第8話 クレースルとクレハ

(ここはどこだ?)

朦朧とする意識の中、煌蘭の皇国大使館所属の二等駐在武官クレースルは、今自分がいる場所を見回した。

見覚えがある風景だ。

ここは皇国大使館が建つ煌蘭一区と呼ばれる区画の中央通りだ。目の前には噴水があり、煌蘭の象徴とされる黄金色の鯉の彫像が水を噴き出している。

(私はどうしてここにいる?)

何か用事があってここにきたのだろうか。

今は日中、日はやや西に沈みつつあり時刻は夕方であることがわかる。

まだ勤務時間中のはずだ。

なぜ自分は大使館におらず、こんなところで散歩しているのだ?

わからない。

頭に霞がかかったように判然としない。

「クレースル様」

その時、後ろからクレースルに声がかかった。

振り返ってみると風変わりな甲冑に身を包んだ竜人の青年が立っている。

背中に下げているのはこれまた風変わりな剣、確か遥か東方の島国発祥の「刀」という武器であったはずだ。

刀を装備しているということはこの青年の職業は侍ということになる。

刀と共に東方よりもたらされた侍という職業は、凄まじい切れ味を誇る刀を扱える唯一の職業である。

しかし、自分はこんな侍の青年と知り合いであっただろうか?

「具合はいかがですか?」

「あぁ……。少し気持ちが悪い」

「それはいけませんね。……ところで私の名前は覚えていらっしゃいますか?」

名前など知るはずがない。

そう答えようとするクレースルだったが、自分の口から発せられた思いがけない言葉だった。

「……クレハ、か?」

「おお、左様でございます。従卒でありながら御身の側を離れてしまい申し訳ございませんでした」

クレハという侍の名前を知っていたということは、初対面ではないようだ。

だが、自分にこのような侍の従卒がいた覚えがない。

確かに皇国正騎士である自分が従卒を伴っていることはごく当たり前のことだが、北方の皇国では珍しい侍の従卒がいれば覚えているはずだ。

……いや、だからこそこの煌蘭を訪れた時に侍を従卒にしてみるのも面白かろうと声をかけたのではなかったか。

そんな事を考えていると、クレハが懐から小瓶を取り出しクレースルの顔に近づけてきた。

「これで心が楽になるはずです。心を落ち着かせてください」

「……」

クレースルの鼻孔に芳しい香りが満ちる。薔薇のような香りが、朦朧としていた彼の意識をはっきりさせてくれた。

少しずつ明瞭になっていく思考の中で、クレースルは自分がなぜここにいたか、何をすべきかを思い出し語り始める。

「そう、私は今日朝から気分が憂鬱で、外に散歩に出たのだ。昼の休憩時間に少しだけ……。噴水の前まできて休んでいたのだ」

「はい。クレースルさま。あなた様は何一つ間違っておりません。あなた様のお考えもこそが正しいのです」

「間違っていない……。そうだ、何一つ私は間違えていない。間違えるはずなどないのだ」

私のような名家出身の由緒正しき貴族が、このような辺境都市の二等駐在武官などという立場に甘んじていてよいはずがない。

マティアスは確かに名家出身であるが、自分が劣っているはずがないのだ。

自分がこの間違いを正さなければならない。

そう自分こそが皇国を正しき道に導けるのだ……。

「クレースル卿!こちらにいらしたのですか」

またもや後ろからかけられた声に振り返ってみると、皇国軍制服を身にまとった女性士官が立っていた。彼女の名前は確か……。

「君は……ハンナ曹長だったか」

「はい、クレースル卿。マティアス主席駐在武官の伝令です。煌蘭駐在武官は全員大使館に集合するようにとのことです。煌蘭執政官閣下よりの協力要請で、都市に出現する魔物討伐に加わるみたいですね」

「なんだと?本国の許可が下りたのかね」

「マティアス卿から何度も要請がいったようで、ようやく駐在武官の出動が認められたようです。」

「マティアス卿め……。家の力を借りて無理な話をねじ込むとは勝手な真似をしてくれる。」

「……クレースル卿?」

「……いや、なんでもない。ところでハンナ曹長、私の従卒がこのあたりにいなかったかね?」

「え、従卒の方ですか?お見かけしませんでしたが……」

辺りを見回してみるが、クレースルとハンナ以外近くには誰もいなかった。

先ほどもまで近くにいたのに、彼はどこにいってしまったのだろう。

あの侍の名前は何といったか……。

「わかった。今から大使館に戻り準備する。報告ご苦労だった、ハンナ曹長」

「は!」

踵を返して大使館の方角に向かうクレースルの後ろ姿を敬礼しながら見送るハンナは、怪訝な顔をして首を傾げた。

「変ね、クレースル卿に従卒は現在いらっしゃらないはずなんだけど……」

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