第6話 絵を描く理由

(絵を描く理由)


 あれは愛実が小学校四年生の夏休みのことだった。


抜けるような青空と暑い太陽、こんな日は、庭にビニールプールを出して、水着も着けないで、裸になって遊ぶ、それが愛実と麗子の幼い時からの日課だった。


 この日も、縁側の廊下に服を脱ぎ散らかして、水遊びにはしゃいでいた。

 最初に言ったのは麗子だった。


「アミちゃん。ヌードモデルやって、私描いてあげるから……」


「いいわよ―」


 多分、テレビで見聞きしたヌードという言葉に好奇心を掻き立たせる響きがあって、

麗子の最近のお気に入りの言葉だった。


 愛実はビニールプールの真ん中に立って、口元と腰に手を当ててポーズをとった。


「アミちゃん、ビーナスみたいー」


 これもテレビで見たことがあるボッティチェリ、の「ビーナス誕生」を思い浮かべた。

 そして、廊下に散らかっているスケッチブックと色鉛筆を拾い集めて描き始めた。


 でも愛実は十分も立っていると……

「もう、疲れた。こんど私の番!」


「え―え、まだ描けてないよー」

 愛実は麗子をさっさとプールの方に押しやった。


 麗子は仕方なくプールの真ん中で愛実と同じポーズをとって見せた。


 愛実が麗子の体の輪郭を追っていたとき、愛実の体の中にもう一人の麗子が作られていくような不思議な感動に包まれていた。


「ピアノと同じだ……」と、愛実は呟いた。





 それから、しばらくして恵美が、いつものように泊りがけで、愛実にピアノを教えにやってきたときの、その夜……


 いつものように愛実の部屋で一緒に寝ようと、二階の愛実の部屋に上がってきたとき、机の上に色鉛筆で描かれた麗子の裸婦に目を止めた。


「え―、上手ね! こんな描き方、誰に習ったの?」


 その絵は、子供が普通に描く、色を塗りつぶすだけの描き方ではなく、色鉛筆の色を薄く使い、下地の白を生かして濃淡を使い分る高等技法を使った絵だった。


「レイよ! レイは、お母さんから教えてもらったって言ってたわー」


「上手よ……、レイの感じがよく出ているから……」


 もうベットに入っていた愛実も恵美の横まで来て一緒に眺めた。


「レイの方が私より上手よ。あの子、何でも丁寧だから……」


「レイちゃんは、どんな絵を描くの?」


「それと同じよ。モデル、代わりばんこで描いたんだから……」


「も―うー、何やってるんだか、他に描くものないの? 花とか風景とか……」


「え、え、ヌードじゃいけないのー?」


 恵美は口ごもってしまった。


「お姉さんも描いてあげる。早く服、脱いで……」


「だめだめ、そんなの恥ずかしくって、とてもできないっ!」

 恵美は慌てて愛実から離れて、ベットに飛び込んだ。


「えー、恥ずかしくないよ―」

 愛実もベットに飛び込んで、仰向けに寝ていた恵美の胸にしがみついた。

 恵美は、たまらず愛実を横に寝かせ、手枕をしながら愛実の体を抱き寄せた。


 愛実はすかさず、恵美のパジャマのボタンを外して大きく露出した胸の乳首をしゃぶりだした。

 愛実の小さい時からの、いつもの習慣だった。


 恵美は、愛実がまだ小さいとき、母親のおっぱいの味も知らないで成長するのは不便だと思い、お乳こそ出ないが、愛実に自分の乳首を吸わせた。

 それが良かったのか悪かったのか、小学四年生になっても、寝るときには恵美の乳首を口に入れながら眠る。


 毎日、愛実のそばにいてやれないことへの罪滅ぼしなのか、泊まりに来たときくらいは、愛実の気のすむままに、乳首を吸わせてあげようと思っていた。


 それが愛実にとっても、なぜか心が落ち着き、すぐに眠りにつくことができた。


「もうー、赤ちゃんね―」


 恵美はそう呟きながらも、それが母性なのか、趣味なのか、乳首をしゃぶる愛実が愛おしく、恵美も気持ちよく感じていた。心も体も穏やかにさせてくれる。


「アミ、油絵、教えてあげましょうか?」

 恵美は天井を見ながら呟いた。


「油絵……?」

 愛実は乳首を離して、恵美の横顔を見た。


「絵を描くのもピアノと同じなのよ。ピアノは音で風景や人の心を描くでしょう。絵は色を使って風景や人物を描く。でも、そこに描かれているものは、やっぱり心なのよ。山や木の心、人物の心。きっとピアノの演奏にも役に立つと思うから……」


「お姉さん、わかるわ。レイを描いていたとき、私の体の中にレイがいたのよ。すごっく嬉しかった。それでもっと描きたいって思ったわ……」


「本当にレイちゃんが好きなのねー」


「お姉さんも大好きだよ!」

 それだけ言うと愛実は、また乳首を口に入れ、今度はわざと口の奥まで入れてしゃぶった。


「う、う、うー、そんな、こと……」

 恵美の口元が少し緩んだ。




 それから一週間たったころ、恵美が学生時代に使っていた油絵の道具一式が宅配便で送られてきた。


 その日の夜、愛実と麗子と恵美、三人は愛実の部屋にいた。

 恵美は真新しい一〇号のキャンバスをイーゼルに掛けた。


「レイ、モデルやって―」

 愛実が言うと、何のためらいもなく、麗子は服を勢いよく脱ぎ捨てて、キャンバスの前に立った。


「どんなポーズがいい?」


 麗子は、足を組んだり、横を向いたり、色々ポーズをとって見せた。


「レ、レイちゃん、ありがとう。でも最初は練習だから、リンゴとかミカンとか静物にしようかと思って果物、色々持って来たんだけど……」


「え―え、お姉さん。私、レイのヌード描きたい。いつも二人で描いているのよー」


「そ、そうね―、もう服、脱いじゃってるしね。でも、疲れるわよ……」


 その時、麗子の元気な発言……


「大丈夫だよ。代わり番こにやるからー!」


 それを聞いて恵美は、さっきの脱ぎっぷりのいい麗子を見て、前に愛実から聞いた二人でヌードを描いているという話を思い出した。


「じゃあ、レイちゃんベッドに腰かけて、疲れないようにねー」

 それはムンクの「思春期」に似ていて、恵美は麗子の美しさに息をのんだ。


 女の子は年齢に関係なく大人の美しさを持っているんだな、と思った。


 恵美も、眠っていた想作意欲が、ふつふつと涌いて出てくるのを感じていた。

 でも今日はそれを両手で抑え込んだ。


 愛実に下絵からお汁描きまで進めたところで、麗子と交代した。


「じゃあ、今度はレイちゃん……」


 麗子は勇んでベッドから飛び出し……


「わたし、アミの服、脱がすー!」


 麗子は愛実のTシャツをめくりあげ、短パンとパンツを一緒に、床に膝を付きながら引きずりおろした。

 そして膝をついたまま愛実の体に、ぎゅっと頬を付けて抱き着いた。


「アミの体、気持ちいいー」

 麗子は、これが好きだった。


 愛実も脱がされることに取り分け抵抗もなく、慣れている様子で、麗子の前に膝を付いて背中を優しく抱き寄せた。


「レイちゃんの裸、気持ちいいー」


「レイちゃん、レイちゃん、そういう楽しいことはそれくらいで……」


 恵美は、麗子の行く末を不安に思いながらキャンバスの前に呼んだ。


「わたし、油絵描けるよ。お母さんに教えてもらったから。お母さん油絵、趣味だからー」

 なるほど麗子は、一人で手際よく筆を進めた。


「よく、お母さんのモデルやるの?」

 恵美は教えることが無さそうなので、手持ちぶささに訊いてみた。


「そうなの、お母さん、私を描くのが好きなのよー」


 こんな可愛い娘、絵心のある人なら、描きたくならない訳はないと思った。


「裸で……?」


「お母さんのときは、服着てるわよー」


 恵美は、麗子の愛実に負けず劣らずの創造力と感受性は、母親の絵の手ほどきから養われたものではないかと感じた。


 麗子も筆を進めながら話を続けた。


「お母さん、美術大学出身で、デパートの展示室でグループ展を開いたときに、デパートの係の人がお父さんで、それで親しくなって結婚したんだって……」


「そうだったの。いいわねー」


 娘に親の馴れ初めを話す麗子と母の、おおらかで楽しそうな会話が目に見えるようだった。



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