第8話 心象犯行術・九頭毒竜
そこは一面ひび割れの入った乾燥した果ての無い大地だった。
川や湖、色鮮やかな草花などは一切視界に入らない。
あるのはただ。
やせ細った朽木が生えていただけの淋しげな荒野。
生物は到底永くは生き延びれないであろうその環境はもはや地球とは言い難い、恐ろしく孤独で空虚な世界だった。
それまで自身の心象次元の黒い渦の中で身を動かせずにいた俺は、その突如として出現した景色を前に、ただ呆然と立ち尽くしていた。
轟々と鳴り響く乾いた気流のせいだろうか、いつの間にか唇を切った。
肌が乾燥し始め、喉が痛い。
俺は、ここを抜け出すため、死にたくないため、足を一歩、また一歩と前に進みだした。
もちろん、どちらが前なのかすらも分からない。
息苦しいこの荒野に出口があると信じて……。
「……氷華との心象会話も今は何故かできない。また俺は夢を見させられているのか……?」
三十分はもう歩き続けているだろうか。
絶望なことに景色は何も変わらない。
まるでゲームのマップ外にバグで出てしまい、一向に戻れずにいるような感覚だ。
少し小枝を背に、休もうとした時だった。
「コーヒーでも飲むか?」
「もう要らない……」
彼女は骨だけのように細い小さな手を差し伸べてきた。
俺は先の彼女の勝手な行動をまだ何も許していなかったため、その手を振り払い、自分で立ち上がった。
すると、真夏の日差しが彼女の顔がはっきりと照らしだされた。
いつも真っ黒なまどろみの暗闇の中に潜んでいたのでよく分からなかったが、透明感のある儚く白い肌をしている。
また、純黒の平安の衣装はこの荒野にとってはとても異質であり、異様な世界に佇む異様な存在、といった感じだった。
「いつもの真っ黒い心象次元はどうした? センスの無い模様替えか?」
俺はまたどうせ断りもせずに俺の心象次元で変なことを始めたのだと、呆れ怒り、煽るようにそう言い放った。
「模様替えなどではない! 私もこの心象次元に驚いていたところじゃ!」
「この心象次元??」
「これはおそらく……白袖零の心象次元じゃ」
俺はそれを聞き、今一度心象次元とは何なのかを思い出していた。
心象次元。
それは、長きにわたって少しずつ構築された深層心理の虚無世界。そこで、表面心理が生まれてからずっと長きにわたり送り続けてきた負の感情エネルギーがキャパオーバーし、一つの塊、裏人格とも言うべき深層人格を創り出す。ソレがその虚無世界にさらにデザインを加えたのが心象次元。
要は、心象次元とは人が表面心理のみでは抱えきれなくなった、魂の奥底で抱えている本音という名の闇の領域。
俺はもう一度辺りの風景を見渡した。
「……どうやったら現実世界に戻れる? 白袖の心象次元に出口みたいなものはないのか?」
「これは……密室を犯行に使用し、尚も追い詰められた犯人が最後の足搔きとして遣う
「白袖の深層人格……! じゃあ……」
俺がそう述べようとした一瞬。
それはまさしく刹那の強震。
ゴゴゴゴゴと烈しい地鳴りを起こしながら、俺たちが立っていた大地を裂き割り、ソレは盛大に目の前に現れた。
全貌を見ても尚、ソレがコンピュータグラフィックやバーチャルリアリティーの類いなのではないのかと俺はまだ疑う。
古生代の鳥類のような耳奥に痛々しく響く鳴き声を轟かせる全身毒々しい紫色の竜。
ダイヤモンドのように硬そうな皮膚にワゴン車一台なら易々丸吞みできそうな大きな牙の生えた鰐のような口、自分が生物の頂点に君臨する者だと自覚するような敗北を知らない鋭く真っ赤な目。
そして。
驚くべきことはそれだけじゃなかった。
ソレが九本の首を持っているという事実。
俺は腰を抜かしてしまった。
「ギュァアアアーーーーッッ!!!!」
まさしく神話上の究極生物であった。
氷華は動けずに座り込んでいた俺を背中に付け、その場から距離を取った。
九つ首の竜は大きな爪で大地を剝がし、飛んだ氷華を再び地に降ろす。
「全部忘れてなんて酷いことはもう言えないからさ? ここで死んでよ」
そして、俺たちが墜ちた地に。そう言って彼女は現れた。
白袖零。
姿も顔も間違いない。
ただ、瞳がアメジストのように暗く輝いていた。
「白袖……! 何で友達だった名月を殺したんだ! ……それにあの竜はお前の深層人格か!?」
俺は叫ぶ。
肩の荷が下りたような清々しい表情をしていた白袖に、これまでの高校生活の全ての想いをぶつけるように。
「――――心象犯行術・
彼女の指揮した声に離れていた九頭竜は一つの首を丁寧にこちらを向き、毒と思わしき巨大砲弾を発射した。
氷華は今度は心象次元でいつもよく見る黒いナニカを遣って、俺の腹を掴み、遠くへと非難した。
飛んできたその弾は先ほどまで居た場所に墜ち、半径百メートルほどに膨らみながら爆発した。
白袖諸共だった。
しかし――。
爆発による砂煙が晴れ、爆心地を見ると、そこには平然とこちらを見ながら微笑んでいた白袖の姿があった。
「やはりな――!」
「氷華! どういうことだ?」
「アイツもお前と同じ……。自分の深層人格による攻撃には一切ダメージを受けない。意味的には自殺みたいなもんだからな……!」
「俺も同じって! あの黒いヤツのことか?」
「そうじゃ。さっさと、あの竜を殺すぞ、陽希。このままじっとしても殺されるからの!」
体勢を立て直していると、先ほどまで大地に佇んでいた白袖は九頭竜の背中へといつの間にかに移動していた。
「くそっ……何が起きてるんだ……! コレ! ……心象次元でもし俺たちが死んだら現実世界ではどうなる??」
「心象次元に居る私たち表面人格と深層人格は謂わば精神。それが死ねば肉体の器のみが遺る植物人間と化すじゃろうな」
「ヤバいじゃねーか!!」
「うむ。だからあの竜を殺す。いいな?」
「でも、それが死んだら……白袖は!」
「案ずるな。殺すのは犯罪色に染まりきった深層人格の九頭竜だけだ。あの背中に乗ってる表面人格は決して殺さない。さすれば、この心象次元は解除され、私たちは無事に脱出でき、彼女の表面人格も救われ、現実世界では生きた意思のある彼女を裁けるのみならず、二度と犯罪をしようという考えには至らないじゃろう! すなわち万事解決じゃ!」
「……そうか! 深層人格が名月を殺すという考えに至った元凶ってわけか! でもどうするんだ! あの竜……かなりヤバいぞ!」
会話をしている最中も構わずにこちらへ真っすぐ向かってきている九頭竜に、氷華が言う内容は分かっていても俺の身体は逃げ腰になっていた。
「あの九頭竜は正確に言えば人の容の深層人格が化けたモノ。名を心象犯行術と言ってじゃな。都合の悪い人間の表面人格あるいは深層人格を否定し、裏切り、殺す術がコレじゃ」
「……? おい! どうすんだよ!!」
「案ずるな」
俺は何も動こうとしない氷華の袖を引っ張りながら、そう必死になって言った。
既に気づけば九頭竜の影が自分らを覆い隠し、首のどれかを伸ばせばもう届くというところまで九頭竜は迫ってきていたからだ。
「それが犯人の持つ悪心術だとするならば、当然、存在的対を成す探偵にも遣える術がある。その犯人の遣う心象犯行術に対して、解らずを解き、真実を推し量る術――犯人を屈服させる術――そうその名は、」
「ヤバい死ぬ――!!」
九頭竜の首の中央の三本が同時に俺たちをなぎ倒そうとした瞬間ですらも、まだ氷華はそのような意味の分からない言葉を並べながら余裕の表情を隣にいる俺に向けていた。
「案ずるなと言ったじゃろ」
「!」
時が止まったような感触に襲われる。
地響きは消え、一歩たりとも動けずに、氷漬けされたように空間に止まっていた九頭竜の標本が刹那の内に目の前に創り上げられた。
九頭竜の内を前に突き出していた三本首を丸々覆うほどの黒いまどろみ。
氷華が出したソレがやったのだと、次の言葉を告げていた氷華を見て、俺は理解した。
「――――心象推理術・
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