第3話 皇国の駐在武官

「それでは失礼いたします執政官閣下。皇帝陛下には何卒よしなにお伝えください」

慇懃な挨拶を行い、皇国の駐在武官は執政官執務室から退出した。

木製の大きな扉が開かれ二人のエルフの武官が敬礼と共に彼を出迎える。

「マティアス大佐、お疲れさまです」

「二人ともご苦労。大使館に戻るぞ」

マティアスと呼ばれた竜人の駐在武官は二人の武官を敬礼を返し、豪奢な赤い天鵞絨が敷かれた執政官府の廊下を出口に向かって歩みだした。

それから一歩下がる距離で二人の武官が続く。

「執政官閣下のご機嫌はいかがでしたか」

「よろしくはないな。魔物が町中に度々出現しては落ち着いてもいられまい」

「ここ一か月ほどですね、街中で魔物が出るようになったのは」

煌蘭の中枢部だけあって、執政官府内の警備は常に厳重である。

執政官執務室から廊下を歩いて出口に向かうだけで、幾人も衛士から敬礼を受けている。

外にも数十人の衛士が常時警備にあたり、物々しい雰囲気が漂っていた。

「執政官閣下より再度、魔物対応の協力要請がきた」

「……本国はなんと?」

「大使館に駐在している武官の出動許可が下りた。友好国には可能なかぎり協力せよとのことだ」

「他国の治安のために我々皇国人の血を流せと本国はいうのですか」

「ハインリヒ!」

駐在武官マティアス大佐補佐官ハインリヒ中尉の苦言を、同僚のセルサス中尉が窘めた。

二人は皇国の門閥貴族出身のマティアス大佐の乳兄弟として幼き頃より共に育ち補佐し続けている。

若くして帝国第二の都市煌蘭の駐在武官としての赴任は皇国軍人の誉であれど、ハインリヒはこの赴任を常日頃から苦々しく感じていた。

「そもそもこのような虚飾虚栄に満ちた悍ましき都に、若が赴任されること自体俺は反対だったのだ。セルサスお前とてあの醜く肥え太った豚どもに辟易していたではないか」

「ハインリヒ、声が大きい」

ここは煌蘭執政官府。

警備の衛士以外にも女官や使用人など多くの人が行き交っている。

皆すました顔でいるが、噂好きの宮廷雀たちがどこで聞き耳を立てているかわからない。

セルサスは再度ハインリヒを窘めたが、彼の発言そのものは否定しなかった。

彼自身、主に笑顔ですり寄ってくる商人や貴族たちの姿勢にはうんざりしているのだ。

「そう腐るなハインリヒ。俺はこの街が存外気に入っているのだぞ」

「若……」

「皇国にいてはこのような醜悪にして華麗なる都をじっくり眺める機会などまずないのだからな。昨日の宴で俺たちにすり寄ってきたあの狆夫人は実に面白かった。自慢と阿りがよくぞ尽きないないものだ。感心したよ」

質実剛健を旨とする皇国では奢侈が好まれない。

社会的に上位の立場になればなるほどその傾向が強まり、清貧かつ勤勉であることが何よりも尊ばれる。

皇国でそのように教育されてきた青年武官たちには、煌蘭とい爛熟し今にも腐れ落ちようとしている果実のごときこの街の退廃の香りが、鼻につくのも無理はなかった。

皇国軍大佐煌蘭駐在筆頭武官というのが現在のマティアスに与えられた長い肩書である。

皇家の血を引く高貴な出自にふさわしい品性と教養、武門の家柄であるため武術にも長け、均整の取れた体つきに整った顔立ち。

およそ完璧な貴族を体現した彼の素養が衆目を集めないはずもなく、煌蘭の上流階級の人々はこの輝ける公子にすり寄って来ている。

しかしマティアスには従卒二人以外には見せたことがない、愚劣と判断したものに対して苛烈にして容赦のない獅子の心を持ち合わせている。

「確かにこの都市の醜悪さは愛でるに足るものだが、刺激の無さに辟易していたところだ。陛下よりせっかくの許可をいただけたのだ、大使館に駐在している武官全員で自ら魔物を掃討にしてくれよう」

「なりません若!尊き御身に何かあっては申し訳が立ちませぬ。ここは我らにお任せを」

「いやセルサス、すでに手遅れだぞ。若の瞳を見ろ」

黄玉を思わせるマティアスは、久しぶりの戦への昂ぶりに爛々と輝いている。

自分たちの主の本質が猛々しい戦士のそれであることを思い出し、セルサスは先ほどよりさらに深いため息をついた。

「お止めしても無駄ですか……」

「我が愛剣も長きの暇に飽き飽きしているようだ。たまには新鮮な魔物の血を吸わせてやらねばなるまい。卿らこそ腕がなまっていないだろうな。魔物ごときにおくれをとったとあれば、皇国の恥ぞ」

「私の足は舞踏会で踊るためにあらず、戦場を駆け抜けるためにこそあります。戦場を与えられるは武人の誉、必ずやお役に立って見せましょう」

戦場を駆け巡る神馬、皇国一の健脚と謳われるハインリヒも主の昂ぶりに呼応して意気軒高だ。

皇国より煌蘭に派遣されている駐在武官はわずか数人であるが、マティアスが選び抜いた一騎当千の者である。

並みの魔物ごときに遅れをとることなどあるまいが、それでも戦場では何が起こるかわからない。

自分がしっかり二人の手綱を取らねば。

幼いころより暴走しがちな乳兄弟たちを窘め見守り続けてきたセルサスは、自分たち駐在武官に危険な依頼を与えてくれた煌蘭執政官に対して、心底恨み言を言ってやりたい気持ちにかられた。

「ああ、まったく……。飢えた狼に血の滴る生肉を投げてくださるなんて、執政官殿のお心遣いに感謝の念が絶えませんよ」

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