第11話 未来の夢と冒険旅行

(未来の夢と冒険旅行)


「でも、アミちゃん。そんなに絵が好きなら、美術部に入れば良かったのに。美術部だけ、特別に信州で一週間の合宿よ……」

 正美はうらやましそうに報告した。


「えっ、知らなかった。私、今から美術部に入る!」

 正美の膝から跳び起きて言った。


「だめよ。アミは、陸上部よっ!」と麗子の冷ややかな声。


「私、信州へ行きたい。行きたい。行きたい……」

 愛実はついに、だだっ子をやり始めた。


「でも、それなら信州に行けばいいじゃない。合宿でなくても夏休みよ。時間はたっぷりあるわよっ!」


 正美は、軽く当たり前のように言ったが、二人の反応は意外と暗く沈んだ笑顔になった。


「そうなんだけどね。いろいろと事情がありまして、私の家は、お父さんがデパートだから、夏休みも、冬休みも、みんながお休みの時は、かき入れどき。たまの休みは、接待ゴルフか、家でゴロゴロ……。アミの家は、おじ様もおば様も、お年だし……。今までに旅行に出かけよう、なんて話し一度もなかったし、私たちも、どこかに連れて行ってって言ったことなかったけど、知らないうちに家の事情というものをわきまえていたのね―」


 麗子は、だんだん自分が惨めに思えてきて言葉尻はかすれていた。


「え―、うそ―、信じらんない!」


 正美は、一転、驚いたようすで……

「以外と二人とも、詰まらない夏休みを送っていたのね!」


 正美は、二人の顔を覗きながら同情していた。


「ま―ね。詰まらないといえば、詰まらないけど、お休みの日に限らず、時間が空いていれば、ほとんどピアノの練習がから、正美ちゃんに言われるまで考えたこともなかったわ。だから、私もアミも、これで十分満足してたのよ―」


 しかし、愛実が嬉しそうに話し出した。


「でもね、でもね、正美ちゃん。実はね、どこかに旅行しなくても家にいて、もの凄く楽しいことが出来るのよっ!」と、元気な声で正美に自慢するように発言した。


「え―、何にっ?」


「それはね―」と愛実が言いかけた時……


「だめ―、だめだめ!」

 麗子が、慌てて愛実の口をふさぎながら、愛実を自分の膝に抱き寄せ、押さえつけた。


「え―、どうしたの?」


「正美ちゃん、何でもないのよっ! アミのことはいいから、夏休みの過ごし方でしょう?」

 麗子は、懸命に話をそらせようとした。


「そう言う正美ちゃんは、どこにも行かないの?」と麗子は、反対に訊き返した。


「私ー? 取りあえず夜の塾は夏休みでも毎日あるし……」


「へ―え、正美ちゃん塾行ってるの?」

 麗子は驚きの調子で訊き直した。


「えー? レイちゃん塾行ってないの?」

 正美は驚いて訊き直した。


 そのようすで麗子は、本当に驚いてしまった。


「えっ! どうして……」


「どうしてって塾にも行ってなくて、何で成績いいの。学年の首席でしょう。家庭教師が付いているの?」


「そんなのいないよ。ただ、一生懸命に勉強するだけよ。ほとんど学校に来ない、アミと一緒にねー」


「悪かったわねー! この頃はちゃんと来ているでしょう」

 愛実は麗子の膝の上で、かなわないまでも、少し反抗して見せた。


「どんな勉強方法しているの?」

 正美は真剣な顔をして、麗子に訊いた。


「どんな方法もないよ。ただ、できの悪いアミに勉強を教えながら、自分も勉強してきただけなんだから。でも、これがけっこう大仕事で、なんたってできの悪いアミだから、よくよく噛み砕いて、要点をまとめて教えないと理解してくれないのよ。たぶん、それが良かったんだと思う。要点が分かっていないと人に教えられないでしょう」


「じゃ―あ、私のおかげじゃない」

 愛実は、急に勢いづいて偉そうに言った。


「なにいってんのよ! アミがいなければ、私は今ごろ全国一よっ!」


 愛実は麗子なら、もしかして全国一の成績かも知れないと思って、何も言えなくなってしまった。


「でも私、塾じゃないけど、ピアノは恵美ねーえの個人教授付なのよ。だから週一回は受験特訓じゃないけど、ピアノの猛特訓があるから、毎日毎日ピアノの練習は外せないし、それに陸上とアミのめんどうでしょう。はっきり言って、塾へ行っている暇ないのよ。それに私にとって今は受験よりも、将来がかかっているピアノの方が大事だから。みんなが進学塾行くのと同じように、私もピアノやっているから同じよー」


「偉いな―あ、もう自分の道をしっかり持っているのねー」

 正美は憧れのまなざしで麗子を見ていた。


「正美ちゃんだって、シナリオ・ライター、エッセイスト、小説家……、立派な夢があるじゃない」と麗子。


「でも私の場合、夢は夢として、今は憧れているけど、将来本当にそれが私に向いているかどうかわからないし、なれるかどうかも自信ないわ……」


「そんなの当たり前じゃない。私だって、自信ないよ。でも私はピアノが好きだから、もし夢が叶わなくても、やっぱりピアノ弾いていると思う……」


「レイちゃんにとってピアノは、将来の仕事というよりも、レイちゃんの人生なのね」と正美は大人っぽく言った。


「わ―あ、凄い。さすが物書きね。言うことが違うね」と、冷やかしたのは愛実だった。


「正美ちゃん。やっぱり才能あるよ」と、麗子も正美の大人びた言い方が将来を案じさせているように思えた。


 正美は、少し照れ笑いを浮かべながら、お返しとばかりに、愛実に振った。


「アミちゃんだって、ピアノやっているんでしょう!」


「私は、ピアノよりも絵描きの方がいいな。絵は私の人生よー」と、愛実も正美のまねをして気どっていったが、麗子と正美は冷たい視線を投げつけた。


「ね―えー、どうして私が絵描きじゃいけないの?」

 愛実は、二人の顔をのぞき込むようにして訴えた。


「何の話だったっけ?」と麗子は、いつの間にか話題が変わっているのに気がついた。


「夏休みの過ごし方でしょう」

 正美はもとの話にもどした。


「塾の他に、家族で旅行とか行かないの?」

 麗子も本題を思い出した。


「まさか、ハワイなんて言わないでよね。うらやましいから!」

 愛実は資産家の令嬢のような正美ならありうるかもしれないと想像していた。


「行けるわけないでしょう。でも、人並みに近場の家族旅行なんかには行くけどね。それも夏休み以外で……」

 正美は意味ありげな言い方をした。


「夏休みは、私もどこにも行けないの。唯一行けるところは、母の実家の伊豆だけ。母の実家が、伊豆の須崎で民宿をやっているの。だから、夏は忙しいでしょう。その手伝いも兼ねてね。二週間ぐらい行きっぱなしなの―」


「え―! 私、そっちの方がうらやましい。なんたって、二週間も海の家にいられるなんて、トロピカル・パラダイス、最後の楽園じゃない!」

 愛実は脳天気に叫んだ。


「何いってんのよ。遊びに行くんじゃないのよ。お手伝いに行くんだから……」


「それ、私の口癖……! でも正美ちゃんが行くのだから、お手伝いじゃなくて、おじゃま、じゃないの……」と麗子がすかさず、ちゃちゃを入れた。


「何いってんのよ。私の仕事ぶりでも見に来れば……」と正美は強気で発言した。


「正美ちゃんは見たくないけど、海に家には行きたいな……」

 愛実は、うらやましそうに正美を見る。


「じゃ―、来たらいいじゃない。伊豆なら信州よりも遙かに近いわよ―」

 正美は、はずむ声で愛実たちを誘った。


「でもねー、距離の問題じゃないのよね……」

 麗子は、愛実の顔を見ながら、ため息まじりで囁いた。


「じゃ―、家の人は置いといて、私たちだけで行けばいいじゃない!」と、正美はさらに元気に叫んだ。


「だめよ! 保護者なしでは、電車も乗れないわ―」と麗子。


「そんなことないわよ。夏休みよ。車掌さんだって、いちいち気にしてないわよ!」と正美。


「でも、正美ちゃん。一人で行ったことあるの?」と心配そうに麗子が訊ねた。


 正美は、一瞬力が抜けたが、気を取り直して……

「それは、ないけど……、でも、一人じゃ―ないじゃん。私たち三人よ。それに、もう中学生なのよ。何とかなるわよ!」


 正美の目は、再び生き生きと輝きだした。


「正美ちゃんて、以外と大胆ね―」と言ったのは愛実だった。


「ただの、無鉄砲じゃないの!」と麗子はあきれ顔。


「でも私、賛成!正美ちゃん。いいこと言うわ。そうよ忘れていたわ。私たちは、もう中学生よ。何だって出来るわ。私、絶対に伊豆に行くっ!」

 愛実は、心に決意したように麗子を睨んだ。


 しかし麗子は、愛実とは反対に……

「何いってんのよ。まだ、中学生じゃない。なにもできない、子供よ……」と、落ち着いて舞い上がっている二人をいさめた。


「も―、レイは、伊豆に行きたくないの?」

 愛実は、いらいらしながら麗子の気持ちを改めて訊ねた。


「……、行きたいわよ。出来れば―」

 麗子はちょっと俯き加減で囁いた。


「それは良かった。これで話は決まった!」


「でも、うちの親は許してくれないよー」

 愛実は安心したように叫んだが、麗子は不安そうに囁いた。


 それを聞いて正美は……

「大丈夫よ。知らないところへ行くんじゃないから。私の親戚の家にお手伝いに行くんだから。たぶん私のお母さんも許してくれるわ。だから、家の人に聞いてみて、許可が出てから、また考えましょう」

 正美は、もう次の段階へ入っていた。


「うちは、レイの家が許してくれれば、何でもOKよ!」

と愛実は自信たっぷりに胸を張って言ってのけた。


「そうね。取りあえず、家の人に訊いてみなければ、始まらないのよね―」と正美は、そこのところは冷静だった。


 それを聞いて、麗子は少しほっとしていた。


「これで、少しは夏休みが楽しくなったわ。なんだか、未知の世界に冒険旅行に行くみたいね」と正美は、冷静さを越えて、すでに旅行気分で有頂天の喜びだ。


「ちょっと、二人とも。まだ、わからないんだって。それに、もし行けたとしても、夏休みの前半の練習は毎日あるんだからね。もちろん、伊豆はそれが終わってからよっ!」


 麗子は浮かれている二人に水を差した。


「やだ、やだ、や―だ。私、寝てるってば―」


「そんな事、私が許さない!正美も、良かったら、陸上やりなさいよ。オリンピック目指せとは誰も言わないと思うから……」


 麗子は、正美を陸上部に入れることも忘れてはいなかった。


「そうねー、レイちゃんとアミちゃんがいるのなら、楽しそうね。私も陸上部に入ろうかなー」

 正美は、愛実と違って素直だった。


「それなら、善は急げよ。今日の放課後、陸上部においでよ!」


 そのあとも、三人の話は尽きなかった。


 もうすぐ夏休み……


 冒険の入り口は、もうそこまで来ていた。


 そして、その日の放課後、正美は麗子のはからいで、めでたく陸上部に入った。



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