを知っている香奈ちゃんには、わかるはずよ。探してみたら……?」


 正美と香奈は、愛実がまた意味不明なことをいいだしたので、とまどってしまった。


「どうやって……?」

 香奈は、おそるおそる訊ねる。


「かんたんよ。生まれ変わるんだから、少なくとも、香奈ちゃんより年下ね!」

 愛実は、さっきの暗い感じから、一変して明るく答えた。


 そして、愛実の言葉に続いて麗子が……

「それと、お父さんの命日より後に生まれた人ね」


「それなら、まだ赤ちゃんじゃない?」

 正美は、さすがに計算が速く、期待を裏切ったような落胆の声を上げた。


「そうねー、ちょっち早いかな。でも、いずれ大きく成長して、香奈ちゃんのピンチを救ってくれる王子様になって現れるわ。それとも、若い医者になって、香奈ちゃんの命を救ってくれるかも知れない。もしかして、結婚するかも知れないわよ。どちらにしても、香奈ちゃんの人生の中で大事な人に成ることだけは間違いないわね。だって、香奈ちゃんのお父さんなんだから。よく探してご覧なさい!」


 香奈は、いつしか笑顔に変わっていた。


「でも、いい話ね……。そうよ香奈、いつか生まれ変わったお父さんに逢った時、いつまででも、めそめそしていたらお仕置きされちゃうから。その時に恥ずかしくないような立派な人にならなくっちゃ。もしかすると、その時に、幽霊じゃない本物のお父さんにピアノ、聴かせて上げられるかも知れないね。そしたら、今朝のお客さん見たいに、涙を流して感動するかもよ!」


 正美は、そう言いながら、香奈の肩をしっかり抱き寄せた。


「そうよ。そのためには、誰とで仲良く友達を作んなきゃ―だめよ。特に年下の子にはね!」

 麗子が付け加えた。


「お姉ちゃんも、探しているの……?」


「もちろんよ。最初は、レイかも知れないと思ったけど、歳月が合わないから、まだ見つかっていないの……」


 愛実は、やさしく答えた。


「そんな、私があの有名なピアニストの生まれ変わりだなんて……」

 麗子は、照れながら愛実にすり寄った。


「だから、計算が合わないのよ!」

 愛実は麗子を突き放した。


「そんな、神様も、少しくらい間違えるわよ。私、アミのお母さんになるわー」と麗子。


「もう、いいちゅうに……」


「これじゃ―、いつもの逆だね!」と正美は大笑い。


 ボートの上は、香奈ちゃんの笑顔と共に、いつもの明るい雰囲気に戻っていた。


「ね―私、お腹空いたっ!」

 香奈が、突然大きな声で叫んだ。


「そうねー、なんか、ボートの上で話し込んじゃったね。も―お昼じゃないかな―?」

 正美が、腕時計を見て言った。


「あれ、時計持ってきたの?」

 愛実が信じられないようすで覗きこんだ。


「そうよー、誰か一人は、持っていないとねー」


「さすが、しっかりもの―!」と愛実がちゃかした。


「ついでに言うと、三時までには帰るわよー!」


「え―、そんな……」


「遊びに来たんじゃ―ないでしょう―!」と、正美は愛実の微かな望みにとどめを刺した。


「それじゃ―、思いっ切りあそばなくっちゃ……」

 愛実は、立ち上がってオールを取ろうとしたところ、ボートはバランスを崩して大きく揺れた。


「こらー、アミ、立つなー!」

 麗子の激が飛んだ。


 そして、みんなが慌ててボートの揺れを抑えるのに懸命なとき……


「私、先に行ってる!」と、香奈は力強くボートの縁を蹴ってイルカのように海に飛び込んだ。


 それが、ボートの揺れと重なって、あえなくボートは、またもや、ひっくり返ってしまった。


「香奈、わざとやったわね―!」

 正美が、海からずぶ濡れの顔を出して叫んだ。


 その時には、香奈は遙かと遠くを泳いでいた。


「香奈ちゃん待てよ―!」と愛実がその後を追った。


「こら―、ボートどうするの?」

 正美が、また叫んだ。


「ま―あ、いいっか。レイちゃん手伝って……」


「はい、はい……」


 それからも、四人は海の家で、イカ焼きを食べたり、スイカを食べたり、楽しい一時を過ごした。

 そして、疲れ果てて一休みと、みんなで静かに甲羅干しをしていたときだった。


「私、先に帰っていいかな―?」

 愛実が突然、起きあがって言った。


「どうしたの?」

 麗子が、心配そうに訊ねる。


「何でもない。みんなは、もっとゆっくりしていてね……」


 愛実は、言い終わるよりも早く、一枚上着を取ると、そそくさと帰り道を急いだ。


「ちょっとアミ……、荷物、誰が運ぶのよ!」

 麗子が叫んだが、愛実は聞くはずもなかった。


「なんちゅうやつだっ!」

 麗子が、憤慨しながら正美にぶつけた。


「でも、へんね。一番、海で遊びたがっていたのに……」

 正美が、不思議そうに囁いた。


「も―、何か、しらけちゃったね……」

 愛実がいなくなると、急に元気がなくなる麗子だった。


「そうねー、じゃ―、今日はこれで終わりにして、また明日来ればいいから……」

 正美は、香奈のご機嫌を見ながら提案した。


「……、……」


 香奈も、愛実が突然帰ったことが心配だったので、もちろん賛成だった。


 三人の気持ちが合ったところで、浜辺の基地の撤収だ。


 日射しは、まだ高く、時より吹く南風は、砂浜の熱気を払いのけて心地よい。


 片づけながらも、少しだけ未練が残る三人だった。



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