第10話 愛実の夢

(愛実の夢)


 中学生活にも慣れて、暑さも増してくれば、もう言わずと知れた夏休みだ。


「アミ、夏休みは何するの?」


 正美が愛実と麗子の席までやってきた。


「もちろん、絵を描いて、描いて、描きまくるわよ。面倒な学校がなければ、朝日が昇るまで絵を描いていても、何の心配もないし。それで、小鳥のさえずりを子守歌に寝るの。それでまた夕日と共に起きて、描いて描いて描きまくるわ。もう、最高の夏休み。待ち遠しいな―」


 今にも愛実は椅子に腰掛けていても踊りだすかのように、足はステップを踏んでいた。


「まるで、ドラキュラだね―」

 そばにいた麗子は、あきれ顔……


「いいじゃない。もう私は絵の具になるの。だから人間扱いしないでね!」


「そうは、いかないわ。夏休みでも陸上部の練習は毎日あるのよっ!」

 麗子は落ち着いて言い放った。


「うそっ! 信じらんない。この暑いのに、外に出たら死んじゃうじゃないっ!」

 愛実は、悲痛な声を上げる。


「でしょう―、さすがに先生もわかっていらして、陸上部の練習は、朝の涼しいうちにやるそうよー」

 麗子は涼しげに愛実を交わした。


「私、パス……」


「そんなものない!」


「じゃ―あ、陸上部やめる!」


「私が許さない!」


「ね―え、正美……。何とかして―」


 今度は正美に泣きついて、そのまま正美の膝の上に顔を埋めた。


「ま―ま―、二人とも楽しそうね……」

 正美は愛実をやさしく抱き寄せながら、よしよしと背中を撫でた。


「ところで、正美は何するの?」

 麗子が訊ねた。


「私、何もないのよ。だから、何かして遊ぼうと思って来たのよ」


「え―、何もないの?」


 愛実は正美の膝枕から、恨めしそうに見上げた。


「確か、正美って、何か部活やっていたよね?」

 麗子が改めて訊ねた。


「そう言えば、正美ってなに部だっけ?」

 愛実も心もとなく訊ねる。


「放送部よっ!」と、今さらに聞くなという感じで少しむくれ顔。


「え―、放送部って、部活にあるの? 私、てっきり放送係がやっているのかと思った!」


 正美は、ついに頭にカッチンときて、気持ちよさそうに膝枕で眠っていた愛実を払いのけた。


 正美は小学校五年のときに将来の夢を、このころ一躍脚光を浴びていたテレビのシナリオ・ライターになりたいと先生に言ったことがきっかけで、それなら放送部に入らないかと言われ、正美は放送部に入った。

 以後、中学になっても本人が嫌でない限り、自動的に放送部に移籍になる。つまり、放送業務と言うのは熟練が必要だった。


 そのことは先生方も良く知っていて、放送部には一目置いている。

 また、そのことが放送部員の励みとなって、毎日の業務に誇りを持って遂行していた。


「何よ! 放送係って?」


 正美が嫌味っぽくいった言葉に、愛実は思いつくまま放送係を考えた。


「放送係って、朝礼の時とか、運動会とか、いるじゃん。マイク出したり、スピーカーのテストする人……」


「それは全部、私たち放送部がやっているのよー!」


 正美は日ごろの苦労を知らない愛実に、だんだんむきになってきた。


 それを感じた麗子が……

「でも、いいわよね。朝礼なんか、特等席で座っていられるんだから。放送部だけよ。先生や校長先生だって立っているのにね。私なんか、いつもうらやましくって……」


 麗子に続いて愛実も……

「そうよね。考えてみれば一番いい思いをしているわよねー」


「でも、それは仕方ないことだから、でもマイク出したり、アンプ出したり、結構、重くて大変なのよ。それに当番制だから、いつもいつも座っていられるとは限らないから……」


 正美はちょっと痛いところをつかれた思いがした。


「ね―え。私も放送部に入れて?」

 愛実は目をウルウルさせながら正美にせがんだ。


「だめよ。アミなんか学校も満足に来られないくせに、放送部なんて勤まるわけないじゃない」

 麗子は、鼻で笑らった。


「そうねー、休まれると困るわよね。それに、朝礼の時なんか、当番の人はみんなより早く学校に来ないとだめなのよー」


「え―。朝早いの……?」


「あたりまでしょう!」

 麗子は正美より先に愛実をなじった。


「でも、放送部は練習ないの?」

 麗子が、更に訊ねた。


「そうなの。うちの放送部、校内放送以外活動してないのよー」


「やっぱり私、絶対放送部に入る!」

 夏休みに何もないと聞いて、愛実はこれしかないと思い、もう一度正美に迫った。


「なにいってんのよ!アミは体を鍛えるために陸上部に入ったんでしょう!」

 麗子の叱咤が飛んだ。


「でも―、夏休みは勘弁して欲しいわよ!」


 愛実は正美の手を取ったまま、麗子の顔を恨めしそうに覗き込んだ。


「そうだったの。アミちゃんて偉いのねー」


「偉くない、私は嫌だって言ったのよ。でも、レイが無理やり陸上部に入れたのよ!」


「私は、てっきり陸上が好きだから入っているのかと思ったわ。でも、そう言うのって長続きしないわよっ」


 正美は、愛実をかばうように、もう一度膝枕に抱き寄せた。


「だから私が、くじけないように、しっかり監督しているわけっ!」


「何よ! 私は、もうくじけています―」


「なにいってんのよ! まだ夏休みは来てないのよ。くじけるのは、それからでしょう!」

と麗子は愛実に言い返した。


「それに、陸上部を薦めたのは、私の考えじゃないわよっ!」


「もしかして、恵美ね―え?」


「当たり……。だから、私を恨むのは筋違いよ。それに、アミは怠け者だから、私のぶんまで、しっかり監督して欲しいと、頼まれちゃってね!」


「そうだったのか。まんまと謀られたっ!」


「ね―え、どう言うことなの? 恵美ってだ―れ?」


 正美には、二人の会話が理解できなかった。


 麗子は、嬉しそうに語った。


「恵美って言うのは、私たちのピアノの先生。アミの叔母さんに当たる人。恵美ね―えが言うには、ピアノを弾くには、ピアノだけじゃなく、どんな楽器でもそうなんだけど、わりと全身の力を使って弾くのよ。一回の演奏で、長くて約二時間くらい、かなりの神経と筋肉をすり減らして演奏すから、見かけによらず重労働なのよ。だから今のうちから、それに絶えうるだけの強じんな体力と精神力を養おうと言うわけ。でないと、立派な演奏家にはなれないの。だから正美ちゃん。これはアミのためなのよっ!」


「誰がいつ、ピアニストになるって言ったのよ?」

 愛実は、いつの間にか自分の道を決められていたことに腹を立てた。


「大丈夫よアミ。そのうちわかるから……」と、麗子は涼しい顔。


「それも恵美ね―えが言ったんでしょう?」と、愛実は怒り顔。


「当たり! アミちょん、今日は冴えているわね!」と、麗子は、はやし立てた。


「じゃ―あ、アミちゃんは何になるの?」

 正美は真面目な顔をして愛実に訊ねた。


「取りあえず、絵描きかな。でも、それで食べていけなくてもいいの。ただ、好きな絵を好きなときに描いて、あとは午後のお日様と一緒にお茶を飲んだり、赤い夕日を暗くなるまで見ていたり、それで嬉しくなったら、また絵を描くの。後は何も要らない!」


 愛実は、とても嬉しそうに話した。それは確かに、愛実の幸せな顔だった。


「詰まり、ただの怠け者じゃないっ!」

 麗子は、身も蓋もなく愛実の崇高なピンクのバラのような夢を一言で、トイレの造花にしてしまった。


「わかるわ―! 私も、そんな暮らしがしたい……」

 そう言ったのは、もちろん正美だった。


 文学少女でいつも夢を見ている正美には、愛実の気持ちが良くわかった。


「も―!、二人とも世の中なめてない。仕事はどうするのよ。結婚だて、しなきゃならないのよ。結婚すれば子供だって生まれるし、それなのに、お日様だの、お茶だの言ってられるわけないでしょう」


「私、結婚なんかしないもん!」

 そう言い放ったのは、もちろん愛実だった。


「じゃ―、レイちゃんの将来は、どんなふうなの?」

 正美が、無気になっている愛実を落ち着かせながら訊ねた。


「私は、絶対にピアノの先生。恵美さんみたいになりたいの!」


「でも、二人とも面白いわね。私はまた、オリンピックでも目指して、陸上やっているのかと思ったわ―」と、正美はあきれ顔。


「あら私、陸上も好きよっ!」

 麗子は、改めて胸を張って宣言した。


「私、嫌い!」と言ったのは愛実だった。


 正美は、少し考えたようすで……

「オリンピック、目指さなくていいのなら、私も体力ないし、陸上部に入ろうかな―?」


 それを聞いて、喜んだのは愛実だった。

 正美の膝から起き上がって、正美の腕をとった。


「入りなさい。入りなさい。人間、なんと言っても体が資本よ。体力がなければ、この激動する日本を生き残っては行けないから。その代わりに私、抜けてもいいわよね―?」


「だめよ!」、麗子は軽くいなした。


「でも正美ちゃん。放送部はどうするのよ?」と続けて麗子が訊く。


 正美はもう一度愛実を膝に抱き寄せ、愛実の髪をなでた。


「あ―、これは放送部の特権で、週2回の打ち合わせと校内放送が出来れば、ほかのクラブでの活動が認められているの。そうでもしないと、誰も放送部に入ってくれないのよ―」


「マイナーなのね!」と愛実。


「だから先輩なんかは、コーラス部とか、写真部とか、新聞部とか、二つやっているわよ―」


「それなら、問題は無いわ。正美ちゃん、陸上やりなさいよっ!」


 麗子は、強く誘った。


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