第4話 奥様でいらっしゃいますか?
「違います。奥様じゃありません」
「母は亡くなりましたけど?」
「私がこの家の者ですが? 何でしょうか?」
日香里がイラっとしながら電話対応している。
美乃里は日香里との欧州旅行の打ち合わせに日香里宅を訪れていた。その相談の最中に電話が鳴ったのだ。スマホではなく家の電話のほうだ。
電話に出た日香里の機嫌がどんどん悪くなっていく。
さっきまで旅行の話で盛り上がり、あんなに楽しそうだったのに。
「ご用件を仰って下さい」
「ああ、それでしたら結構です。うちは必要ありません」
「いえ、大丈夫です。今、忙しいので切りますね」
最後にはそう言って半ば強引に電話を切った。相手はまだ何やら喋っているようだったが『これは時間の無駄だ』と思ったのだろう。身支度にはたっぷり時間を掛けるくせに不要な電話には容赦ない。
「なんだったの? セールス?」
「そうなのかな? よく判らなかったけどインターネット料金が安くなるとかなんとか」
「ああ、そういうヤツね」
「電話に出るなりね、『奥様でいらっしゃいますか?』って言うのよ。『はい』とは言えないじゃない? 私、誰の奥様でもないし」
「確かに」
「違いますって言ったら『お母さまはいらっしゃいますか?』だって。私の声、そんなに若く聞こえる? 聞こえるならそれはそれで嬉しいけど」
(嬉しいんかい!)と美乃里は心の中でツッコむが口には出さず別の事を言った。
「ああ、それで亡くなりましたって? ふふふ」
「そう。そしたら、『どなたかお家の方いらっしゃいますか?』だって。私の事、ボケてるとでも思ったのかしらね。でもほんと失礼よね。一方的な電話って相手の時間を奪ってる訳でしょう? だったらもう少し申し訳なさそうにしたって良いと思わない?」
「思う、思う。私も一方的なセールス電話には困ってる。あれって多分、手当たり次第に掛けてるのよ。あっちも仕事かもしれないけど、雑すぎるわよね仕事の仕方が」
「ほんと、それ。それにさ、そこそこの年齢の女性が出たら、とりあえず『奥様』って言うの何気にイラっとするのよ。独身女性もいれば私みたいにバツイチもいる訳じゃない? 世の中には。それなのに『違います』っていうと『じゃあお母さまは?』って。あの人たちの頭の中の家族像って時代錯誤なんじゃないかしら」
まるで毒舌小町が乗り移ったかの如く、饒舌に愚痴る。日香里の場合、別にバツイチだから『奥様』に過剰反応しているわけではない事を美乃里は知っている。ただそういう決めつけが大嫌いなだけなのだ。
日香里は割と若いときに結婚して、この地に夫婦で家も建てた。子供は出来なかったが友達のようにお互いを尊重し合う良い夫婦だった。
が、夫の母親が突然亡くなり空き家になってしまった実家を見たとき、日香里の夫は強烈な思いに駆られたそうだ。ここで暮らしたい、と。
日香里の夫の実家は九州だ。日香里は関東での暮らしが自分に合っている、心地良いと思っていたから、夫について九州に行く気にはなれなかった。
二人ともが独りでも平気なタイプでもあったし、じゃあ籍を抜こうという事になったらしい。選択肢として籍まで抜かずとも離れて暮らす、という方法もあったのだろうが互いを縛り合うようで窮屈だったのだと言う。
もう二十年近く前の話である。
その後、日香里の元夫は九州で幼馴染の女性と再婚した。
そう聞くと何だか不倫の末の離婚、結婚のように聞こえるが、実際は全く違う。日香里たち夫婦はもう男女の仲は超えて最良の友人同士になっていたのだ。だから、日香里は元夫の再婚を祝福したし、相手の女性を含め今も親戚同士のような付き合いをしている。
この辺の事は他人に説明してもなかなか理解してもらえない。誰の心のなかにもある先入観、最近はバイアスなどとも言われるが、それが邪魔するのだろう。理解しない人の心が狭い訳ではない、人間とはそういうものなのだから仕方がない、そうは思ってもやはり決めつけられるとイラっとしてしまう。
かと言って、では日香里は他人に対して『決めつけ』を発動しないかといえばそんな訳もなく。気付かぬうちに誰かをイラっとさせているに違いないのだ。
早い話がお互い様。
元夫と再婚した女性は地元の和菓子屋の一人娘で、やはり実家を継ぐため婿養子を迎える形で若いうちに結婚していた。実は日香里の元夫とは子供の頃から仲が良く、将来は結婚するものだと周りも当人達も思っていたそうだ。が、諸事情からんで結局それぞれ別の人間と結婚することになったのだ。その辺の話は日香里も結婚当初から聞いて知っている。
その後、婿養子となった男性は癌を患い闘病の末亡くなった。それもあって子供はいない。前後して両親も亡くなり和菓子屋も廃業したそうだ。
つい、不幸な女性だな等と感じてしまうが決してそうではない。いろいろな出来事の合間合間には楽しい事も幸せな事も沢山あったのだと本人が言っている。強がりではなく。
出来事をただ並べるだけで不幸な人生だった、と思われてしまう人もいれば、言葉を尽くして説明しても理解してもらえない不幸の中で苦しむ人もいる。
或いは言葉で誰かに伝える事自体出来ない種類の辛い体験をしている人もいる。
人間の『決めつけ』能力は地味に相手を傷つけ続けるのだが、これとてもお互い様、ある程度は仕方がない。せいぜい、できるだけ心を柔らかく保つ努力をするしかない。
美乃里は日香里の愚痴を聞きながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
「そういえばこの間、こまっちゃんも怒ってたなあ。迷惑なセールス電話が多すぎるって」
日香里がミカンの皮をむきながら言った。こたつでミカンだ。平和の象徴だ。
いつの間にか愚痴も言い尽くしたらしく、今度は小町の話になった。
「こまっちゃんも?」
「うん。こまっちゃんは電気が安くなるって言われたらしいよ。でね、シュミレーションするから家族構成を教えてくれって言うんだって。そりゃまあ、家族構成で人数とか電気を使う時間帯とかが判るから、もっともな話ではあるんだけどぉ」
「このご時世、強盗のための事情聴取ってことも考えられる!」
「そう! その通り! だからこまっちゃん、毒舌を炸裂させたらしい」
そこまで言って、二人で大笑いした。
「そりゃあ、相手もタジタジね」
「けどさあ、ほんとに強盗団だったら恨みを買って強盗に入る優先順位上げられちゃうかもよ」
「そりゃまあ、ムカつかれるだろうけど。あっちもできる限りリスクは少ない方が良いだろうから、こまっちゃんみたいな煩い相手は避けるんじゃない?」
「かもねー。あ、あとね、何でも買い取るから売るものは無いかって電話も」
「それもこまっちゃん? ほんと、迷惑セールス多いわねえ」
「でね、無いですって言っても食い下がるんだって。何か一つくらいあるでしょう?とかって。それでも無いです、って繰り返してたらいきなりガシャンって電話切られたんだって。こまっちゃん、毒舌繰り出す間もなくてすっごく腹が立ったみたいよ」
「ああっ。それねー。あるある。そういう電話。先にこっちが切ってやれば良かったって思うんだけど後の祭り。何とかならないものかしらね、悪徳セールス電話」
「最初に、この電話は念のため録音しています、悪しからず、みたいなアナウンス流したらどうかしら? たまにあるじゃない? なかなか繋がらないカスタマーセンターの電話で。やっと繋がったと思ったらいきなりそう言うの」
「あるわねー、そういうの。あれ、なかなか繋がらなくてイライラした後に言われるから、一瞬怯んで冷静になるのよ。情けない、とは思いながらも」
「複雑よねー」
こたつミカンの平和な時間に『夕焼け小焼け』が聞こえてくる。ハッと我に返って美乃里と日香里は時計を見る。
「もうこんな時間?!」
「結局、旅行の計画、何もできてないわよ」
「あの電話のせいね」
「でも、これで三回目よ。こんな事。電話のせいだけじゃないかも」
「あはは。そうかも」
「次回までにドラフト作っとくわ」
「そうしてくれると助かる。どうせ私にはよくわからないし。みーさん頼りよ」
「わかったわ。じゃあ、大体の希望とかざっくりした行きたいところを教えてくれる? 可能不可能は二の次にして、とにかく希望を全部。その中から組み立てるわ。あ、食べたいものも。第一希望、第二、第三、って感じで書き出してくれると嬉しいかな」
「うん。書き出して送るわ。メールとメッセージ、どっちがいい?」
「そうね、メールがいいかな」
飛行機のチケットは購入済みだ。三か月後だから宿の確保など考えると計画は急いで立てねばならない。が、この調子ではどうなることやら。
今回の海外旅行は、日香里にとって初海外だ。
本当は三人姉妹で行く予定だったのだが、小町の夫の親族に病気でそろそろ危ない人がいるらしい。それで今回は美乃里と日香里で行って来て、と言うのだ。
じゃあ、私たちも予定を延期するよ、と言ったのだが小町いわく
「そんなこと言ってたら、絶対行けないよ。年寄りだらけなんだから次々、危ない人が現れて、そのうち私たちの番になるんだからね」
その通りだ。やりたい事は旬を逃さず、欲しいものにはちゃんと手を伸ばそう。
私たちの残り時間は若者たちほど長くない。日香里も美乃里もそう思った。
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