第7話 ネロとウェスパシアヌス 

「そんなにすごい師匠なんすか、その先生!」

身体は屈強な戦士のものだが、まだ少し顔にあどけなさを残した新人衛士ネロのはしゃぎ声に、隣を歩く衛士隊の小隊長に任命されたばかりの衛士ウェスパシアヌスは苦笑した。

「まぁそうだな。俺は師父から試合で一本とるのに少なくとも百戦はかかったよ」

「マジすか!?すげぇ!」

実際はもっとかかったのだけれど目の前で無邪気にはしゃぐネロの姿を見て、そこまで自分の自慢でもない話をする必要もないかと言葉を飲み込んだ。

衛士隊の小隊長は三名の衛士を部下に任命できる。

小隊長の最初の仕事は自分の部下を誰かにするかから始まるといってよい。

ウェスパシアヌスはすでに部下が決まっており、このネロも一員だ。

去年から衛士隊に入隊したネロは煌蘭育ちの煌蘭っ子、はるか西方のとある山間の村出身のウェスパシアヌスとは生まれも育った環境もまるで違うが不思議とうまの合う関係だった。

一人っ子のネロは面倒見の良いウェスパシアヌスを実の兄のように慕い、兄弟が多かったウェスパシアヌスは手のかかる、しかし憎めない弟分としてネロの面倒を見ていた。

ネロは衛士隊に入るまでこれといった戦闘訓練を受けたことがなかったが、戦士として天賦の才能に恵まれており少し使い方を教えるだけでどんどん武器の使い方に熟達していった。

すでに煌蘭周辺の魔物討伐訓練も終えており、凶狼や毒牙蝶など厄介な魔物を難なく一人で討伐できている。

その才はウェスパシアヌスが小隊長に任命される前から広く知れ渡っており、自分の部下に引き抜こうと数多の隊の隊長、小隊長が声をかけていた。

しかしネロはそれらの誘いを全て断り続けていた。

ウェスパシアヌスが小隊長に任命されるまで待つといって聞かなかったのだ。

俺などよりはるかに条件の良い配属先もあるだろうとウェスパシアヌスも他の者の下にいくよう促してみたが、ネロは自分が所属する隊はウェスパシアヌス以外にありえないと頑として受け入れなかった。

そしてつい先日念願かなって小隊長に任命されたばかりのウェスパシアヌスの元に、真っ先に配属希望をネロは出してきた。

ここまでされては、自分が面倒をみるしかあるまいとウェスパシアヌスは腹をくくってネロの育成計画を立てることにした。

確かにネロは抜きんでた才能があるものの、攻撃が得意なあまり回避や防御をおろそかにするなど戦闘技術に粗削りな一面がある。

座学もそれほど得意でないことから、戦術や魔物知識にもやや不安がありそこをどう補うかが課題だった。

ウェスパシアヌスは戦闘技術に関してそれほど才能に恵まれなかったが、戦闘指揮や後輩の育成に高い適性をもっている。

ネロの才能と弱点を見抜いたウェスパシアヌスは、この麒麟児を育て上げるには自分の武術の腕では難しくなることを感じていた。

任務の傍らネロの戦闘訓練に付き合っているが、今でこそ得意の槍術で有利に持ち込めているものの、ネロの成長は著しくそのうち自分の槍で相手するのが難しくなることは目に見えていた。

その前にネロをもっとふさわしい武術の師に引き合わせなければならない。

「けどその先生、かなり年くってるんですよね?武術の指導なんてできるんすか?俺はウェスせんぱ……じゃなかった隊長の指導で十分なんだけどなぁ」

「その心配はまったくいらないと思うぞ。……あそこが待ち合わせの宿だ。くれぐれも粗相がないようにな」

宿屋「臥竜館」。

百二十年以上も前から、煌蘭のこの場所で宿を経営してきた由緒ある宿屋である。ウェスパシアヌスはこの宿屋に自分の師を招いていた。

暖簾をくぐり一階の食堂に目をやると、奥まった席で茶をすすっている師父の姿が見えた。

自分が村を出たころとまったく変わらぬ姿に郷愁にかられながらも、まずは師の元に挨拶に伺う。

「師父、ご無沙汰しております。この度は不出来な私の無理な願いに応じてくださりお礼申し上げます」

「やぁウェス、見違えましたね。あのやんちゃ坊主が一端の戦士に見えますよ」

「私が村を旅立って早十年……。手紙のやり取りばかりでろくに挨拶にも伺えず申し訳ありませんでした」

「もう十年ですか……。時が経つのは本当に早いものです」

ウェスパシアヌスとその師が十年前の修行の日々を懐かしんでいると、一人話に取り残されているネロがどうしたものかとおずおず口を開く。

「ええと、あのぅ隊長……こちらがその大先生なんすか?」

「隊長ですか。煌蘭の衛士隊隊長になるなんて随分と出世したものですね、ウェス」

「いえいえ、隊長といっても小隊長でして……って師父、この事は手紙でご説明しましたよね?」

「冗談ですよ。とはいえ、あなたが人を率いる立場になったのは実に喜ばしいことです。竜神のお導きがこの道を指し示していたのは、やはり正しかったのですね」

「師父の導きがあって、今の私があります」

「さてと、いつまでもいたいけな少年を待たせておくのは悪趣味ですね。本題に入りましょう。初めまして、カビルと申します。かつてウェスパシアヌスの指導していました」

「カビル師は私の大恩ある方だ。ほら、早く挨拶なさい」

「あ、ええと、ウェスパシアヌス隊長の部下のネロっていいます。よろしくお願いします……」

ネロは拍子抜けしていた。

自分の憧れであり尊敬する先輩にして上司のウェスパシアヌスが、いつも褒めちぎる武術の師カビルがこんなどこにでもいる小柄な竜人だとは想像もしていなかった。

高齢だとは聞いていたが、自分やウェスパシアヌスよりも体格は貧相で、とても重い武具を身に着けられるとは思えない。

現に今も身に着けているのは軽い革製の旅装のみである。

あまりにも露骨に落胆するネロの態度を見てさすがに注意しようとウェスパシアヌスが口を開きかけたが、カビルが手を挙げて制した。

「君がネロ君ですね。話はウェスから聞いています。なるほどなるほど、若いながらよく鍛えられている。良い師に恵まれましたね」

「えへへ。そ、そうすか?」

カビルに褒められてネロは満更でもないで照れた。

確かにネロは一年間以上ウェスパシアヌスの下で指導され、体も心も鍛え上げられている。

もはや訓練において同期の衛士でかなう相手はおらず、先輩はおろか格上である隊長級の衛士に対しても引き分け、もしくは一本とれるほどのレベルにまで到達していた。

彼の急激な成長速度にはウェスパシアヌスも内心舌を巻くほどのものであった。

「君にような若者には、言葉で伝えるより体に教えたほうが手っ取り早いでしょうね。ウェス、この近くでどこか軽く立ち回れる場所はありませんか?」

「そうですね……。大通りからちょっとその辺の路地に入れば、軽い打ち合い程度なら問題ないですね」

「そうですか、では案内してください」

そう言って席を立つと、カビルは宿屋の外に出ていく。

いまいち事態が呑み込めずに困惑したままついていくネロを見ながら、早速指導が開始されたことをウェスパシアヌスは感じ取りながら、カビルを人気のない路地に案内した。

法により煌蘭では自衛を除く一切の暴力行為が禁止されている。

しかし人目がつかない場所になれ、それほど厳格に施行されることはない。

カビルはネロと数歩分の距離をとると、手招きした。

「さ、どうぞ。打ち込んできてください。」

「えっと、ここでっすか?」

「ええそうです。得意の武器で全力の攻撃をしてきてかまいません。」

そういうカビルはというと、武器を手に取ることもなく棒立ちの状態のままである。

本当に全力で打ち込んでしまっていいのだろうか、そう不安を感じたネロはウェスパシアヌスをちらりと見たが、尊敬する先輩にして上司である彼はただ頷くのみだった。

ええい、ままよと(最近読んだ冒険活劇で出てくる台詞だ)覚悟を決めたネロは、愛用の戦斧を構えカビルに向けて突進した。

強靭な下半身をバネにして跳躍し、一気に間合いを詰める。両手に握った戦斧がカビルの脳天に直撃する。

そうネロが思った時、彼は自分の体がふわりと宙に浮かぶ不思議な感覚にとらわれた。

(……あれ?)

その瞬間はすぐに途切れ、激しい衝撃が背中を通して全身に伝わる。

「……いっ…てぇおぅわぁぁ!!!」

続いて激痛が全身を駆け巡り、ネロの体は海老のようにのけぞり曲がる。

謎の痛みに混乱してジタバタしているネロにかけよりウェスパシアヌスは背中に手を当てる。

「落ち着け!それほどのダメージじゃない」

ウェスパシアヌスの手が穏やかな緑色の光に包まれ、ネロの背中に光が取り込まれていく。

するとあれほど苦しかった痛みが嘘のように消えていく。

竜人の中には「気」と呼ばれる特殊な生命エネルギーの制御ができる者がおり、ウェスパシアヌスは癒しを司る「翠気」に扱いに長けていた。

「い、一体何がおきたんすか!?」

「簡単にいうとだな。お前の突進に対して師父は左に僅かに動いて回避、そのまま伸びたお前の手をつかんで投げを決めたんだ」

「あ、あの一瞬にすか!?」

言うは易く行うは難しとはこの事だなと、ネロに説明しながらウェスパシアヌスは師の一切無駄のない身のこなしに戦慄を覚えた。

二人の試合を横で見ていたからこそ動きを追えたのであって、自分も師に対峙していた状態であればそこまで見極められていたかどうかあやしい。

ネロが言う通り、一瞬の間に師は移動から反撃までの一連の動きを全て無駄なく終えていたのだ。

「いやぁ申し訳ない。久しぶりの手合わせでちょっと力が入りすぎてしまったようです。大丈夫ですか?」

カビルが差し出した手をつかみ、ネロはコクコクと頷きながら立ち上がった。

「実に思い切りのよい突進でしたね。しかし、逆に言えばそれだけです。牽制も様子見もなく必殺の一撃を繰り出してしまえば、なるほど実力差のある相手には無駄のない有効な一撃となりますが、ある程度実力が近い相手になれば簡単に読まれて致命的な一撃を喰らうことになりますよ」

「だって得意の武器で全力の攻撃って言うから……」

「……ウェスあなた、彼に戦いの駆け引きとか教えてないんですか?」

「申し訳ありません、まだその前段階と判断しておりまして……」

ネロは座学があまり得意ではない。

戦い方も直感に頼る本能的な動きによるものであり、今までの相手であればそれで十分通用してきた。

しかし師父のような圧倒的な実力者相手の戦いとなれば、それは自分にとって致命の一撃に繋がってしまう恐れがある危険な動きなのだ。

「なるほど、よくわかりましたよ。確かに彼には私の指導が必要なようです」

「ご理解いただき、感謝いたします」

「さてネロ君、君が望むのであれば私が貴方の師となりますが、どうしますか?」

「えっと……、今先生が見せた動き、あれ俺にもできるようになるんすか?」

「すぐにとはいきませんが、段階を踏んで学べば自然にできるようになりますよ。君は覚えがよさそうですから、それほど時間はかからないと思いますよ。」

「マジっすか!やった!!」

子犬のように喜ぶネロを見て、ウェスパシアヌスは彼を師に引き合わせて正解だったと安堵した。ウェスパシアヌスはどうしても厳しく指導するのが苦手で、手合わせの時はつい相手に合わせて手を抜いてしまう癖がある。

勘がいいネロには本気で相手していないと感づかれてしまい、どうしたものかと悩んでいたのだが弟子の指導に対して一切の容赦しない師ならば、ネロとの相性も良いだろう。

しかしここで、カビルがウェスパシアヌスが予想もしていなかったことを告げてきた。

「この際ですからウェス、あなたの武術も見てあげましょう。」

「え?ですが、師父には村の道場が……」

「心配ありません。こんなこともあろうかと娘に任せてきました。」

「ああ、師範代に……」

カビルには父親の武術の才を受け継いだ娘がおり、自分が道場に通っている時から師範代として弟子に育成にあたっていた。

彼女にも本番形式の稽古で、幾度となく叩きのめされたなとウェスパシアヌスは修行の日々を思い出した。

「ですので、しばらくの間この煌蘭の都に滞在する予定なのです。こちらにいる間は竜蔵寺に世話になる予定です。」

「あぁ、それでしたら我々も勤め先から通いやすくて助かりますね。師父、折角の煌蘭です、まずは観光なさっては?」

「それはいいですね。」

「今日我々は非番ですので、どこでもご案内できます。」

「そしたらまずは飯屋にいきましょうよ!俺もう腹メチャクチャ減って死にそうっす!」

「こらネロ、師父のための観光案内なんだぞ。」

「いいですね。ちょうど私もお腹がすきました。お勧めの店に連れて行ってください。」

「光洋飯店の炒飯がお勧めっす!あ、菊花楼の麻婆豆腐もいいっすねぇ、それからそれから!」

「それはお勧めでなくて、お前が今食べたいものだろうが……」

こうして新しく師弟になった者たちの賑やかな声が、煌蘭の大通りに流れていくのだった。

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