第2話 心象次元➁


 ……そういうことか。


『――――もうやめにしてくれ』


 これはありはしない異常な出来事の連続。

 本音としては、最後の部分だけは事実であってほしかったのだが……。

 兎にも角にも。

 俺はこの瞬間に、その全てを理解した。

 いや。

 正確に言うと、思い出したのだ。

 そう……。



 ゆっくりと目を開ける。

 どす黒いまどろみの中に体が半分以上沈みかけていた俺は、急いでそれを掻き分けながら起き上がった。

 一面冷気で満ちる漆黒な世界。

 どうやら、ここは俺の深層心理の奥底に秘かに広がる世界――心象次元らしい。

 そして。

 彼女がそこに居た。

 遺灰を薄く広げた小さな孤島に細かい人骨で椅子を創り、浴衣のような黒い平安衣装に身を包み、俺の深層人格・十六夜氷華は静かにこちらを上から見下ろしている。

 俺は、この時初めて彼女の姿を目にしたのだ。

 闇のように黒く透き通ったショートの髪に、血のように赤い瞳の小学生ほどの女の子。

 それが十六夜氷華の全容だった。


「何の……つもりだっ!!」


 俺は容姿の感想を述べる余裕もなく、彼女の胸ぐらを掴んで掠れた声でそう怒鳴った。


「私はお前が溜め込んだ負の感情エネルギーの塊のような存在だと前に話したな? つまりは、お前がこの世界に放出する負の感情とは私にとって、食べ物というわけになる。それがどういう意味か推測できるか?」


 氷華は小さな自分のお腹をさすりながら淡々とした口調でそう告げる。


「喰いすぎたってわけか」


 俺はすぐに氷華の言いたいことを察することができた。


「お前は友達の名月暦の突然死により、通常の100倍以上の負の感情が溢れだした。そのまま放っておけばお前の精神は硝子のように砕け散ってしまう。そうなれば、私諸共消滅しかねん。だから、一時的に私は負の感情エネルギーを遣って、お前を心象次元に幽閉し、を見せたのだ」

「……それは礼を言うよ。ありがとう。だけど俺は今度から辛いことも悲しいことも全て自分の心の器で受け止めたいと思っている。だから、もうこれで終わりにしてくれ」


 おそらくこの先もずっと今のように、悲しいことや辛いことがあるたびに氷華に心象次元で連れられ、幸せな情景を魅せられるといった緊急オペを繰り返していくならば、喜怒哀楽のうち、喜と楽だけの感情しか持ち合わせないつまらない道化、泥人形になる。

 そう思った俺は、すぐにその判断を下した。

 氷華は、少し黙り、何かを思いついたようなニヤケ顔を見せ、ゆっくりと口を開いた。


「……ならば取引をしよう。私はこの先、手荒な幻覚を魅せる精神操作のような処置はもうしない。ただ、その代わり、名月暦を殺した犯人を何としてでも捜してもらう。これはお前の深層心理内における無意識下の本音でもあるんだ」


 俺は、氷華と目を離さないまま、昨日具体的に名月暦がいつどこでどのように死んだのかをできる限り詳しく思い出していた――。


 十二月十二日(火曜日)六時四十二分。

 北館四階の自習室の床に倒れていた名月暦を担任の望月風馬もちづきふうまが発見。

 ドアを開けようとするも、内側から鍵がかかっていたため、早急に職員室に戻りスペアキー/マスターキーを探すも、結局どこにも見つからず、すぐさま警察に通報。

 三十分とかからずに到着した警察官二名は、朝早く集まってきていた生徒と協力することによって、閉ざされたままのドアノブを破壊(その日の放課後にはもうドアノブは完璧に修復された)。

 そして、この時。

 どの生徒が野次馬に来ていたのかは、俺も含めて誰も覚えていなかった。

 その後、名月暦を半ば強引に密室から救出するも、既に意識と呼吸はなく、同時に呼んでいた救急車に乗せられるも、病院に着く前に早くも死亡が確認される。

 そして、彼女の胃の中からは致死量の毒薬が見つかった。

 改めて、現場捜査を進めた警察の供述によると、自習室のドアは内側から施錠されており、肝心の自習室の鍵は名月暦の制服の内ポケットにあったという。

 奥に一つだけ備え付けている窓には鍵が閉まっており、人が出入口できる入口はその他には存在しない。

 つまりは、鎖された密室。

 また、部屋には備え付けのコーヒー豆と電気ポット(管理者は望月先生)があり、そのコーヒーが注がれたと思わしき紙コップが落ちていたが、毒薬をコーヒー豆に混ぜたり、電気ポット内や縁などに塗られたような形跡などはなく、科学捜査班からは、自ら持参した毒薬を口に入れ、その後すぐにコーヒーで胃に流し込んだのではないかと推測されている。

 さらに念には念をということで、その日登校していた生徒および先生、事務員を対象に身体検査・持ち物検査が実施されるも、毒物は誰からも見つからなかった。

 現在、学校中のゴミ箱や校舎周辺などを捜査してもらっているが、それらしきものはまだ何もあがっていない。

 すなわち、の可能性が高い。


「お前も……心象次元で聞いていたんだろ? 名月は自殺したんだ……! 犯人なんて存在しない。よって、その条件は呑めない!」


 もう苦しいことから俺は目を背けない。

 それが友達としてこの先もずっと最後まで果たすべきケジメなのだと、俺は氷華に訴えた。


「友達として……ならば真実を解き明かすのがせめてもの償いではないのか? お前は不自然だと思わないのか? 成績優秀、運動神経抜群、人望も厚く、見た目も言うまでもなく可憐。そんな学校のアイドルのような存在が、いきなり自殺をすると思うか? 誰にも相談もせず、遺書も遺さず、いきなりだぞ?!」


 氷華はツーと細く長い、煤のような黒い涙で頬を濡らしながら、逆に俺の胸ぐらを掴み、そう叫んだ。


「…………」


 俺は、何も言い返せなかった。

 すなわち、深層心理だけではなく、表面心理においても、どこかしらおかしいのではないかと思っているからだ。

 入学してしばらくして、名月に自分が創った小説研究部に入れと誘われ、そのまま入部。そこからずっと彼女は普段影の薄い俺や周りを照らす太陽のように輝き続けていた。

 夏休みには、いつか部活のメンバー全員で一つの大作を作って、有名になるんだという夢も語ってくれていた。

 そんな彼女が……――。


 俺は目を袖で強くこすり、氷華の小さな両肩をがっしりと掴んだ。


「犯人は必ずいるんだな?」

「無論だ」

「どうやって捜す?」

「それはこの私、心象探偵・十六夜氷華に全て任せておけ! 陽希は私の言うとおりに動いてくれればそれでいい」

「……分かった。これで取引は成立だな」


 気が付くと、俺は家のベッドに寝ころんでいた。

 捲りカレンダーを見ると、今日はまだ十二月十二日。

 時計の時刻は深夜の二時をまわっていた。

 俺はまだ高校一年生……。

 心象次元での時間の流れは現実世界とは隔離されていることが今わかった。

 そして。

 氷華に長い期間の楽しい幻想を観させられたせいで、頭が痛い。


「――とにかく今日は寝よう……」


 俺はそのまま布団を被り直し、すぐさま眠りについた。

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