第13話 嶺上飯店

料理店「嶺上飯店」

煌蘭三区海岸通りの一等地に立てられたこの老舗料理店は、新鮮で美味な海鮮を用いた煌蘭料理を出すことで知られている。

煌蘭の公式観光案内書の一つ凰稀辻馬車連盟が毎年発行している「御者と車夫が推す 煌蘭美味百選」の上位10ランクに必ず入る名店である。

その店の奥の席、身分のある者しか予約できない貴賓席で二人の男が言い争っていた。

「叔父上、締めの甘味はやはり杏仁豆腐です!」

「愚か者め、ここの甘味は芒果布丁に決まっておるわ!」

二人は近い血縁のものらしく、顔立ちや佇まいに似通っている部分が見受けられる。

どちらも竜人であり全身鎧を纏っているところから騎士階級に属するものであることがわかるが、煌蘭など大陸に住まう帝国人の顔に比べると、さらに彫りが深い骨格が特徴的な北方の皇国人の貴族と思われた。

「叔父上、乳脂肪分の多いこってりしたものは胃の負担になるから避けるようにと、伯母上や侍医からもきつく言われているではありませんか!」

「黙れ小童!だからこそ公務を隠れ蓑にこそこそ食べに来ているのではないか。貴様こそ身の程を弁えろ、貴様の薄給程度でこの高級店のコース料理が食せるわけがなかろうが。私の金で飲み食いするのだから、私に決定権がある!」

「ご自分の地位と財力を武器に、強引に意見を通そうなど横暴が過ぎますよ!」

「ふん、世の中銭と力が全てだ。諦めろ!」

「いいえ、これだけは譲れません!この店に来たら締めの杏仁豆腐だけは絶対に食すと私は決めているのです」

喧々諤々の二人のやり取りは、貴賓席のみならず店の中全体に響き渡るほどの白熱ぶりだった。いくら高貴な身分の方々とはいえ、これ以上白熱されては周りの席の迷惑になるからと、給仕が恐縮しながらおずおずと進み出た。

「そ、それではお二つとも頼まれてはいかがでしょう?お取り分けできますので……」

「「だめだ!!」」

哀れな給仕が勇気を振り絞って伝えた提案はしかし、異口同音に出た男たちの否定の言葉でかき消された。

「本来は満漢全席といきたいところを、苦渋の選択で嶺上特別コースにして我慢しているのだ。ここで品目を増やしては、さすがにあれに感づかれる……」

「叔父上の腹が最近出てきたことを、伯母上はかなり気にされてますからね」

「余計な事を言うな!これ以上体重が増えたらあれに離縁すると脅されておるのだぞ、私は。ともかく甘味は一品、これは変えられん」

「となれば、やはり…!」

再び再開される甘味談義の気配に首をすくめる給仕だったが、助け船は思いもしないところからやってきた。

「なんだなんだ、随分と騒々しい店な!これがいつもの雰囲気なのか?」

「いえ、いつももっと上品で静かな高級店のはずですが……」

丁度そこに到着したのは、ゲオルグとレドリックの二人連れだった。

店の意外な雰囲気に驚いている彼らを見て、さすがに自分たちが店と客に迷惑をかけていたことに気づいた貴賓席の二人は、気まずそうに顔を見合わせた。

「これはお恥ずかしいところをお見せしました。私どもは遠く皇国からきた者でして、素晴らしい煌蘭料理につい興奮してしまい……って、お前まさかレド、レドリックか?」

店で大声を出していた若い騎士が親し気にかけてきた声に、レドリックは最初怪訝な顔をしたものの、自分の記憶の中から懐かしい顔を思い出し名前が自然と口に出た。

「そういうお前は、アルベルトなのか?まさかこんなところでお前に出会えるとは思わなかったな…」

「おいおい、随分他人行儀じゃないかレド。それよりお前また体がデカくなってないか?」

「いや、そんなことは……」

「やっぱりな、腕も胸も一段と太くなってやがる」

レドリックの腕や体をつかんでバシバシと叩き、すっかり学生の頃の言葉遣いに戻ったアルベルトは、旧友に羨望の眼差しを向けた。

「士官学校時代からお前さんの体格と膂力は大したもんだったが、さらに鍛え上げたようだな。羨ましいぞ、この。俺たちがいくら修練を積んでもお前のようには慣れなくて、悔しい思いをしたもんさ」

「お前たちに負けたくなくて、俺も死ぬほど努力してただけだよ、アル」

「はっはっは、似た者同士だったってか!」

「あー、盛り上がっているところすまないんだがね、アルベルト。いい加減彼を私にも紹介してもらえないかね?いつまでも座れなくて困っているんだが」

「うむ、私も紹介をお願いしたい。お見かけするに皇国の方のようだが……」

蚊帳の外に置かれた二人から声をかけられて、レドリックにばかり興味をとられ過ぎていたアルベルトは慌てて居住まいを正す。

「これは失礼しました、叔父上。こちらは私の旧友レドリック・バーンスタイン卿。私が士官学校におりました時、帝国より交換留学生として在籍おり、友誼を深める機会に恵まれました」

「なんと、士官候補生でありながら灰色熊を一人で討ち取ったという英雄レドリック卿であったか!甥のアルベルトが事あるごとに褒めちぎる英雄、一度はお目にかかりたいと思っていたが、まさかこのような場所で出会えるとは思わなんだ」

「恐縮です。ただ、アルベルト卿の話は多分に誇張されていると思いますので、額面どおりに受け取られますと……」

「おいおい、俺は認めた奴しか褒めないタイプだぜ。っと、失礼しました。そしてこちらが我が叔父にして皇国軍海軍大将を務めますフェルディナント・レーヴェンブルン侯爵であります。私はアルベルト・ハノーファー、海軍少佐を務めております」

「「レーヴェンブルン侯爵閣下!」」

ゲオルグとアルベルトはフェルディナントに対して、居住まいを正し敬礼した。

レーヴェンブルン侯爵家と言えば代々海軍の将軍を輩出する名家であり、皇国内に広大な領地をもつ大貴族である。

それを見てフェルディナントは柔和な笑みを浮かべた。

「ご両人とも楽に。非公式の身ゆえそのようにかしこまる必要はない。艦隊の補給のついでにたまたまこの店に立ち寄ったまでのこと」

「このように申しておりますが、叔父は煌蘭の港を至極気に入っておりまして、わざわざ補給のルートに立ち寄らせるぐらいでして……」

「アルベルト、余計なことを申すでない。……さて、そちらの騎士殿のお名前をお伺いしてもよろしいか」

「申し遅れました。私はまだレドリック卿とそれほど親しくないため、自分から名乗らせていただきます。ゲオルク・リヒテンシュタイン、帝国海軍大佐を務めております」

「ほう、リヒテンシュタイン家の方であらせられたか。」

リヒテンシュタインの家名を聞いてフェルディナントは目を細めた。自国のみならず他国の有力な貴族の家名を頭に入れておくことは貴族の嗜みである。

リヒテンシュタイン伯爵家が中央に影響力のもつ有力貴族であり、煌蘭の地には直接領地や関係をもってはいないことまでは、フェルディナントの頭の中で理解された。

「はい、煌蘭駐留艦隊司令補佐として赴任しております」

「おお、それは立派な役職だ。将来有望ですな。ということは、レドリック卿は貴公の副官かな?」

「いえ、それが……」

フェルディナントの問いかけに顔を曇らせるレドリック。

その様子を見て、何やら事情があることを察したアルベルトは、あえて明るく二人に提案した。

「もしよろしければ、お二方も我らとご一緒されませんか?我々も昼食がまだでして。いかがでしょう叔父上?」

「おおう、それは良い提案だなアルベルト。折角の食事の相手が口うるさいお前だけで、些かつまらなかったところだ。ご両人が良ろしければ是非同席願いたい」

「お二人でお楽しみのところ、ご迷惑では……」

「何を申される。現場に立てることが少なくなった老人にとって、若人たちの武勇伝は何よりの英気を養えるもの。ささ、こちらに参られよ」

自分よりもはるか上位の貴族に何度も頼まれては、断ることはできない。

ゲオルグは内心舌打ちしたい気分であったが、笑顔を取り繕って会食に臨むのだった。

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