第12話 レドリック・バーンスタインという男

(万策尽きたか……)

竜人にしては珍しい板金製の全身鎧に身を包んだ男は、煌蘭三区、いわゆるの港区の海岸通りを一人歩いていた。

紅羊湾と呼ばれる透明度の高い海に面し、世界各地の船が停泊する煌蘭の港は色とりどりの宝石で飾られた首輪のごとき美しさを放っている。港には積み荷を降ろす人々でごったがえしており、活気に満ちている。

しかし男の顔は暗く、表情は曇ったままだ。

この男レドリックは、竜人の中でも一際大柄で屈強な体を、漆黒と銀に輝く実用性を重視した無骨な全身鎧が覆い、歴戦の戦士、もしくは軍人といった風格を醸し出している。

彼は今、職を失い失意の身の上だった。

かつての彼は、煌蘭の北にある村を領地にもつ男爵家出身の騎士であった。

ところが先日、突如村に襲来した人狼と呼ばれる魔物の群れに領地である村は蹂躙された。

人狼とは人の姿に似た狼型の魔物であり、知能が高く人間並みに高度な戦術をとる場合がある。

その日の深夜、人家の一つから出火、火は瞬く間に燃え広がり村は業火に包まれた。

突如火事に襲われた村人は混乱し逃げ惑う。そこを闇に紛れて近づいていた人狼の群れが襲撃をかけ、村は阿鼻叫喚の地獄と化した。

レドリックが兵を率いて村に着いた時には、すでに大半の家屋は焼け落ち住民の多数が人狼の牙や爪で引き裂かれていた。

男爵家の次男という出自でありながら魔物退治で功績を上げ、領地を得るほどの武勇を誇るレドリックにとって人狼という魔物はそれほどの脅威ではないはずだった。

しかし襲撃をかけてきた群れの数は異常なほどに多く、彼が撃退している間にも村人や兵におびただしい被害が出てしまった。

結局、村を襲った人狼をせん滅して朝を迎えた時、村は全焼、村人の九割は死亡、残りの者も重軽傷を負うという大惨事だった。

配下の兵士も多くが傷つき、とても領土を運営できるような状況ではなくなっていた。

村の窮状を訴えとりあえず今年の冬を乗り切れるよう、上司である煌蘭執政官に支援を願いにきたレドリックを予想外な沙汰が待ち受けていた。

騎士爵レドリック・バーンスタイン卿の領地運営の不行き届き甚だ遺憾。

以って領主の任を解く。

彼の財産、土地はすべて没収。

人狼の群れに対する奮戦したことから、帝国軍の除籍こそ免れたものの、実家の男爵家からは絶縁する旨の通知が届けられていた。

あまりといえばあまりの沙汰であったが、田舎の地方領主である彼に中央へのコネは無に等しく、沙汰の不服を訴え出る事は無理筋だった。

執政官府を出る時、彼に残されたものは身に着けている板金鎧一式と、宿に置いてきた愛用の斧槍予備の短剣に僅かな路銀のみだった。

軍での立場こそ最低限残されたが、部下もおらずこのような不名誉な経歴をもつ一軍人を受け入れてくれる貴族はどこにもない。

汚名返上の道は、あまりにも高く厳しく険しい山のように思えた。

この上はこの海に身投げでもするか。

泳ぎは苦手ではないが、この鎧を着ていれば十分沈むだろうなどと考えながらレドリックがふらふらと歩いていると、ドンという音と共に強い衝撃が体に加わった。

「うぉっと、こいつは驚いたな」

「これは失敬!ご無事か?」

なんと前方から歩いてくる人影に気づかず、正面からぶつかってしまった。

鎧を着ていた自分がぶつかっては向こうはただではすむまいとみてみると、なんと相手も全身鎧を身にまとった竜人の美丈夫だった。

日焼けした肌に、レドリックほどではないが、堂々とした立派な体躯を青と銀に輝く見事な鎧が包み込み、絵になるような調和を見せている。

品のある整った顔立ちからして、いずこかの高貴な家柄の出身を感じさせた。

「さても美しい風景よと海に目を向けていたら、小山のような戦士と道でぶつかるとは珍妙なこともあるものだな。貴公、竜人か?巨人族と見まごうばかりの立派な体躯だな」

「図体だけが取柄の無骨者でして……。ご無礼いたしました。お怪我はありません?」

「一応俺も軍人の端くれ、貴公ほどではなかろうが多少は鍛えている故、心配はない。貴公も無事のようだな」

「……大佐!」

少し離れたところから、まだ若い兵士のような見た目の青年が美丈夫の下に駆け寄ってきた。

「ご無事ですか?」

「ああ、お前も心配性だな。大事ない、心配するな」

「大佐殿でしたか。存ぜぬとはいえご無礼をいたしました」

レドリックは慌てて目の前の男に敬礼した。

「ほう、どうやら貴公も軍人のようだな。名と所属を聞こうか」

「レドリック・バーンスタインと申します。軍の階級は大尉となります」

「貴公がかの灰色熊レドリックか。いやまさかこんな場所で高名な貴公に出会えるとは思わなかったな」

思わぬところで思わぬ人物に出会ったことに、美丈夫は驚きを隠せなかった。

「申し遅れたな。俺の名はゲオルク・リヒテンシュタイン。帝国軍大佐をしている」

「これは大変失礼いたしました。リヒテンシュタイン家の方とこのような場所でお会いできるとは、私こそ思いもよりませんでした」

「ああ、家名に気遣ってもらう必要はない。門閥貴族ゆえに出世できているなど、陰口を叩かれるだけだからな。しかし貴公の顔から察するに、他人から勝手に付けられた肩書にはうんざりしているクチのようだな」

「灰色熊を討伐したことは確かにありますが、あの魔物とそっくりな見た目というつけられた意味が強いようですね」

どのような理由であれ、目立つ者には流言飛語が飛び交うものである。

若くして頭角を現した才能溢れる者たちが、口さがない者たちに兎角いろいろな事を言われることは、只々煩わしいことでしかなかった。

「さてお互いの挨拶も済んだことだし、これで失礼するのが順当な流れかもしれんが……。レドリック卿、これも何かの縁だ。少し俺に付き合わんか?」

「と、申されますと……」

「貴公の処断された件、すでに聞き及んでいる。人狼襲撃とは不運であった」

「は……。」

「しかし、どうも今回の執政官府の沙汰は一方的というか、不自然な意図のようなものを感じてな。本人に直にあって、一度は話を聞いてみたいと思っていたところにこの出会いだ。思わず運命を感じてしまったよ」

「閣下……」

「許せ、冗談だ」

ククッと笑い、ゲオルグはレドリックに手を差し伸べた。

「とりあえず、だ。この後時間があるならメシでも一緒にどうだ?レドリック卿」

「は、はぁ……」

「昼時からは少し時間が過ぎてしまっているが、その様子からしてロクに食事をしていまい。人間、腹が減っている時はまともな事が考えられないものだ。実は俺も先日この街に赴任したばかりでな。美味いメシをくってみたいと思っていたところだ。幸いここは美食で知られる煌蘭の港町。帝都の美食で肥えた俺の舌をも満足させてくれるメシもあるだろうさ」

「お待ちください閣下!この後、執政官府で会談のご予定が……」

従者の青年が慌てて主を止めるが、ゲオルグは全く意に返さなかった。

「ああ、そんなもの適当に理由をつけて断っておけ。俺は遠方の地で友になれそうな男を見つけたのだ。それに比べたら下らんおべっか使い共を相手にする会談など、時間と労力の無駄でしかない」

「し、しかし……」

困惑する従者を尻目に、ゲオルグの目はすでに海岸通りの料理店に向けられている。

「お、あそこの店はよさそうじゃないか。美味そうな海鮮を食わせてくれそうだ。レドリック卿、海鮮はいける口か?」

「は、はい。煌蘭の魚料理は大の好物でして……」

「魚料理!そいつはいいな。帝都は海から離れているせいで、活きのいい魚が中々食えなくてな。確か刺身だったか、ここでは生で魚を食せると聞いたぞ」

「ええ。特製のタレをつけて食す鯛の刺身は特に絶品ですね。淡白な味わいの鯛とピリッとした辛味とコクのあるタレの組み合わせが最高です。酒が何杯でもいける最高の肴ですよ」

「なんだなんだレドリック卿、随分な美食家ぶりではないか。見た目からして食などに興味のない武辺者かと思っていたが、中々どうしてこれは愉しませてくれそうだ。さぁいくぞ!」

ゲオルグは突然の話の流れにまだついていけず、やや困惑しているレドリックの肩を力強く手をあてグワりと組むと、有無を言わさずに「嶺上飯店」と看板に書かれた食堂に連れ込んでいく。

彼らの後には、ゲオルグの公務の調整、つまり上司の勝手による後始末を任されて深々とため息をつく従者だけが残された。

「毎度のことですけどゲオルグ様、いつも尻ぬぐいしている私の事も考えてくださいよ……」

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