第5話 海宝楼にて

海宝楼。

煌蘭政府公認の煌蘭三区花街にある妓楼の中でも最大の規模を誇る大店だ。

この店のオーナーを務めるのがリャンメイ。

齢二百を優に越えると噂される老婆で、今さっき階下に降りてきたヤンとツァオの腰より低いぐらいの背丈ほどしかないが、二人を見つめる瞳にはなんとも言えない凄みのようなものがある。

「遅いよ、あんたたち。アタシが何回こいつを吸ったと思ってるんだい」

煙管から紫煙をくゆらせながらねめつけてくる老婆の顔をみて、ヤンは露骨に顔をしかめてみせた。

「あんたの都合なんざ俺が知るわけねぇよ」

「おや、生意気な口を叩くようになったじゃないか、ヒョッコが。拾ってもらった恩をもう忘れたってのかい」

「婆さん、その恩はとっくに返したと思うが」

会話になると毎度出してくる御恩話に、ツァオはいささか辟易した顔を見せる。

「確かに俺たちを見出した婆さんのおかげで、今ここにいられている。だがそれに見合うだけの働きは見せているだろう」

「はん、そのでかい図体になるまで面倒見てやった恩は、返そうとして返しきれるもんじゃないよ」

「いつまで取り立てるつもりだ、ごの我利我利亡者が……。反吐がでるぜ」

「そりゃアタシが死ぬまで続くに決まってるだろうが」

ヤンの吐き捨てるような言葉に、リャンメイは嬉しそうに笑いながら煙を吐き出す。

「下らん話はもういい。本題に入ってもらおう、俺たちは何をすればいい?」

「なんだい、張り合いがないねぇ」

リャンメイはつまらなそうに灰を捨て、次の刻み煙草を煙管に詰めた。

「……まぁ確かに、そんなに悠長に構えてられないことは確かだ。あんたたち、最近店の子が行方不明になってること、知ってるかい?」

「足抜けか?最近聞いてねぇな。」

遊女の足抜け、前借り金を清算せずに逃げ出すのは花街でご法度だ。

花街は塀で囲まれ、東西南北四方の出入り口は見張り番の男衆が常に警備に張り付いているため、そう簡単に芸妓が出入りすることはできない。

海宝楼の男衆であるヤンとツァイも店の遊女が足抜けとあれば、追跡に回らなければならない。

「足抜けじゃない。行方不明といっただろうが、すっとこどっこい。……こっちの店じゃ出てないんだが、六区のほうで多発してるんだよ。客を迎えにいったり送りにいった遊女が忽然と姿を消しちまうのさ」

「本店か……。当然そっちでも調べてるんだろ。何も見つからないのか?」

「当たり前さね。しかしまったくといっていいほど手掛かりが見つからない。遊女も客も店を出たきりまったく姿を見せなくなるのさ。そんなことが今月に入ってもう十件以上も起きてる」

「異常だな」

「店の子たちはすっかり怯えちまって仕事になりゃしないよ。六区じゃ衛士はまったく役に立たないからね、おざなりに調査してそれっきりさ。仕方がないから店の男衆を護衛につけることにした」

「そうしたら?」

「そいつも含めて全員戻ってこなかったよ」

リャンメイは紫煙を吐き出しながら深々とため息をついた。

「正直お手上げの状態さね」

「他の組の仕業にしては大袈裟過ぎるな。客にまで被害を出したとあっては、自分たちにも打撃が大きすぎる」

「実は六区全体でこういう事件が起きてることが分かってね、先日臨時会合が開かれたんだよ。」

「珍しいな……。六区の会合とはかなりの規模の事件になっているようだ」

煌蘭六区は別名貧民街と呼ばれている。

煌蘭の南にあたるこの区は、中央である1区からも港からも遠い立地の悪さが災いして、貧困層が集まる煌蘭で最も治安が悪い地区だ。

あてがわれる衛士の数も少なく、当然犯罪の発生率が高い。

犯罪活動で利益を得ている反社会的な組織からすれば煌蘭で最も活動しやすい地域というわけで、六区に本拠地を置く組織も多くなる。

それは当然海宝楼が所属する「蠱惑楼」とて例外ではない。

「どの組織も直接間接問わず被害が発生していることがわかってね、とりあえずこの件は各組織合同で調査することになったんだよ」

「合同で調査だと?益々もって異例の事態だな」

煌蘭の犯罪組織は、お互いが潰し合わないように定期的に会合という話し合いの場を設けているが、その裏で黄金に輝ける都である富を一手にしようと日夜暗闘している間柄だ。

それが仲良く合同調査など異例中の異例としか言えないだろう。

それだけ事が重大ということかと、ツァオは腕を組んで考え込んだ。

「それで俺たちにその合同調査とやらに参加すればいいのか」

「ああそうさ、ウチで一番腕の立つ奴といえば黒龍族の末裔たるあんたらだからね。他の連中に出し抜かれないためにも、あんたたちに出てもらうよ」

「けっ、それを言うなら婆さんが一番そうじゃねぇか」

「おやま、なんて酷い子だろ。こんな生い先短い老婆を捕まえて死に行けっていうのかい。あたしゃあんたをそんなに子に育てた覚えはないよ!」

「あんたが俺たちに教えたのは、女の喜ばせ方と殺しに喧嘩の仕方だろうが……」

当時の事を思い出して、ヤンはげんなりしながら言葉を吐き出した。

ツァオとヤンに血の繋がりはない。

ヤンはツァオのことを竜族の古語で「長兄」を意味する「大哥」とよんで慕っているが、義兄弟の関係である。

二人はどちらも煌蘭の貧民街出の捨て子であり、同じ境遇の者同士肩を寄せ合って暮らしてきた。

強盗、恐喝、窃盗、生きるためにはなんでもしてきたが、小さな子供二人では限界があった。

犯罪組織の者としらずに財布を掏ってしまい、すぐに発覚し半殺しの目にあっていたところを、たまたま通りかかったリャンメイ、当時すでに組織のボスになっていた、が希少な黒竜族の血を引く子供たちであることを見出し買い取ったのだ。

黒竜族とは竜族の中でも特に肌が黒く、体力に優れていたり、見た目が麗しいなどの際立った特徴がある民族を指す。

長じたヤンとツァオも黒竜族の傑出した身体能力と整った容貌をもち、「蠱惑楼」の若手の中でも抜きんでた活躍を見せてきた。

「そのおかげで今のあんたらがあるんじゃないか。もっとあたしに感謝するんだね」

「口を開けば感謝しろ感謝しろ、いい加減ウザいんだよ婆さん。誰が男娼とヤクザの技術を身に着けたいなんて言った」

「それがこの街で成功する手っ取り早い方法なんだよ、ヤン。そういえばあんた、また派手に金を使ったみたいだね。ツケ払いもいい加減にしといたほうがいいんじゃないかい?」

「大きなお世話だよ。あれぐらいのツケ俺一人でなんとかできるっての」

「へぇ、そうかい。そういや最近宝石商のハッケがやたら羽振りいいからどうしたんだって聞いてみたら、最高級の紅珊瑚を贅沢にあしらった首飾りが売れたっていうじゃないか」

「ギクッ」

「どんなお大尽がそんなものを買ったんだと続けて聞いたらあんた、肌の黒い精悍な顔つきをしたまだ若いの竜族だったっていうじゃないか。大したもんだねぇ、いったいどこからそんな金を用意できたんだか」

「ヤン、お前また懲りずに女に貢いでいるのか」

「大哥、それにはいろいろとワケがあって……」

ツァオから氷のように冷ややかな眼差しを向けられ、ヤンはしどろもどろに弁解を始めた。

ヤンが女と金で問題を起こすのは昨日今日に始まったことではない。

「ま、そんなこんなでヤンは金が必要。ツァオ、あんたにはそろそろ若頭になって組をまとめてもらいたいからね。成果をだしてもらうよ」

「……わかった」

目の前にいる育ての親である遣り手の老婆の手から離れるためには、金と力がいる。

貧民街出身の自分たちがそれを成し遂げるには、結局「蠱惑楼」というヤクザ組織で頭角を示すしかない。

そしていずれはこの妖怪のごとき老婆をしのぐ力を手に入れる。

ツァオの目に仄暗い炎が宿ったことを、リャンメイは見逃さなかった。

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