1章:二つの密室

第1話 心象次元➀

  心理学などの専門学においては有名な話らしいのだが、人間には喜怒哀楽の感情を自分自身が意識可能である『表面心理』とは別に、無意識下のさらに底、自分では到底認識はできないであろう心の奥底に潜む心理状態とされている『深層心理』というものが存在するという。

 それら二つの心理は本来であれば、磁石の同極同士のように決して干渉することはないはずなのだが、俺・暁星陽希あかほしはるきは高校入学と同時に、自分の深層心理さえも表面心理として常に理解することができるという異能力に目覚めてしまった。

 少年漫画を嗜んでいる諸君なら誰しもが考えうることだろうが、どうせなら、時間停止とか不死とか現実改変とか過去改変、未来予知のようなチート能力に目覚めたかったものだ。

 まさか、こんな地味でよく分からない能力に目覚めるなんて全くついていないよな。

 まあ、そんな冗談はともかく。

 その目覚めは、自分の深層心理に棲み憑くもう一人の自分のような存在、深層人格との出会いでもあった。


 そう。

 それは忘れもしない。

 あれは入学式の日の少し肌寒かった夜のこと――。


『よもや私に気づくとはな。ちょうど退屈していた毎日だったからのう。これは非常に興味深い』


 冷徹な声の中にどこか幼さが感じられるそんな声がいきなり頭の内の中から響いてきた。

 俺は人気のない学校帰りの夜道。両耳を手の平で塞ぐように押さえ、その場でしゃがんで中腰になりながら、その声の主が何者かを知るため『誰だ?』と声を出して正体を尋ねた。


『私はお前で、お前は私。私はお前の深層心理――心象次元に棲む、裏の人格のようなものだ。名前は十六夜氷華いざよいひょうか。お前がこれまでの人生で心の奥底に溜め続けてきた負の感情エネルギーの混沌が一つ形を成した存在が私だと思ってくれていいよ』


 しばらくの間はかなり動揺していたが、慣れというのは怖いものだ。

 二十四時間、毎日彼女の存在を知覚し、ほんのたまにだが少しの会話を交わすことでそれが今では普通になりつつある。

 精神的、肉体的デメリットは特になく、心の中での会話相手になってくれている良き友のような存在。


 ……のはずだったのだが。

 最近は特に、どうでもいいような雑談を何度も持ちかけてきたり、無駄に俺の実生活に文句を言ってきたりなどと、態度が明らかに肥大化し、終いには俺が読んでいたラノベミステリーにでも影響されたのか、名探偵になりたいなどとほざき散らすようにすらなってしまった。





 どうにかならないものかといろいろ考えているうちに、季節は巡り……。

 俺は高校二年生になった。

 そして、今日は新学期初の登校日ということもあり、今年度の連絡事項を軽く済ませるのみで、午前中で学校は終わった。

 本日の夜ご飯の材料を買いに学校を出てすぐ近くのスーパーへ行こうとした時だった。


「陽希~? 何教室で一人座ったままボーっとしてるの?」


 俺は声のした方へゆっくりと振り返ると、そこには、肩までストレートに伸びるクリーム色の髪に神秘的で儚いオークル色の瞳が特徴的な学年のアイドル的存在、名月暦めいげつこよみが元気に手を振っているのが見えた。

 新学期初の登校日で気合いが入っていたのか、髪はいつも以上にきめ細かなさらさらとしたウェーブを魅せており、微かに甘いミルクティーのような香水の匂いがふわりと鼻に掠めた。


「部活……これからやるのか?」

「もっちろん! 春休みにみんなが何を読んだのか詳しく知りたいからね!!」


 名月とは同じ小説研究部の仲間であり、特にこれといった具体的な活動はないのだが、月に何回か集まって、読書感想会を名月主催の元に行っているのだ。

 何も新学期早々にやらなくてもいいのに。

 せっかくの午前授業だったのに。

 今日は朝からずっと穏やかな陽気で今とても眠いのに。

 ……などと文句をいくつか思いつくも、学年のみならず、学校全体で生徒のみならず先生からも人気の高い彼女の誘いを断ると、後々厄介なことになる気がした陽希は大人しく言うとおりにすることにした。


「――――?」


 待てよ?

 名月暦……。

 この名前を頭に浮かべると、どうも胸が締め付けられる。

 頭も痛くなってきたような気がする。

 そして。

 さっきから。

 名月の顔を見てからずっと。

 俺は何か大事なことを忘れているような……気がする。


「じゃあ行こうか!」

「あ、ああ」


 俺はそのもやもやとした疑問に明確な答えを出せないまま、教室を後にし、部室へと向かった。


『こんな美少女が高校生活の1年間で恋人の一人も作らなかったのには何か重大な理由がある。これは私の推理なんだが、此奴は既に誰かのことが好きなのではないか?』


 名月と廊下を進んでいる途中、突然氷華がそう語り掛けてきた。


『片思い中だから恋人は安易に作らない、か。ま、名月は読書バカだからな。そもそも恋愛なんて興味がないって考え方もできるぞ?』


 俺は氷華が推理した物とは別の考え方を提示してみせる。


『………………』


 どうやら気に入らなかったのか、無視されたようだ。

 氷華はかなりの自己中心的な人格で、今のように勝手に話しかけてきては勝手に会話を終わらせる。

 学校に居たらかなりの問題児だ。


「さっきからどーしたの? もしかして寝ぼけてるの? 陽希~?」


 名月は、氷華の横槍によって意識を数秒取られ途中の階段の踊り場でボーっとしてしまっていた俺の顔の前で手のひらを上下させていた。


「すまない。春休みボケってやつだ」

「もうみんな集まってるよ!」

 

 小説研究部は創立してからまだ年が浅いために、専用の部室を学校から与えられていない。

 よって、読書感想会はいつも図書室で行われる。

 俺は名月の背を追うように図書室に向かい、中に入ると、彼女の言った通り既に部活のメンバー全員が席に着いて本を開いていた。

 やはり同じように、新学期早々学校に残って何かをするという発想には誰も至らなかったようだ。

 図書室には部活のメンバー以外の生徒は誰一人としていなかった。


「遅いぞ~陽希~! 待ちくたびれて手持ちの本全部読み終わっちまったぞ!」


 真っ先に声をかけてきた茶髪で癖毛が印象的なこの男の名前は、夏梅壮なつうめそう

 この部活の部長である名月に「文武両道を目指さない?」と1年生の初夏ごろに声を掛けられ、元々所属していた空手部との兼部で今はこのように文学にも積極的なご様子だ。

 ただ、手元にある本が全て漫画のように見えるのは気のせいだろうか……。


「すまない、遅くなった」


 俺は夏梅の隣の椅子に座り、軽く謝罪したところ、向かい側にちょこんと座っていた白袖零しらそでれいがおどおどとした口調で「全然……私もさっき呼ばれてきたばかりだから。それと陽希くんもコーヒー飲む?」と小さく呟いた。

 俺は「ちょうど目を覚ましたい気分だったんだ、ありがとう」と言い、水筒に入れてあったコーヒーを白袖持参の紙コップに注いでもらい、口に運んだ。

 心が春の陽気のように落ち着くような温まる深い味わい。

 俺はすぐにそれを飲み干してしまったため、白袖はおかわりを微笑みながら注いでくれた。

 ……天使のようだ。

 白袖は、白髪ショートカットにくりんとした大きな目が特徴的な小柄な可愛い系美少女であり、引っ込み思案な性格で人とは必要に話さないタイプなのだが、俺の学年においては名月に続く付き合いたい女の子の代表とされている。


「よし! 全員揃ったね! じゃ、まずみんなの読んだ本のタイトルを教えて? エクセルに表にしてまとめたいからね~」

「そんなガチでやるのか?? 何というか、もっと名月のことだから大雑把な感じでやるのかと……」


 新学期初の活動だったからなのか、名月はいつも以上に気合いが入っていた。

 そして、何より驚いたのが、明朗快活で元気の塊みたいな彼女にこのような几帳面な部分があったところだ。

 おそらく学年で彼女を好きな男子どもやクラスのみんなですら知り得ないことだろうなと俺は思った。


「私はこう見えてもA型だぞ?」

「……意外と几帳面だよね。暦ちゃんって」


 その反応を見るに、どうやら白袖は名月のことを俺たちよりも深く知っていたらしい。


「……知らなかった」

「俺も~まじで完璧だな~暦は~!」


 そして、俺が鞄に入れていた本を何冊か机の上に出したタイミングで新学期初の部活動・読書感想会は始まった。


『小説研究部にしては豪華すぎるメンツだなとまた思っているな? 読書が趣味で良かったな陽希。どっちに転んでも非の打ちどころの無い美少女じゃ』


 突然出てきた氷華はまたしてもろくなことしか言わない。


『ああ、そうだな! 超ラッキーだ!』


 たまには少し意地悪するように氷華の戯言に同調することにした。


『…………ぷいっ』


『ぷい?? それはどういうことだ氷華?』


『………………』



 読書感想会は思いのほか早く終わってしまい、少し雑談をした後、解散することになった。

 俺はそのまま真っすぐに下駄箱に向かった所、またしても名月に呼び止められた。


「何か言い忘れた事でもあったのか?」

「ちょっとだけ……二人きりになりたいの……」


 下を向いたままの名月に袖を引かれ、俺は外靴に履き替え、体育館の裏まで走らされた。


「……何だよ! いきなり!」

「私は……陽希のことが好き」

「――へ?」


 頬を赤らめながら彼女はそう告白した。

 事態がうまく呑み込めずに、何も返答することができずに、ただ名月の顔を見つめていた。


「返事は明日聞かせてよ……」


 名月はその場を逃げるように立ち去った。


「ねえ……陽希くん」


 陽希は心臓の激しい鼓動を感じたまま、振り返ると、今度は白袖零がいつの間にか立っていた。

 

「今の、見てたのか?」

「ううん」


 白袖は首を静かに横に振る。

 何か言いたげにもじもじとしていた彼女を前に恐る恐る「どうかしたか……?」と俺は尋ねた。


「私、ずっと前から……陽希くんのことが好き……なの。付き合ってほしい。その、じっくり考えて欲しい!」


 雪のように白い肌を名月と同じく真っ赤に染めていた白袖も告白をするだけして、そのまま俺の前から立ち去ってしまった。

 




 ――――俺は静かにため息をついた。

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