第5話 遺言状

 何の気なしに日香里の家を訪れた美乃里はとにかく仰天した。

 家の前に家具が放り出されている。慌てて家の中に入ってみるとそこら中の物がひっくり返って散らばっている。

『空き巣?』 

 それならまだいい。

『強盗?』

 だとすれば命も危うい。

 家の中はシーンと静まり返っている。


 もしも強盗が潜んでいたら? 日香里を縛り上げてナイフを突きつけていたら? と、そこまで考えていたら足がすくんで動けなくなっていただろう。

 しかし、この時ばかりは冷静な美乃里も慌てていた。日香里の身を案ずるあまり考えなしに奥の部屋まで突進した。


 ・・・・そこには、こたつが威風堂々鎮座していた。

 こたつの上には一枚の便せんとペーパーウエイト代わりのミカンが一個。

 『これは・・・・模様替え?』

 ああ、そうだ、模様替えだ、と、やっとしっくりくる答えに辿り着いた。


 それにしても何と徹底的に荒らしたものだろう。これは片付くのだろうか?

 しかもなぜ今? 

 日香里とは姉妹だから生まれた時からの付き合いだ。だが、未だにその思考は謎だったりする。

 目下の一大プロジェクト、日香里と美乃里の欧州旅行まであと2か月ちょっと。そのタイミングで引っ越しレベルの模様替えとは・・・・

 美乃里はとりあえず、こたつの前に座った。そこだけは荒れ果てた地のオアシスのように静かな日常があった。ごく自然にミカンに手を伸ばす。


「ええっ?!」

 美乃里は思わずミカンを放り投げた。ミカンの下の便せんに『遺言状』の文字を見たからだ。

 どういう事だろう? 実は何か重大な病でも抱えているのだろうか? ひょっとして例のダークファンタジーでも書こうとしていたのか。いや、でもそれならノートパソコンを使うはず。

 加えてこの模様替え。模様替えというより断捨離? いや、終活? いやいやいや遺言状まで用意するとなると、もっと切羽詰まった状況にあるのかもしれない。

 美乃里はここ最近の日香里の様子を思い出してみる。何か変わった様子はなかっただろうか、と。


 その時、カチャカチャと玄関のカギを開ける音がした。続いて

「あれっ? 鍵、掛け忘れてた?」

 日香里の声だ。それから美乃里の靴を見つけて

「みーさん? 来てるのぉ?」

 そう言いながら入って来る。そういえば美乃里はさっき慌ててカギをかけ忘れた事を思い出した。

「座るとこあった?」

 日香里は手にコンビニのコーヒーを持ち上機嫌だ。美乃里は内心ドキドキなのだが平静を装う。

「おかえりー。 派手にやってるじゃない? どうしたの? 模様替え?」

「うーん。模様替えっていうか断捨離?」

「断捨離かあ。でもこれ全部、一人で動かしたの?」

「うん。大変だった。おかげで筋肉痛」

 そう言って笑う。

 それならむしろ元気じゃないか、還暦過ぎとは思えぬ馬力だ、と美乃里は首をかしげる。

「あ、大変。みーさんの分のコーヒーが無いわ。紅茶でも良い? それとも・・・・」

「大丈夫。大丈夫。お構いなく。急に来た私が悪いのよ。たまたま近くを通りかかったから寄ってみただけ、のつもりだったんだけど」

「うちの前に家具が放り出してあったからびっくりしたんでしょう? ふふふ」

「そうよお。で、中に入ってみたらこの有様じゃない? 空き巣か強盗かって焦ったんだから」

「それは悪い事したわねぇ。ふふふ。明日、破砕ゴミの日でしょう? 出しちゃえって思ってさ。何とか外に放り出したは良いけど疲れちゃって。休憩がてらコンビニにコーヒー買いに行ってたのよ」

「随分頑張るじゃない。でもさ、なんでまた急に?」

「前から気にはなってたのよ。物が多すぎるなあって。身軽になりたいってのもあるんだけど、今度ヨーロッパ行くじゃない?」

「うん。そのタイミングでってのも謎なのよね」

「それはね、急に怖くなっちゃったからなのよ」

「ええっ? まさかやっぱり行かないとか言わないわよねぇ? もう宿も押さえたし、タリスの切符も取ったわよ」

「わあ、さすがみーさん、凄いなあ。外国の宿とか鉄道切符とか一体どうやって取るの?」

「全てインターネットのおかげよ。それより、怖くなったって・・・・旅行が?」

「そうじゃないの。なんて言うか・・・・。旅行はもちろん行くわよ。もうほんと楽しみにしてるんだからぁ。何があっても行くわよ」

「ますます解らなくなってきた。結局、ヨーロッパ旅行と断捨離はどう繋がるの?」

「うん? それはね、笑わないでね」

「笑うかも」

「やだぁ。あはははは。まあ良いわ、笑われても。飛行機、十二時間以上も乗るんでしょう? 私、たまに飛行機が飛んでるの見上げて思うんだけど、あんな重たいものが空を飛ぶなんて嘘だとしか思えないのよ」

「まあ、ね。ちょっと解るわ」

「でしょ? どんなに説明されても感覚として理解できなくて。その点、船は感覚として解るのよね、子供の頃から水に物を浮かべて遊んだりしてたからさ」

「うん。うん。確かに」

「で、空の上のあの飛行機の中の人になって十二時間、空中に浮かんで移動するわけでしょう?」

「そういう事になるわねぇ」

「飛行機、落っこちるかもしれないじゃない」

「あら、やだ。怖い事言わないでよ。そう簡単に落ちないわよ」

「そうなんだけどさ」

「一日に一体どれだけの飛行機が世界を飛び回ってると思ってるの? それでも事故の話なんて滅多に聞かないでしょう?」

「それは解るのよ。車よりずっと安全だって事も。でもね、理屈と感覚は違うのよ。理屈ではわかってても、ちょっと怖いなあって気持ちは変えられない」

「まあそうね。実を言うと私も離陸の時はいつも緊張する」

「へぇ。みーさんも? なあんだ。全然平気なんだと思ってた」

「そんな事ないわよ」

「とにかくそれでさ、万が一に備えて身の回りを片付けておこうかと思ったわけ」

「なるほどね。そういうわけね。それでこの遺言状?」

「あっ! ヤバっ! 出しっぱだった? やだ、誰も来ないと思って油断してた」

「あーあ、心配して損した。てっきり余命宣告でもされたのかと思っちゃったわ」

「ごめん。ごめん。でも、一応ミカンで隠しておいたのよ。ミカン・・・・食べようとしたでしょう?」

「あはは。バレた?」

「じゃあ、お茶とミカンの時間にしよう」

 そう言って日香里はこたつのまわりのガラクタを隅に押しやり、オアシスを少し広げた。美乃里には紅茶を淹れて、日香里はコンビニコーヒーだ。

「コンビニコーヒー、サクッと買えるようになったのね」

 美乃里が言うと日香里は得意げに笑って、

「もはや達人よ」

 と言う。コーヒーを買うだけなのに達人の称号はちょっと大げさだが、日香里の前向きさには美乃里はいつも感心する。


「外の家具さぁ、ゴミの集積場まで持って行かないといけないんでしょう?」

「うん。手押し台車があるから何とかなるかな? と思ってるんだけど」

「でも、台車に乗せたり降ろしたりが結構大変よ? 後で手伝うわ」

「ほんと? 助かる。お礼に断捨離の極意を伝授するわ」

「ええっ?! あはは、なにそれ。そんな極意を会得しちゃったの?」

「ふふふ。会得しちゃったの。あのね、収納家具をまず捨てるのよ」

「収納家具を? 中身はどうするの?」

「中身もどんどん捨てる。で、ほんとに必要なものとか大事なものだけ残すの」

「ふむふむ」

「で、残した必要最低限の収納家具にきちんと収める。案外、収まるのよこれが」

「そうなの?」

「そうなの。ほら、棚を増やすと片付くどころか物が増えて部屋も狭くなるって言うじゃない? あれの逆をやるわけよ」

「なるほど。筋が通ってるわね」

「今はその途中だから、部屋がこんなことになってるけどね」

「面白いわね。ただ、これがいつ片付くのか心配だけど。このオアシスも一時撤去したほうが効率があがるんじゃない?」

「だめ、だめ。オアシスは必要よ。休み休みやらなきゃ。頑張りすぎたら本気で遺言状書かなきゃならなくなるわよ、きっと」

「あはは。そうね。その通りだわ。休憩は必要ね」


 たっぷり休憩とお喋りを楽しんだあと、日香里と美乃里は外の家具を集積場まで運んだ。

「ふぅ。それにしても人間っていうのはつくづく無駄の多い生き物ね」

 最後の一個を運び終えて笑いながら美乃里が言った。

「ほんとにね。生きていくって無駄を謳歌する事なのかもね~」

 日香里はそう言ってから捨ててしまう家具たちに向かって一礼した。

「ご苦労様。今まで本当にありがとう」

「まだ使えそうなのに、ちょっともったいないわね」

 美乃里の言葉に日香里が答える。

「これさ、もしかしたら明日の朝までに無くなってるかもなのよ」

「え? どういう事?」

「以前にもね、家具をいくつか捨てた事があって。その時ね、一個捨てて次のを持ってきたら先のが消えてたの」

「誰かが持って行ったって事?」

「そうかも。それに、トラックで見て回ってる人もいるみたいで、夜中に積み込んでるの見た事があるわ」

「あはは。勝手にリサイクルね」

「本当は捨てられた時点で市の物だから厳密には窃盗になるらしいけど、もう一度使ってもらえるならそれで良いんじゃないかと思うのよね」

「そうね。市のほうでも大目に見てほしいわね」

「うん。自分でリサイクルに持って行くのも大変だし、来てもらうと逆にお金がかかる場合があるし、その手の悪質業者もいるらしいし」


 そんな事を話しながら家に戻った二人だが、改めて室内の荒れっぷりに思わず笑いが込み上げてきた。

「それにしても、ひかちゃん、今日はどうやって何処に寝るの?」

「こたつじゃマズイかしらねえ」

「一晩くらいならなんとか大丈夫、かも、ね」

「放り出した小物は明日頑張って仕分けするわ。で、要らないけど売れそうなものは『リリカリ』で売る事にする。一度、やってみたかったのよ『リリカリ』」

「あらまっ。いろいろチャレンジするわねぇ」

「いずれはみーさんみたいに外国のチケットもサクッと買えるようになりたいなあ」

「ひかちゃんなら、その気になればすぐに買えるようになると思うけどな」

「そお? ふふふ」

「なんなら、今夜はうちに泊まりに来る?」

 美乃里のありがたい申し出だが、日香里はちょっと考えてから辞退した。

「今日は長年一緒に暮らした道具たちに感謝しながら一緒に寝るわ」

「あはは。そうね。それが良いかもね」


 家に帰る美乃里と、それを見送りに外に出た日香里の目の前を一台の小型トラックが通り過ぎて行った。さっき捨てた日香里の家具がしっかり積まれている。

 それを見て二人は顔を見合わせる。そのあと爆笑したのは言うまでもない。




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